ジョージ北峰の日記
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2010年02月15日(月) オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム

  部屋には静かな音楽が流れていました。恋人達のようにカップルが一組、二組と部屋から消えていく。ガラス越しには、色とりどりに入れ替わるほのかなライトアップを背景に熱帯の美しい魚達が夢か幻でも見るかのようにゆっくり移動して行く。
私は研究で悩んでいたことをすっかり忘れかけていました。突然パドラが私に向かって「儀式に参加しますか?」と囁きました。
しかし私は、咄嗟(とっさ)に「今夜は、これで休みます」と返しますと、パトラは「疲れたのですか?」と労(いたわる)わるように、肩を叩くのでした。

 私は部屋に戻りましたが、眠れそうにありませんでした。
今パドラがどうしているのか? 
パドラは性の儀式に参加していないか?など余計な雑念が浮かんで、どうしても寝付けなかったのです。
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 ラムダ国へやってきてから、どれほどの月日が経過したのか、私には分からなくなっていました。そして私の第一段階の研究は成功を収めようとしていました。
この国では、体外受精研究がすでに相当進んでいましたので、私のウイルスを使った動物の発生に関する研究も予想以上に速く進み、巨大ネズミの作成プログラムの精度が、最初数%程度だったのが、既に80%を超えるに所まで達していました。
この国の科学者達は、このウイルスを使って種々の動物、さらには人間にまで応用することを考えていました。
 人間が文明の進歩とともに失ってきた、有用と考えられるさまざまな遺伝子機能を回復させるため、動物達の当該遺伝子を回収し、人の染色体に組み込む実験をしていたのです。私の役割は、この計画をさらに推し進めることでした。
私がA国で分離した、動物を巨大化する遺伝子は人が進化する過程ですでに淘汰され現在地球の生物からも消失していたのですが、地球温暖化に伴う北極圏の氷山の融解によって、これまで氷山に閉じ込められていたウイルスが再度活性化したらしいのでした。しかし人類はこのウイルスに対する抵抗力がなく、その為、北極圏に住む人々は、このウイルスに簡単に感染したらしいのです。そんなウイルスを私が今回、偶然発見したのでした。
このウイルスには、例えば鳥やネズミを大型化し食用として使えないか、又この国の戦士の体格を改良することに利用できないかなど、それこそ数えきれないくらいの応用範囲があったのです。その為ウイルスのどの遺伝子が動物の巨大化や精巣癌の発生に関わっているのか、さらに人間を含めて生物の進化に使える遺伝子かどうか等を解明する必要がありました。
 私は、この国に来るまで、科学に対する神話、「科学は、人類に幸福をもたらし、さらに地球上の生物も破滅から救うことが出来る」と“科学性善説”を信じてきました。西欧中世の暗黒時代から人々を解放したのは、紛れもなく近代科学者たちの新しい発見があったからです。
私は、科学は迷信や不条理な宗教的信念から人々を救う唯一の手段だと考えていました。しかしこの国の遺伝子工学を使った人造生物の作成や進化の推進を現実に目の当たりにして、この技術は人類や生物界に本当に幸福(しあわせ)をもたらすのだろうか?私は、この国の考え方になお抵抗を感じるのでした。
 20世紀の大発見と言える、原子力エネルギーの開発が人類に無限のエネルギーを約束する一方、一度爆発すると人類のみならず地上の多数の生物を破滅しつくす巨大な核兵器の開発に拍車がかかり、そればかりか現在広く普及しつつある平和利用のシンボルとも言える原子力発電所さえ、ひとたび事故を起こすと人類を、地球全体を壊滅させる可能性さえあることを私は現実に見てきました。
又科学の進歩によって、一握りの人が世界を支配することさえ可能になることを知りました。
だから遺伝子工学が一時的に人類に益をもたらしたからと言って、本当に人類を助ける手段になるのだろうか?今、私はとんでもない実験に手を貸そうとしているのではないか?など良心の呵責に苦しみ始めていたのです。
 夜一人になると悩ましく、なかなか寝付けませんでした。むろん“性の儀式”に参加すれば、疲れきって眠ることも出来ましたが、一方この国の性習慣には馴染めないところもありました。さらに悪いことに、最近では、パドラに対する嫉妬心が私を苦しめ始めていたのです。
 ある夜、仕事を終えて、私は自室の薄暗いスタンドの明かりで、気を紛らそうと、ウオッカのような強いアルコールを飲み、静かな曲に耳を傾けていました。(私の部屋は一人で生活するには充分な広さで、ベッド、テーブル、机、書棚、それにホームバーに必要な食器一式が備えてありました。食事も必要なら、朝オーダーしておくと、仕事から帰る迄にすべてが揃(そろ)っていました。またオーディオ、テレビなどの機能を兼ね備えたコンピューターシステムが設置されていました。

 何時ものように、眠れず物思いにふけっていますと、密かにドアが開く気配を感じました。振り返ると、其処にはパドラが立っているではありませんか。
「パドラ!」と驚いて声を発しますと、彼女は、「静かに!」と唇に指を当て緊張する様子もなくスッと私の傍に寄り添ったのです。それがとても自然で、その時彼女に何時もの女王らしさは感じられませんでした。この国の女性によく見られる白いドレスを着ていたからかも知れません。
パトラは(よくする仕草ですが)少し顔を傾け私を見つめると、グラスをそっと奪い、口に含むと躊躇(ためらい)もなくそっと私にキスを求めてきたのです。
予想しない彼女の行動に私は慌てバランスを崩しました。
もともとパトラは私にとっては手の届かない女神のような遠い存在だったのですから---。
だから突然彼女が示した予想外の行動に、慌てたのでした。
優しい眼差し、甘いキス!心地よい香り、極めの細かい弾力的な肌、私は初めて息づくパトラの鼓動を自分の肌で実感したのです。
 私の悩みは吹っ飛んでいました。
しかしパトラが突然の訪問してくれた意味が即座には理解できませんでした。自分の思いとは裏腹に気持ちばかりが焦り、体は凍りついたまま時間が過ぎていきました。
するとパドラは、腕を解き、ゆっくり立ち上がると「面白いものを、お見せしましょう」と言って、キーボードを叩くと、壁が緩やかに移動、壁面一杯にスクリーンが現れました。そのスクリーンにヨーロッパ印象派の絵を想起させる映像が写しだされたのです。さらにアイコンをクリックすると画面が動き始めました。
と! 部屋全体がパッと夕日に照らされたように明るくなりました。同時に何処からともなく、気持ちよい微風が自然のリズムで肌をかすめ始めたのです。私は実際に高い塔からヨーロッパの港町を眺望しているような錯覚に陥ったのでした。
遠景には古い教会や城壁の黒い影が聳え(そびえ)立ち、前景には夕日をキラキラ、鮮やかに反射する波が眩しい海、その穏やかな波の合間を帆船がすべる様に移動して行く、さながら夕暮れの古いヨーロッパの港町に来たような印象を受けるのでした。
その景色には、あまりに現実感が溢れていましたので、暮れて行く港町のひと時を、ベンチに座って仲睦ましく語り合う恋人同士のような錯覚を覚えるのでした。「まるでヨーロッパの港町を二人で旅しているような気分ですね」と囁くと、彼女も微笑みながら肯くのです。
この時、パトラの表情は若い娘のように輝いて見えました。
私の興奮は少しずつ覚め、気持ちは周囲の雰囲気に徐々に和んで落ち着きを取り戻し始めていました。
 時折見せるパトラの流し目に思わず、肩に手をかけますと、彼女は私の腕に体重をかけてくるのです。さらに彼女の胸、腰、大腿を触れましても、パトらは抵抗する風もなく深い溜息をつくのです。彼女は私の刺激に明らかに反応しているのでした。 
パドラも私の大腿から股間に手を伸ばし、興奮を確認すると「何故?あなたは“性の儀式”に参加しないのですか?」と少し責めるような口調で話すのです。
 この質問は、この国へ来てから、私が絶えず気にかけていたことなので、少し抵抗する口調で「研究のことで、頭が一杯なのです。それに--」と、次の言葉を躊躇(ためらい)っていますと、彼女は追っかけるように「それに?--何なのです?」と眉をよせ「あなたが来るのを心待ちにしている女性も大勢いるのですよ。あなたは女の気持ちがわからないのですか?」と少しいたずらっぽい表情を見せるのです。
この時のパドラの人の心をときめかせる美しい横顔!
やっとの思いで気持ちを抑えながら、私は自分の考えていた事、この国に見られる性のあり方について、疑問をぶっつけたのです。「いえ、私にはこの国の性のあり方に我慢出来ないのです。この国では、男女の本当の愛がないように思えるのです。私は愛のない性はありえないと考えているのです」
 パドラは少し困った表情を見せましたが、ゆっくり立ち上がると、説得するような口調で「男女の愛はこの国にも勿論あるのです」と答え、続けて「しかしラムダ国では愛と性は別の次元の話と考えているのです」「少し長い話になりますが---」と真剣な顔で私を見つめました。
 画面では、やがて夕日が沈み、街や帆船に灯が点り(ともり)その仄明るい光と星の青い光がまるで宝石のように暗黒の画面に浮かび上がり始めました。
時折流れ星が夜空を裂くように消えていきました。
パドラは、壁画のほうに振り向きながら、遠くを眺めるような表情に変わり、ゆっくり噛み締めるような口調で話し始めました。
 「愛には大きく分けて2通りあるでしょう?広い意味での、一般的な愛、例えば家族愛、親子愛、同胞愛などは、人々の心を広く、優しく、豊かにし、争いのない平和な社会を築く為に必要なものです。
一方男女の愛は、人の心を狭く独善的にし、しかも残念なことに、この愛は永遠に続くものではありません。熱しやすく冷めやすい性格のものなのです。その上、これまで歴史上知られている戦争も、この種の偏狭な愛が原因で勃発したことさえあったのをあなたは知っているでしょう?そして、この一見些細ともいえる独占愛が原因で、大帝国でさえ歴史上から姿を消していったことも--。
  ラムダ国では、昔から人々が「賛美の対象」にしてきた、恋愛感情から人々を解放することが、社会を平和にする最も根本的な解決法だと考えたのです。
つまり個人的な恋愛感情から性行為をすることを排除する方策が考えられたのです。
今では、この国では、男も女も、支配者も被支配者も、誰も、もちろん私でさえ異性の心を独占したいとは思わないのです。
このルールが徹底されたおかげで、この国では、どれ程多くの人々が救われてきたか分かりません」
 「なるほど、しかしこの国では、男には女を選択する権利も、愛する権利も奪われています。しかも“性の儀式”では男は目隠しされているので、誰とセックスしているのかさえ分かりません。男にとって、とても不利益なルールではないですか?私には、誰もが納得するルールとはとても思えません」と強い口調で答えますと、それに対してパトラは「先程、ルールと言いましたが、あなたの考えているルールとは少し違うかも知れません。私達のルールはもう既に人々の遺伝子の中に根付いているのです」と言うのです。さらに、性行為に関して、女が相手を自由に選ぶ、そして男は誰とセックスしているか分からない、この形式こそ人々を“性の呪縛”から解放する最善の方法と考えているのです」続けて「性行為は本来物質的と言うより、もっと精神的な要素に左右されることが大きいのです。だから恋愛が時に男女間のトラブルの大きな原因になってきたのです。この国の性の風習はそこから人々を解放する為に役立ってきたのです」とたたみかけるように「しかしこの国では男も勿論女から選択されるよう絶えず努力しなければなりません。」と答えるのでした。
 私はパトラの言う、国によって規制された“愛と性”に関する制度には、なお疑問が残るのでした。
人類に見られる遺伝的多様性の重要性、それは男女の自由恋愛と自由な性行動に基づいて実現されてきたという歴史的事実から考えてみても、この人間存続に最も基本的とも言える自由な意思に基づく恋愛行為を外から封じ込めることが本当に正しいと言えるのか?集団遺伝学的な観点から考えても、とても納得出来る話ではありませんでした。

壁画は、何時の間にか夜の風景に転じていました。対岸には、凹凸に並ぶ墨絵のような建物から仄かにもれ出るオレンジ色の光が、暗闇の地上と、深く広く三次元的な広がりを見せる星空の境界をくっきり印すかのように放射され、そのシルエットはあたかも少年時代によく見た懐かしい影絵の動画を見ているような印象を受けるのでした。
 一方風が強くなり、大きくうねる波が海岸に打ち寄せる様は、私がアルコールに酔っていた所為(せい)もあって、印象派の巨匠が描いた豊満な肉体の裸婦が、あたかも生きて艶(なまめ)かしく、動いているかのように見え始めたのです。私にはもうパトラと議論する理性は残されてはいませんでした。
 私がパトラに顔をそっと近づけますと、彼女は優しいキスで答えてくれる。さらに彼女のドレスの下へ手を滑り込ませましても、抵抗もなく私の動きを助けるようにさえしてくれるのです---そして最後にはパトラは自然の姿を見せてくれたのでした。 
彼女の日頃の機敏で男性的な様子からは、想像もつかない、女らしい形のよい胸の膨らみ、引き締まった腰、ふくよかな太腿が、薄暗闇に浮かび上がってきたのです。それは生きた女神のようにさえ見えるのでした。腰に手を回しますと、どっしり厚みのある体に柔らかい肌---女らしい繊細さの中にも重量感あふれる女性の感触が伝わってくるのでした。
私が首筋から胸そして腰から太腿へと唇を移動しますと、パトラは目を閉じ、時に力を抜きます。その度に私の腕にパトラの体重がかかってくるのです。が、私が上から抱き締めようとしますと“ダメ”と堅い拒絶反応を示すのでした。
パトラの体から発散される、誘うような甘い香に私は惑わされ、重心を失いベッドに倒れ込みました。すると彼女は私の堅く屹立(きつりつ)する敏感な部分を探りあて、悪戯っぽく刺激する。
 私の苛立ちがつのり再度彼女を抱こうとしますと、やはり“ダメ!”と身をよじり「これ以上は性の儀式に参加しなさい」とかすれ声で言うのでした。
 

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 これまで、私はラムダ国の風変わりな性習慣について紹介してきました。皆さんは恐らく単に風変わりな習慣だと思われるだけかも知れませんが、それだけではありませんでした。(これは遺伝子工学を使った人間の進化を推進する過程の第一歩にすぎなかったのです。この点については、何れもう少し詳しくお話するつもりです)
 それ以外にも、この国の風習、習慣に私は戸惑うことばかりでした。この国の人々生活の流れは家族単位ではなく、社会単位で整然と合理的に運営されているようでした(独身の私にとって、また一人の研究者としても極めて働きやすく、そのことに対し不満を述べるつもりはありません)。その上この国では、政争、権力争い、犯罪、詐欺や裏切りといった、何時の時代でも人間社会がある限り普遍的に存在してきた人間の悪の行動原理、また社会にあっては、人間の諍い(いさかい)や軋轢(あつれき)といった精神的に悩ましい複雑な人間関係は存在しないのでした。
 こんな文明の進んだ国で、なぜ私達の人間社会によく見られる複雑な社会問題が発生しないのか?不思議で薄気味悪くさえ感じるのでした。
勿論、この国は王政で、すべての権力がパドラに集中していましたが、彼女が実際に権力を行使する場面を見たことがなかったのです。その上この国の人々が、自分の仕事に、不満を表明することもなく完璧にこなしていたのです。パドラの命令には絶対服従ではありましたが、だからと言って、人々には彼女に反逆しなければならない理由もなかったのです。
 この国の経済は“完全な分業システム”でした。しかし誰が彼らの仕事を決め、誰が経済を動かしているのか分かりませんでした。
 少なくとも、個人の自由意志で彼等が職業を選択しているようには見えませんでした。又彼らの職業選択にパドラが関わっている様子もありませんでした。
誰が命令する訳でもないのに、人々は日々自分達の仕事を粛々とこなしていました。

 ある日、私が自分の研究室で実験していますと、ローマ帝国戦士のような鎧・兜に身を固めたアレクが、緊張した面持ちで実験室に飛び込んできたのです。
「如何かしたのですか?」と尋ねますと。軽く頷いて「女王があなたをお呼びです」と何時もと違った厳しい口調で答えました。
 私は、この国の海岸でオメガ国の戦士に襲われた時、アレク達に救われたことがありましたが、あの日以来、こんなに凛々(りり)しいアレクを見たことはありませんでした。
パトラの話によりますと、ラムダ国とオメガ国は既に戦争状態に入っていて、両国間では、現在激しい消耗戦が繰り広げられている。(しかし両国が戦っている戦場を、私は実際には見たことがなかったのです。だから両国がどんな戦争しているのか実感がありませんでしたが)パトラはそれを“海戦”と表現するのでした。
 その日、パドラは私に、戦士としての立場からではなく、科学者の立場から、戦争の現況をよく把握するように命令を出したのです。
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私には戦争体験がなく、戦争に関しては軍人の体験談や映画などによる観念的な知識しかありませんでした。その上“海戦”がどんな戦いなのか、これまで聞いたことも、見たこともなく、想像することさえ出来ませんでした。
潜水艦や軍艦などによる戦争場面も思い浮かべてみましたが、この国は地下国家でしたから--。少なくともこの国の海に軍艦が走る姿を見たことがありませんでした。勿論地上で戦車や、軍隊が実際に行軍する姿はなかったのです。


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