ジョージ北峰の日記
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2010年06月16日(水) 青いダイヤ

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  当時は、私自身に勉強机はありませんでした。本箱といっても、現代の人は知らないと思いますがミカン箱(と呼んでしました、木で作った段ボール箱と考えていただければよいかと思います)を横にして使ったり、あるいは又箱を潰して自分で簡単な本立てを作ったりしていた時代のことです。
使い古した折りたたみの食卓を机として利用していました。灯りは、電気スタンドを兄の勉強机(当時イスのある机のことを“たち机”と呼んでいました)から照らすのです。部屋の広さは4畳半、薄暗い灯りなのですが、しばらく2人で居ると電灯の熱で部屋が暑くなってきます。当時は、扇風機も、勿論冷房装置もありません。だから何時も夏は窓を開け放したままでした。(屋敷には何も捕るべきものもありませんから、泥棒など気にかける必要もありません)
  この時代、小学校では先生が二宮金次郎の話をよくされました。貧乏な家の出で、立派な学者になられた人物の話しです。彼は昼間勉強する時間がないので、仕事が終わってから夜、蛍の光で勉強したというのです。最後に、君達は恵まれているのだからしっかり勉強しなければ、と結ぶのです。
「蛍のいない冬は如何していたのだろう?」と疑問はあったのですが、「蛍の光で本は読めないだろう」とは思いませんでした。そんな時代だったのです。
  話を元に戻します。宿題を終わらしますと兄が話し始めたのです。
 「今日何故、お父さんが怒ったか分かるか?」
 「僕がお父さんの言いつけを守らなかったから?」
 「それもあるが、もっと大事なことがある。お前は子供だから分からないかも知れない」と前置きをして、話始めたのです。
子供は生まれた時は、何も知らない真っ白な状態で生まれてくる。そして育つ過程で色々なことを経験して自分の生きる道を見つけていく。
ライオンの親は、子供を谷は突き落とし、そして這い上がって来る子供だけを育てる。それがいずれ一人前のライオンとして生きていく為の子育て教育なのだ。 そのようにして親ライオンは子供が、将来一人で生きてけるかどうか確かめているのだ。
  (この話は、当時の私には随分怖い話でした。出来れば何時までも母と一緒に生きていたと思っていたからです)
 「上って来れないライオンは?」と聞きますと「死ぬだけだよ」あっさりと答えるのです。
 「これは例え話だが、人間の場合は、誰もが無限の可能性を持って生まれてくる。例えば、偉い学者や、音楽家、野球選手などになろうと思えばなれる。しかし何も出来ない人間にだってなることもある。
無限の可能性といっても誰もが同じ無限の可能性を持っているわけではないが、親は、子供の無限の可能性の中から、その子の将来を伸ばせる才能を見つけてやろうと考えているのだ。
  無論ほっておいても子供が自分で、自分の生きる道を見つけて生きていく場合もあるだろう。しかし、子供に好きなようにさせておくと、本来もっている可能性の中でもっとも悪い選択肢を選んでしまうことだってある。例えば食べ物で好き嫌いを放置しておくと体の弱い子に育って、病気になって死んでしまうことさえある。それと同じことだ。
  だから親は子供に出来るだけ良い可能性を見つけてやろう、そして子供の進む良い方向を見つけてやろうと一生懸命なのだ。
  自分が小学校2年性の頃、親父は今よりもっと厳しかった。算数を小学校の低学年のうちに高学年の分まで教えられた。その後さらに中学の勉強へ進んだ」
  そう言えば、母も私に長兄は毎日泣くような勉強をしていたと言っていました。一方父に言わせると、長兄は嫌がらずについてきたと言っていました。(その話を聞いて、父が私に興味を持ちはしないかと心配したものでした)
  (しかし私の経験から言えば、親の子育ての意気込みも子供3人ぐらいまで、15歳も年が離れていますと、もうその子を(親には)どうこうしょうという気力が薄れてしまうものなのです。だから、恐らく父は兄に自分の代わりをさせたかったのだと思います)
  兄は「難しい話だが人間にとって“自分を知る”こと、つまり、それは色々なことをして間違ったり、褒められたりしながら、自分の体で、自分のことを知ることが大切なのだ」と続けました。
 「今日は、お前はひどく叱られた。その経験から、お前は何を学んだのかが重要なのだ」
  当時子供として、父親に反抗していました。
しかし兄は、そこから何かを学べと言う。私には親の気持ちが少しは分かった気がしましたが、しかし、本当のところ、何を学べばよいのかよく分かりませんでした。

  当時の話を少し大人向きに翻訳してみます。つまり兄の持論は、生まれた時は誰もが隠された潜在能力(
(ダイヤの原石)を持っている。しかしどんな潜在能力があるのか、大人になっても自分ではなかなか分からない。しかし、それは生きる為の力と方向性を与える、人間に最も基本的な能力だというのです。
  ある人はそれを、動物のように表現するかも知れない、又ある人は仙人のような優れた人格を表現するかもしれない。
  つまり潜在能力は人間にとって生きる為の最も基本的な力だと言える。
が、しかしそれだけでは動物と人間との区別は出来ない。人間には、動物と違って潜在能力以外に成長の過程で形作られる“意志”がある。
  
  この意志と潜在能力の競合の中で“人間の、人間たる”人格が形成される。
  つまり意志をどのように形作るかが重要なのだと言う。例えばプロゴロファーなろうという強い意意志が働けば、もし自分に潜在能力があれば、I.R.のような立派な選手に成れるかもしれない。あるいは野球選手になろうと思えばI.S.やM.H.のような優れた選手に成れるかもしれない。あるいは又、ノーベル学者にだってなれるかも知れない。
しかし自分の意志と、自分の潜在能力が矛盾する場合、必ずしも優秀なスポーツ選手や学者になれない場合もある。
  人生が充実していて、成功者になる為には、自分の意志と本来持っている潜在能力が一致した場合だと言っても過言ではない。   
  しかし本当は自分がどんな潜在能力を持っているかということは自分では、なかなか分からないものだ。
だから親や、先生が子供の潜在能力を、早く見つけてやるのが良いと言える。が、本当はそれもなかなか難しいものなのだ。


  ただ一つ、大事なことは、潜在能力の発現時期は兄のように早い場合もあるが、随分遅い場合もある。だから、お前の場合も決して慌てることはない、しかし絶えず意識して自分の潜在能力を探す努力をすること、そしてそれを見つけたら何時からでも良い、躊躇(ためら)わずに、その能力の発現に邁進(まいしん)することだ、と励ましてくれたのでした。「しかしそれには強い意志が必要なのだ。親父は、その意志の大切さをお前に教えようとしているのだ」と言うのでした。


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