ジョージ北峰の日記
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2010年01月25日(月) オーロラ

 


オーロラの伝説
―人類滅亡のレクイエムー

ジョージ北峰



  1) 
  北極圏の自然は、人類にとっていまだ未開の分野で、科学文明が進んだ現代でも、手つかずの儘、わずかに氷河のボーリング探索で地球の歴史を垣間見るか、あるいは又何か恐ろしい物でも見る感覚で極寒に棲む生物の生態に驚いたり感心したりするのがやっとと言う幼い極地認識が私の心の奥深くに住み着いていました。つい最近まで、人が極地で何か事を起こす場合、なお“探検する”と言う言葉がふさわしいとさえ思っていたのです。 
 人々の間でも人類が豊かで、平和な生活を維持し続ける為には極地(南極、北極)は出来るだけ、起こさぬよう触らぬよう避けて通るのが賢明だと考えるのが一般的だったように思います。
  某国の原子力潜水艦が氷河に取り囲まれたまま故障し沈没した時などは、いずれ蒙るかも知れない放射能の2次災害を恐れ人々は大いに怒ったものでした。
  さらに科学が進むにつれ極地探索は別の方向に進み、人類が自然界に垂れ流す夥しい(おびただしい)量の汚染が極地にまで及び、その自然破壊がもとで近未来に遭遇するかもしれない人類の悲劇的終焉(しゅうえん)について真剣に語る科学者が現れてきました。
  紀元前にも似たような話がありました。紺碧(こんぺき)に輝く海、ナポリ湾に面し、オリーブの木々が緑深く茂り、抜けるような青い空、イタリア南部に栄えた平和で豊かな古代都市“ポンペイ”がその最盛期にヴェスヴィオ火山の大噴火で瞬時に埋没した話については、よくご存知のことだと思います。人類が過去に経験した自然災害の中でも、とりわけ大きな悲劇として今なお記憶に生々しく語り継がれてきました。しかし、この話は、人類の科学認識が黎明期(れいめいき)で単に無知が犯した悲劇として(仕方がなかったこととして)人々の脳裏に刻み込まれてきたのです。
  一方、自然に対する科学知識が成熟し自然界に立ちはだかる如何なる困難も最早克服できぬ物はないと豪語し始めた矢先に、今度は逆に人の手によって極地にとてつもない災害がもたらされると言ったニュースが話題になり始めたのです。しかもその悲劇は、皮肉にも科学の恩恵により人類がぬくぬくと生き延びてきたことに密接に関係しているのです。
  しかしこのような現代の話題に刺激を受けた訳ではなく、私は学生の頃から極地に対して、人とは違った憧れ、大きな夢がありました。
極地に取り残されている生物、数千年、数億年の昔、地球上で生を謳歌していた古代生物、それも単に恐竜のような大型の生物だけではなく、むしろ古代微生物と古代大型生物の相互関係、さらに彼等が絶滅した経緯について遺伝子工学を駆使して研究してみたいという想いがあったのです。ダーウインが打ち立てた進化論とは違った視点から新しい生命論が生み出せるかもしれないという考えがあったからです。
 勿論オーロラのような美しい宇宙レベルの自然現象に興味がなかった訳ではありません。北極圏の凍りつくような氷の世界、暗黒の冬空に、突然展開される赤、黄、緑の光がおりなす自然界のドラマ、 “オーロラ”それは昔の人々にとって、神か悪魔がなせる業、祭典か儀式の様な認識しかなかったのではないでしょうか。それは時に吉兆あるいは又凶兆だったかもしれません。だからオーロラにまつわる伝説は、これまで数えきれないほど多く語り継がれてきたのです。私も少年時代そんなオーロラの持つ神秘性にも惹かれていました。
しかし、オーロラ発生のメカニズムが科学的に究明され、その神秘性が失われ、人々の観光資源に成り下がろうとしていました。オーロラは太陽の爆発によって流れ出した陽子や電子が、真空中で色々な原子(例えば窒素、酸素、水素など)と衝突し原子のエネルギーが急激に膨張、そして収縮する(失われる)、その時に生ずる放電現象と解明されたのです。
如何なる不思議な現象も一度科学によって解明されてしまうと、夢がなくなるものだと嘆いた記憶が、染みのように私の心に張り着いてしまいました。
  物理学的自然界は本来、永劫不変の存在ではなく何時かは形を変え消滅してしまう。しかも太陽が、何時かは燃えつき、地球上の生物(自分も含めて)もことごとく消滅してしまう。人類の行く末は、 “いずれ無に帰し、滅びてしまう”と知った時の絶望感は言葉では表現できないものでした。
それ以来私は、物理学を基礎にした極地の宇宙研究を諦め(あきらめ)、極地の古生物研究の方に目が向き始めたのです
  2)
  医科大学を卒業して臨床研修はほどほどに基礎医学の観点から古代微生物の研究を進めようと、まず病理学研究室の門を叩くことにしました。病理学は人間や動物の解剖を通し、病気の原因や成り立ちを科学的に解明する学問で、臨床医になる医学生にとっては、少し特異な分野なのです。病理医は、病気の診断や原因の究明に携わることがあっても、病気の治療には直接関与することはありません。
  私は子供の頃から、人間関係が重視される臨床医に向いているとは思っていませんでしたので、医学にこんな分野があるとは知らなかったので “渡りに船”で一生の仕事として医学を専攻した幸運に感謝したものでした。
  一方、当時文明が進むにつれ治療困難な恐ろしいウイルス感染症が異常に多く発生、人類が新しい型の感染症に侵される危険性が話題に上るようになっていました。しかもこれ等の感染症の発生もまた、人類が恩恵を受けてきた科学文明の進歩と無関係ではないのです。
当時、戦争や自然災害だけはなく科学の進歩が原因で直接又は間接的に新しい微生物感染症が発生し、逆に人類が彼等の攻撃を受ける可能性が高まると考える科学者が増え始めていたのです。
私は古代生物の絶滅のシナリオと、世界中に頻発する「微生物界の変化」とは同一次元の話ではないかと疑いを抱き始めていました。
さらに「微生物界の変化」を研究することは、単に古生物絶滅の陰に潜む謎(古代ウイルスの役割)を解明出来るばかりでなく、地球上の色々な生命体の起源や未来を考える上で重要な鍵が得られるのではないかと考えたのでした。

  3)
  私の学位論文は、人に感染する動物ウイルス“δ”の変異(ウイルスの攻撃対象になる細胞が変化すること)を病理学的に研究・解明したことでした。
私のウイルスの変異に関する論文が発表されてまもなく、A国の動物ウイルス研究で有名なS研究所から共同研究を要望する知らせが舞い込みました。
 最近話題になる新しいウイルス感染の大半は、もともと動物のウイルスで、本来人間には感受性がなかった。又たとえあったとしても地域限局型だったが、今では家畜の品種が広がりそれらが世界中を移動、又世界経済のグローバル化がきっかけとなって、ある種のウイルスに対して抵抗性のない人が世界中を旅行、地域限局型ウイルスに感染、方々に運搬するようになり---その結果、色々なウイルスが世界的広がりを示すようになったのです。
私の研究テーマは、これらの新ウイルスの変異に関する研究でした。
私が本来目指していた古生物ウイルスの感染対象は爬虫類でしたので、古生物ウイルスの分離培養には当然爬虫類の細胞を使う方が望ましい。しかしそれは実際上困難でしたので、当面爬虫類に近縁の鳥類の細胞を使い始めていました。それは古生物ウイルスの分離には鳥類の細胞が威力を発揮するだろうと予想していたからでもありました。
偶然にも鳥類の細胞を使ったことがウイルスの変異研究に成功した大きな理由だったのでした。しかしA国に招待されたのは、古生物ウイルスの研究のことではなく、私がこれら鳥類の培養細胞株を使って、新しい病原ウイルスの変異に関する研究に成果を挙げていたことでした。

  4)
  ワシントンのLホテルで開催された、国際ウイルス学会で私達のグループが発表した“動物を肥大化させる”奇妙なウイルス発見のニュースは世界の学者の注目を集めるところとなりました。最近、北極圏に棲んでいる、または棲んでいた人々の男性に、偶然にしては不自然なくらい高頻度に精巣癌の発生することが話題になっていたのです。 今回、私達がその癌の発生に、あるRNAウイルスμが関与していると特定、さらにそのウイルスの分離に成功したことが注目されたのですが、私達の実験でさらに注目されたのは、そのウイルスに感染した二十日ネズミの子孫に巨大二十日ネズミ(猫に匹敵する大きさ)が誕生したことでした。つまり今回の研究で科学者が注目したことは、二十日ネズミを使った実験でμウイルスが精巣癌を効率に発生させることだけではなく、それ以上に彼等が興味を示したのは、感染ネズミを親として生まれた子孫に巨大ネズミが発生したことでした。この点に、出席者の議論が集中しました。しかし実験の意味するところは不明で、さらに詳細な研究が必要だと言う結論で一致しました。 私が研究発表の中ほどで、巨大二十日ネズミが猫を恐れず、逆に猫が逃げ出す模様を動画で挿(はさん)だところ、出席者は大笑いで、何処からともなく大きな拍手が湧き起ったほどでした。
此処で予備知識として、ウイルス感染について少しお話しておきましょう。ウイルスは人間や動物に感染する時、細菌やカビとは違って感染する細胞に特異性があります。たとえば肝炎ウイルスは肝細胞に感染しますが、腎細胞に感染することはありません。又狂犬病やポリオは神経細胞に感染しますが肝細胞には感染することはありません。このようにウイルスの感染には細胞特異性があるのです。又動物間でも牛や鶏に感染するウイルスは、本来種の異なった猫や犬、人間には感染しません。ウイルスは感染に際しては、動物種をも選択して感染する特性を持っているのです。
しかし時に動物のウイルスが変異して人間に感染する性質を獲得します。すると人間にはそのウイルスに対する抵抗力が全く有りませんので、ウイルス感染が人々の間に爆発的に広がります。
そんなウイルス感染症として、エイズや鳥インフルエンザが挙げられるでしょう。ある種の動物にしか感染できなかったウイルスが変異を起こし人間に病気を起こす---それが世界で話題になっていたのです。
 
学会の最終日には、ホテルでパーティーが催されました。中央には多数のテーブルが用意され、周囲には趣向を凝らした料理がビュッフェ形式で準備されていました。会場は学会の地味な雰囲気からは一変して、女性はそれぞれお国自慢の衣装、目を見張るような赤、青、緑の派手なドレス、又色とりどりの派手なタキシード姿の男性出席者などで熱気に溢れていました。会場の一隅にステージが設けられ、やはり黒いタキシードで改まった雰囲気の演奏家が世界の名曲をメドレーで演奏していました。一方参加者の中には、静かにテーブルで旧交を温めている人もあれば、大声で笑っている人、知っている音楽が演奏されると、屈託なくダンスに興ずる人達がいました。私は人づき合いが苦手でしたので、部屋の隅に位置するテーブルに腰掛け、アルコールを飲みながら、途切れ途切れに、昼間起こった(ショッキングな)出来事をぼんやり振り返っていました。 まさかあのウイルスが、地球上の生態系を破壊、自然界に大混乱を引き起こす可能性があるとは、私自身夢にも思っていませんでした。飲んでいたものの、そのことの意味する重大さに少なからず興奮していました。 
その時、ふと背後に人の気配を感じたのです。何気なく振り返りますと、小麦色の肌、長い黒髪、面長な顔立ちの美しい女性と視線が合いました。彼女には人の心を瞬間的に虜(とりこ)にする魅惑的な雰囲気が漂よっていました。一瞬私の目が彼女に釘付けになるのを確認すると、人なつっこい笑みを浮かべながら近づいて来ました。 “ご機嫌はいかがですか?”と柔らかい、しかし明瞭で理知的な言葉で話しかけてきました。
彼女のエキゾチックな風貌に、初めは東洋人か?と思いました。—―しかし一方、彼女はまるでスパイ映画のヒロインに出てくる女優のようでもありました。目は褐色と言うよりガーネット色の赤みを帯び、優雅な身のこなしの中にも俊敏な雰囲気が漂っていました。黒いドレスを身に着けていましたが、それが彼女の雰囲気にとても似合っていました。あたかも精悍な黒豹の様にも見えました。もしかすると世界の3大美女と言われたクレオパトラもこんな女性ではなかったかと思わせる美女でもありました。
 彼女は今回の私の研究に大変興味がある、そして彼女も某国の科学者で生物の進化と遺伝子の働きについて研究している、さらに何気ない口調で「出来れば、一度私たちと共同研究して欲しいのですが---」と言うのでした。
 「私は、あなたの要請に即座に答えることは出来ません。私のボスの許可を得てください。ボスを紹介してあげましょう。」と言いますと、彼女は、一瞬戸惑った表情を見せ、小声で「私の国では、出来ればあなたを秘密でお呼びしたいのです」と、そして少し間をおいて(何時知ったのか不思議でしたが)「あなたは明日から旅行されるのでしょう?」と囁(ささや)くのでした。「その際、私たちの研究所に少し立ち寄ってくださればとても嬉しいのです」 
私は彼女の話は少し不自然な印象で、「え!」と思いましたが、しかしその時は、それ以上に違和感があるとも思えませんでした。 
会場に目を転じると、パーティーはさらに盛り上がって、周囲の動きは一段と騒がしくなっていました。気がつくと楽団はタンゴを演奏していました。多くの参加者達がリズムをとりながら、思い思いにダンスを興じていました。 彼女は「踊りましょう」と言うと、私を会場の中央に連れ出しました。私は学生の頃、ダンスや日本舞踊などの身のこなしに興味を持っていましたので、ダンスの心得もありました。すぐ踊りの輪に溶け込めましたが、彼女は想像以上に踊りが上手で、プロのダンサーか?と思えるほどでした。ドレスの割れ目から、時折覗く豊満な肉体を想起させる太腿、ドキッとさせる色気に私は圧倒されました。が、周囲の人々も、彼女の雰囲気に圧倒されたのか踊りを止(や)め、私達の踊りに注目し始めました。音楽が終わると、一斉にアンコールの拍手が沸き起こりました。すると、今度は一転して静かなメロディーの “深海に棲む真珠貝の囁き”が演奏されました。 シャンデリアの明かりが消され、会場が暗くなったかと思うと、私達2人が赤・青のスポットライトに浮き出されていました。しかし、彼女のひるむことのない、全身から溢れ出るような鬼気迫る迫真の踊り、切なく情熱的な眼差(まなざ)し妖艶ともいえる色気に、私はいつの間にか彼女の世界に引きずり込まれ、周囲のこと、自分の立場を忘れ、彼女にリードされるがまま夢中で踊っているのでした。 演奏が終わると、その時の会場がみせた粋なはからいに、再び嵐のような拍手が湧(わき)起こるのでした。 
私はすっかり興奮していました。私達が席に戻ると、ボスが背の高い、品の良い白髪の研究者と談笑しながらやって来て「君にあんな才能があるとは知らなかった。紹介しょう。」と、彼の方を振り向きながら「世界的に有名なウイルスを発見したT博士だ、われわれの研究グループのエースだ。」と言い、私を見ながらウインクしました。そして彼女の方に軽く一瞥すると挨拶もしないで、小声で「この国の女性には気をつけろよ。」と囁くように言うのでした。その雰囲気が、レディー・ファーストの国として少しなじまない印象でしたが、構わず私は「明日から1週間、北極にオーロラを見に行きますのでよろしくお願いします」と言うと、彼は機嫌よく「そんな短期間ではなく、もう少しゆっくり休暇をとってもいいのだよ」と言ってくれたのでした。 それから2人は私達を残したまま立ち去って行きました。
 ステージでは人の声とはとても思えないほど張りと厚みのある声で、テノール歌手がイタリア民謡を独唱していました。会場は静かになり人々は美声にうっとり耳を傾けたようでした。美しい女性、心地よい音楽、強いアルコール、その夜私の理性は何処かに吹き飛んでいました。彼女は自称キャシーと言いましたが、魅惑的な赤い瞳で私を正面から射るように見つめ、「K国へオーロラを見に行くのでしょう? あなたは“オーロラの伝説”を知っていますか?」と唐突に質問を投げかけてきました。「少しはね。しかし本当は北極圏の自然、歴史、生物界の秘密等に以前から興味があって---今回のウイルスの発見も私の北極圏に対する興味と無関係ではないですよ」と答えますと、彼女は何気ない風に笑顔を見せ「一人旅をなさるのは気をつけたほうが良いですよ。私も北極に行きます。ご一緒しましょう」と悪戯っぽい笑顔で誘うのでした。
その時彼女の頬がほんの少し染まったように見えました。初めて見せるこの彼女の初心(うぶ)な表情と全身からあふれ出る成熟した雰囲気がアンバランスで、それが又神秘的で、話すうちに私は彼女の魅力に獲りつかれているのでした。
 そして「本当ですか?」と!私は彼女と踊って、話しているうちに、どうしたことか切なく、制御できそうもない恋心が竜巻のように渦巻き始めていたのです。
だから、彼女の誘惑の囁き(ささやき)が、私にはどれ程、優しく、心地よい響きに聞こえたことでしょうか。
それまで私は、こんなに簡単に気持ちが舞い上がるとはなかったのです。この国では、研究が成功するまで、恋のような余計な雑念は心の奥深くに締まっておこうと決心していましたから。しかしその夜、私は女性が恋しく、理性の箍(たが)がはずれ、欲情の坩堝(るつぼ)にはまろうとしていました。
その理由は、私にも分かりませんでした。それまで私が経験したこともない、不思議な魅力を発する女性に出会ったからかもしれません。あるいは予想以上に私の研究が高く評価され、気持ちが驕(おご)り、昂ぶっていたからかもしれません。
  
 


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