ジョージ北峰の日記
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2010年02月08日(月) オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム

 この国は、古代の文化を継承する一方で、私の想像をはるかに超える超近代科学技術をも所有していたのです。
 私に与えられた実験室は、これまで私が所属してきたどんな研究所より、はるかに優れた設備と充分な数の助手が用意されていました。
私のラムダ国での研究テーマは“体外受精による、生物の品種改良”でしたが、実際は、あのウイルス(μ)を使った“人間の改造実験の遂行”でした。
いかに興味深い研究とは言え、人のゲノム(遺伝子)に人工的変異を起こさせる研究には道義的責任があり、研究者は慎重を期すべき、と考えていましたので、パトラに「この研究は人道に反するのではありませんか?」と反対意見を述べましたが、彼女は耳を貸そうとしませんでした。私が「それなら、あなたの希望に沿う別の研究者を探すべきだと思います」と言いますと、彼女は困惑した表情を浮かべ「いずれ、あなたに本当のことをお話しすると思いますが、今は黙って私の命令に従って欲しいのです。これは強制ではありませんが、ただこの研究を中止すれば、最悪のシナリオとしていずれ人類が滅亡することになるかもしれないのですよ」と落ち着いた、しかし諭す(さとす)口調で話すのでした。
 ある夜、私は自分自身の考え方とラムダ国が要求する研究との間にある乖離(かいり)、一方では恵まれた研究環境、さらに美しいパトラに対する思い、それに---離れて久しい懐かしい故国のことなど悩ましい思いが次々頭をよぎり、寝付くのが困難でした。
さらにもう一つ心配事が増えていました。
私が留学してまもなく、A国では大事件が勃発していました。自爆テロによる超高層ビル破壊と言うビッグニュースです。それは人類がこれまで歴史上経験したこともない、まさに世界を凍りつかせるニュースだったのです。たった一人のカリスマ教祖に共鳴した“いわゆる”テロリスト集団(国境を越えた軍事組織)が犯したこの暴挙は(それが意図されていたかどうかは別としても)単なる“犯罪”で済まされない意味を含んでいました。
 科学文明が進んだ現代では、僅かな人数と雖(いえど)も、化学兵器、生物兵器、いや原子力兵器さえ保有可能で、彼等が、その兵器を手に入れさえすれば、彼等の力による世界支配が可能になることを示唆していたのです。場合によっては、姿が見えない少人数のテロリストさえ地球を破壊することが可能になっていたのです。科学の進歩は21世紀の初頭にそんな段階にまで達していました。
 私はそのニュースのことが少し気懸かりになっていたのです。
ラムダ国がテロリスト国家ではないか?と---。
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ある夜、私は密かに地下の要塞から、地下通路をつたって、外へ抜け出しました。外は入り江になった海辺で、月明かりで鮮やかに輝く白い砂浜が目に飛び込んで来ました。そして背後には熱帯の木々が、黒いシルエットの様に浮かび上がっていたのです。
浜辺に白い波がゆったり打ち寄せる様は、まるで北斎の浮世絵を見ているような印象を受けるのでした。
この地下都市国家には、人工的な灯り(あかり)を発する建物がありませんでした。だから月の光が波間にきらきら映る様は、殊さら眩(まぶ)しく、幼少時代、母と手をつないで歩いた海辺を思い出させるのでした。
あの頃と同様、星もすっきり輝いて見えました。
母が時折話してくれる怪談が恐ろしく、固唾を呑んで、母の腕にしがみついた頃が思い出されるのでした。
 そんな母と暮らしていた幼少時代が懐かしく、感傷的な気分も手伝って、浜に腰を下ろして、波打ち際を緩やかに洗う波の音に耳を傾け、草笛を吹こうかと思った時でした。
背後に人の気配を感じ、私は反射的に立ち上がっていました。しかし、相手は(如何して私の行動を知っていたのか分かりませんでしたが)パトラでした。彼女は、女格闘家が身に着けるような、黒い短パン、黒の袖なしジャケット、それに腰には短剣を帯びていました。
私は、感傷気分に浸っていた自分の姿を見られたのが照れくさく、一方では少し嬉しかったこともあって「まるで格闘家のようですね」と笑いかけますと、彼女は真顔になって「一人で海岸を散歩するのは危険ですよ! でも、あなたは反射神経が優れているようね」と言い、傍に座って腕を絡ませてきました。
 私はラムダ国に来たことを、それ程怒ってはいませんでした。喜んでいたと言ったほうが正しかったかもしれません。
しかしだからと言って、この国の研究テーマ“人間の品種改良”は全く“危険なこと”にしか思えませんでした。いずれ彼女に私の考えを理解し納得してもらおうと思っていたのです。
 今、パトラが私のすぐ傍に体を寄せて座ったのです。そして私の手をしっかり握り締めてきました。
 彼女は私を抱き締めるように、首に腕を回しながら顔を近づけてきました。私は胸の高鳴りを感じながらも、自分の思いを話そうと、彼女と目を合わせた時、彼女が少し緊張しているのに気付きました。月明かりでガーネット色の彼女の瞳は豹の目のように青く燃えていたのです。それは優しい愛の光ではなく、閻魔王の目から発する恐ろしい光だったのです。
 私がクラクラと眩暈(めまい)がした瞬間、彼女は私を突き飛ばし「身を伏せて!」と小声で叫びました。
 と、静かな海がざわめいたかと思うと同時に、二人の黒い影が彼女に襲い掛かっていました。一瞬の出来事でした。しかし彼女は軽く身をかわし、一人目を蹴り倒し、もう一人を投げ飛ばしていました。すると、息つく暇もなく、もう三人の黒い影が海から飛び出してきたのです。彼らは剣を引き抜いて彼女に切りかかりました。彼女も短剣を引き抜き応戦、左右に身をかわしながら、一瞬の隙を見て相手の剣を叩き落す。まるで映画の剣戟を見ているようでした。しかし残る二人にパトラは苦戦していました。二人が前後から切りかかる。彼女はなんとか、かわしていますが「勝負がつきそうもない、危ない」と、それに彼女が疲れるのではないかとハラハラし始めた矢先、彼女が足元の石にバランスを崩したのです。私は一瞬ヒヤリとしました。
「駄目だ!」
私が我を忘れて、パトラ助けに飛び出そうとした時でした。
別の二人の黒い影が、彼らの前に立ちはだかっていました。
「ああ!」と私は一瞬息を呑みましたが、彼らは敵ではありませんでした。パトラを護衛する近衛兵だったのです。
 二人の剣捌きは見事でした。瞬く間に敵を波打ち際に追い詰めていました。
 ついに敵は戦意を喪失したのか、慌てて海に飛び込み、そのまま姿を消してしまいました。
 当時の私には想像もつかない恐ろしい世界でした。実際の戦(いくさ)を知らない私は、ただ唖然とするばかりでした。それにしても、今夜のパトラの何者をも恐れない、機敏で、精悍な動きはとても女性、いや人間業とは思えませんでした。私の知っている日頃のパトラとはうって変わった、恐怖さえ感じさせる動物の様な姿を見せたのです。
私はすっかり感動していました。
彼女には、女王としての風格(オーラ)があることを、改めて認識させられたのでした。
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 ラムダ国は、私がこれまで現実に見てきた国とは(過去及び現代を含めて)あまりにもかけ離れた存在でした。この国は、王制にもかかわらず、国民や主従間に争いがなく、すべての人々が自分の仕事に忠実かつ活動的で、私のような外国人でさえ、理屈抜きに住み心地の良い国でした。
この国へ来てからは、まるで御伽噺(おとぎばなし)の浦島太郎になった気分で、私の好奇心は絶えず刺激され、興味が増すことがあっても、退屈することはありませんでした。
それに(随分身勝手なことかも知れませんが)研究設備が充実していた上、スタッフが優秀でした。
 その頃、私は研究室で、ある染色体の標的部位に、外来ウイルス遺伝子を挿入する実験を繰り返していました(この方法の詳細は、読者の皆様にとっては興味のない部分と思いますので省略いたします)。これが成功すれば、膨大な数の遺伝子を含む染色体上のある標的遺伝子近傍に特異的に新しい遺伝子が挿入出来るのです。しかし私が意図する研究は当時技術的・理論的にまだ難しい時代で、絶望的とも言える結果の連続に私は相当まいっていました。
 ある日、「何か新しいことは?」とパトラが二人の近衛兵を連れて実験室に訪ねてきました。私が、何も言わず、顔を左右に振りますと「少し気分転換したほうがよいのでは?」と、近衛兵の方に振り返りながら彼等に同意を求めました。
 ところで、此処で新しい登場人物を紹介しておきましょう。
勿論彼等は、月夜の浜辺に現れ出た二人の近衛兵達のことです。私は一人をアレクと呼ぶことにしていました。その理由は、彼は色白で、金髪、端正な顔立ちをした若者で、これまで私が読んだ歴史物語や映画で見た、若くて凛々(りり)しい勇敢なアレキサンダー大王に似ていると思ったからです。彼の瞳はコバルトブルーに輝き、童顔で、若さ溢れる風貌の戦士でした。身の丈は、同国としては平均的な1.8メートル程度でしたが、ひとたび戦になると、金髪を振り乱し悪魔のように戦う阿修羅に変身するのでした。
そしてもう一人はベンと呼ぶことにしていました。彼は赤銅色の肌、胸板が厚く、筋肉が仁王様のように発達し、2メートルを超える大男で、髪は黒く、瞳はパトラと同じガーネットのように赤く燃えるように輝いていました。彼は戦にあって戦士たちを指揮しながら自(みずから)も戦う総大将でした。私も身の丈1.8メートルあって、武道の心得はありましたが、平和な日本で育った私には、彼らに備わる戦士としての風格に欠けているように思いました。
その後、彼等にはラムダ国で色々と助けられることになりました。
この日彼等から聞いた話は、私はタイムスリップして、過去の世界に逆戻りしたのではないか?と、疑いたくなることの連続でした。
 ラムダ国以外にも、オメガ国があり、現在交戦中で、まもなく両国の存続をかけた大規模な海戦があると言うのです。10年前にも両国間に戦争があったが、その時は若い王女パトラ、総大将ベンが率いるラムダ軍がオメガ軍との戦に勝利したのだそうです。
当時パトラはまだ女王になったばかり、アレクはまだ少年だった。それは壮絶な戦いで、最後は相手国の女王とパトラの一騎打ちで勝負がついたのだと言うことでした。
2人の戦いは長時間に亘る暗闇の戦いでしたが、夜の視力・体力に勝るパトラに軍配が上ったと言うのでした。
この話に及ぶと、パトラの目に少し涙が浮かぶのが分かりました。
 話の中で、私がよく分からなかったことは、彼等がよく使う“海戦”という言葉の意味でした。
今回の戦では、パトラやベンに加えて、豹のような獰猛さを見せるアレクが参戦する。「心強いですね」と、私がパトラに話を向けますと、パトラが「アレクは目の色からも分かる通り夜の戦いが少し苦手なので心配です」と不安を語るのでした。
これまでの話から判断していただけると思いますが、同国の人達の間には遺伝的素質にかなり大きな差が見られました。
自然界に見られる生物の一集団としては考えられないほどの遺伝的素因の構成に格差があったのです。それが遺伝学者として、私には興味が湧くのでした。
ラムダ国の酒場は落ち着いた雰囲気で、いろいろ工夫を凝らしたデザインのテーブル、繊細な彫刻が施された椅子やソファーが適度に配置され、3方は(素材として何が使われているのか分かりませんが)一見煉瓦造りのような壁に囲まれていました。中央に噴水を備えた泉水、奥の壁には、私が過去見たことがない剥製の動物がガラス張りの陳列棚に飾られてありました。横の壁は書棚、そして圧巻だったのは前方の壁がすべてガラスで出来ていて、部屋全体があたかも海底水族館にいるような印象を受けることでした。海水は透明度が高く、瑚礁や熱帯魚等の景色がホールから遠く広がっていく様が、ガラス越しにはっきり見て取れるのでした。
バーに足を初めて踏み入れた時、私はその光景に驚きましたが、何故か“ほっと”心の安らぎも憶えるのでした。床には深緑色の絨毯が、椅子には滑らかな、柔らかい毛皮のような敷物が敷かれていました。色とりどりの熱帯魚が忙しく泳ぐ様は、まるで人魚の舞いを見ているようでしたが、夜は、仄明るい光でライトアップされ、海底が深青色を帯び、ガラス壁には紺色のカーテンが掛けられたようで、少し不気味な雰囲気さえ漂っていました。
時折鮫のような大型の魚が間の抜けたような顔を覗かせることもあって、苦笑することもありました。
 この国には家族という概念がなく、国全体が言わばミツバチの世界のような1つの家族を構成しているようでした。仕事を終えた人々は夜のひと時を思い思いにレストランで食事を楽しんだり、バーでアルコールをたしなんだり、ゲームや賭け事で楽しむことが出来ました。女性たちが装飾品、化粧品などをそろえる際にも、お金は必要ありませんでした。
かといって原始社会のように物々交換の社会でもありませんでした。必要なものを、必要な時に手に入れることが出来たのです。
仕事場は分業がしっかり守られていていました。しかし、ひとたび仕事場を離れると、職業間に差がなく、社会的平等が保障されていました。私の知る限り、犯罪はありませんでした。法体系も実に簡単で、その意味では単純な原始社会に似ていると思いました。私達の国のような、資本主義体制とか共産主義体制と言った社会体制はありませんでした。
 バーで私達4人が話していますと、若い女の子が賑やかに割り込んできました。お目当てはアレクのようでした。アレクは色白で愛くるしい王子様の様な顔立ちでしたが、服を脱ぐと、まるでギリシャ彫刻の様な逞しい体の若者でした。彼女達は彼の大理石の様な肌を、愛(いと)しそうに擦(さす)ったり、キスをしたり、腕や太腿を抱いたり、気を惹こうと真剣でした。彼女達の愛の表現に、恥じらいが微塵もなく、きわめて直接的なのでした。
  パドラは笑顔でアレクに席を下がるように命令しました。アレクがベンの方へ振り向きますと、彼は「どうぞ」と言わんばかりに肩をすくめるのでした。
私は一瞬“性の儀式”のことを思い出し全身が火照る(ほてる)のを感じました。
 
私はオメガ国との戦争の理由について興味がありましたが、それより何より、この国が一体何処にあるのか、又民主国家でもなく、封建国家でもない王制国家が如何して成立したのか等についても大変興味がありました。
 パドラもベンも国の起源については詳しいことは知らないようでしたが、彼等の話を総合すると、以前この国は科学技術が進んだ文明国家だった。しかし当時の文明国は、政治は腐敗、民心は堕落、貧富の格差は拡大、救いがたいほどの社会紛争、民族紛争、宗教紛争が頻発、先行きに希望を持てそうもない状況が続き、人々は国に対して疑問を抱き始めていました。そして一度政治体制を破壊してみてはと考えるようになった。
しかし幸か不幸か、この国に地球のプレートの大移動に伴う巨大地震が発生し、大陸は四分五裂、当時巨大だった国家が崩壊しました。
そして残された小さな島々に運よく生き延びた人々が、現代のラムダ国やオメガ国のような小さな国家を形成することになったのだそうです。
想像を超える大天災が、新しい政治・経済体制を目指す国家建設によい機会となった。当初、人々が築いて来た腐敗、堕落した文明社会は思いもかけない天災によって破壊され、結果的に原始時代に戻ったと言うのです。
人々が生き抜く為には、全員が一致協力して働かざるをえない状況で、その為に強力な指導者の出現が望まれた。こうした小さな群社会に自然発生的に強力なリーダーが現れ、それが現在のラムダ国、オメガ国などの王制国家建設の基礎になったと言うのです。
その後、これらの国々は個人主義(利己主義)を土台とする国家ではなく集団の意志を大切にする現在のラムダ国のような、特異な王制国家を築いたと言うのでした。
 偶然起った大きな天災で過去の国家体制が崩壊し原始時代がスタートした。ただ私達が知っている原始国家と違うのは、ラムダ国やオメガ国を築いた人々が一度は文明社会を経験していたことでした。
彼等は、過去の国家組織が余儀なく破壊され、腐敗しやすい自由主義・民主主義国家の反省にたって、新たに王制国家を築くことになったが、それは昔ながらの世襲制の王制国家ではなく、人々から間接的に選ばれた数名の候補者の中から能力が本当に王として相応(ふさわ)しいかどうか判断され、最終的に一人選ばれたと言うのです。王には絶対的権力がありますが、失政するとすべての権限は剥奪(はくだつ)され、社会から追放されると言うのでした。
 この話を聞いて、私は現代の大統領制に似ていると思いましたが、パトラに言わせると、法律もなく王を中心に社会制度が組み立てられている点では、広く自然の動物界にも見られる、例えば猿などの社会に似ていると言うのでした。
ただ日常の社会制度としては自由を望む人間の本質的な実存様式まで変えることはなかったと言うのです。  
ただ法も警察もなく、そんな国家がどうして成り立つのか、私にはなお疑問が残るのでした。
「では、女王と言っても、安心していられないのですね」と私が言いますと、パドラもベンも真剣な眼差しで大きく肯くのでした。
 酒場では、私が知らない強い果実酒が揃えられていました。どの、お酒もアルコール度が高いので一気に飲むことは出来ませんでしたが、私が試したお酒は、ゆっくり飲むとまろやかな舌触り、咽喉(のど)もとでとろけるような甘みがありデザートワインに似た味に思えるのでした。


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