ジョージ北峰の日記
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2010年05月27日(木) 青いダイヤ

青いダイヤ
ジョージ北峰
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20世紀の後半から21世紀に亘って、科学技術の進歩が目覚しく、人の果たしてきた社会的・経済的活動の役割をほとんど機械が肩代わりするようになってきました。
しかし現状は、有名な思想家達が「科学技術が進歩すればユートピア社会が実現できる」と考えてきた状況からは程遠いように思われます。確かに人々の生活は豊かになり隔世の感はあるのですが---。

私の少年時代、日本の家庭にはテレビ、自動車ばかりか洗濯機、冷蔵庫もありませんでした。一方、当時の合衆国では、既にこれらの製品はほとんどの家庭にそろっていたのです。さらに水道から“お湯”さえ出ると聞いた時、アメリカの経済力に驚きましたが、死ぬまでに一度はそんな生活をしてみたいと夢を描いたものでした。それは私にとっては、ユートピアの世界そのものだったのですから。

  当時、第二次世界大戦の敗戦国だった大部分の日本人の生活は極貧をきわめていました。現代の犬や猫の生活にも追いつけない状況だった言って過言ではありません。
 その頃、私の家でも猫を飼っていました。猫の食生活は悲惨で、ほとんど残飯(それも僅かな)が与えられるのみでした。だから猫も毎日、ネズミ、夏には庭で蛇、昆虫などの捕獲に奮闘していたように思います。彼等にとって生きた生物は、この上ないご馳走だったのです。今時の猫は、ご飯に花カツヲをかけても見向きもしませんが、当時は人間であった私でさえ、“カツオかけ御飯(ご飯がありませんでしたから)”は滅多に食べることの出来ないご馳走だったのです。だから猫の食生活が、今に比べれば如何に悲惨なものだったか想像出来ると思います。
 ある日、家族が油断したスキに猫が食卓の沢庵(たくわん)の一切れを盗んで逃げた時は、私もさすがに驚きましたが、後で叱られている猫の姿を見た時は「猫もお腹をすかしている」と可哀そうで、泣いたのを覚えています。

   そんなある日、偶然、長兄が自分の食べ残した食物を、(親に隠れて)猫に与えている姿を見たのです。一瞬「親に隠れて」と言いかけたのですが、その瞬間、兄は「シっ!」と声を出さないように目配せしました。
私にも直ぐに兄の気持ちが伝わり、ゴロゴロ喉を鳴らす猫を兄と一緒に“嬉しく”眺めたのを思い出します。
   が、後日まで、その兄との思い出が奇妙に強い印象となって私の心に残ることになりました。その日から、単純と思われるでしょうが、私は兄に対し言葉では尽くせない「敬愛の情」が芽生えたのです。

   現代の日本人には理解出来ないと思いますが、猫に勝手に餌をやることは「泥棒猫になる」と親から厳しく禁じられていたのです。
ただでさえ食料難の時代、皆が絶えずお腹を空かしていましたから、私にはそんなことを考える余裕さえありませんでした。当時、私は4歳ぐらい、15歳年上の兄は、既に大学生でした。兄にとっても空腹はつらかったに違いありません。「お腹はすかないの?」と尋ねると、「気合だよ」と笑顔を返すだけでした。

 それから、私は何故か兄の行動に大変興味を持つようになりました。ただ子供の心理として、兄の不思議な行動を、単に真似をしたかっただけだろうと思いますが---。
 


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