ジョージ北峰の日記
DiaryINDEX|past|will
2008年05月05日(月) |
オーロラの伝説ーー続き |
XXII パトラの戦いは勝つか負けるかのゲーム(試合)ではなく、生死を決める戦いだった。勝負を賭けた試合を一度でも経験した人なら誰もでも分かることだと思うが、例え一分間の戦いと雖も(いえども)想像もつかない速さで神経が磨り減っていくのを感じたことがあるはずだ。 柔道のオリンピックの試合でも、見ている方は短く感じるが、選手の方は、恐らく無限の時間が経過しているように思えているに違いない。互いの実力は、対戦してみればすぐ分かる。力が接近していれば、一瞬の油断が対手の思う壺にはまり、自分の敗北を誘う。もしほんの少しでも実力差を感じた時は、間違いなく自分が敗北を喫する時である---と!
だから生死を賭けた試合となれば、決して実力差を意識してはいけない、無駄な神経をすり減らしてもいけない。 宮本武蔵が言った無念・無想とはそのことだと思う。冷静に、勝つことだけを考える、対手に怖れを抱かせることがあっても、自分が怖れを感じてはいけない、仮に自分が劣っていると直感しても、自から逃げてはいけない(いやそんな気持ちを持つことすら自分に許していけない)。 勝つことだけに神経を集中する。 勿論、例えたった二人の戦いと雖も緻密な戦略を立てる能力が要求されるが---。 女王同士の戦いは私には想像を絶する精神力と体力の消耗戦のように思えた。パトラが倒れてから随分時間が経過したように思えた。しかし対手の女王は動かない。周囲の戦士達も静かにしている まだパトラが負けた訳ではなさそうだ! 私には赤と青の光以外に何も見えないので、戦いの状況が判断できない。 全身から汗が噴出してくる---そして冷たい体の中を風が通り過ぎていく。
私は、子供の頃スズメバチと熊蜂との戦いを見たことがあった。 スズメバチも獰猛で決して小さな蜂ではなかったが、それでも熊蜂に比べると一回り小さかった。 ほんの数匹の熊蜂がスズメバチの巣に止まると一斉にスズメバチが襲い掛かる、激しい戦いが始まった。勝負の行方は初めから決まっていた。 熊蜂は押し寄せる相手を瞬く間にぶちきっては次から次へと巣から落としていく。まさに取っては投げ千切っては投げという状況だった。 さすがにスズメバチ達も後退り(あとずさあり)し始め熊蜂の周囲に大きく取り囲む、すると熊蜂は傍若無人に巣の中央に大きな穴を開け始めた、我慢しかねたスズメバチが再度攻撃を仕掛ける、しかし無残にも次々胴が切り離され、戦士蜂の死骸が塊となって落ちてくる、やがて巣の中央に大きな穴があけられた。すると熊蜂は夥しい数のスズメバチの攻撃を物ともせず、巣穴からスズメ蜂の子をぶら下げては悠々と連れ去って行くのだ。 昼頃から始まった戦いは夕方頃には終わっていた。そして--勇敢に戦ったのスズメバチの戦士達はなんと皆殺しにあっていた。そして子供たちは一匹残らず連れ去られていた。 あの獰猛なスズメバチ(ミツバチならいざ知らず)がこんなに簡単に負けてしまうとは夢にも思わなかった。 私は何故か悔しさのあまり泣いた。例え虫達の戦いであってもスズメ蜂には幼い子供たちを守ろうとする崇高な心が宿っているように思えたからだ。 戦の後、死んだ蜂たちの中に混じってひときわ大型の蜂がひっそり死んでいた。私は当時この蜂こそが女王蜂だろうと思った。判官贔屓(ほうがんびいき)もあってか、私にはスズメ蜂達が哀れで可哀想で--自然に涙が溢れてい た。あの時ほど、熊蜂の存在が憎らしく思えたことはなかった。もし彼らの居城(巣)が分かるなら、スズメ蜂の無念を晴らしてやりたかった。(無論その事が不可能なことは分かっていたが---) あの蜂同士の壮絶な戦いを、私はいまだに忘れることは出来ない。
ラムダ国とオメガ国の戦(いくさ)はまさに蜂同士の戦いのように思えた。 「パトラが負ければ、ラムダ国の子供達は連れ去れてしまうのだろうか?」 「ベンやアレクのような戦士たちは一体どうなるのだろうか?」 パトラが倒れた時、そんな不安が一瞬頭の中をよぎった。
静かな波の音が海の方角から聞こえてきた。海側のUFOの青い灯りがゆっくり揺れている。一方陸地の赤い光は全く動かない。
ただこの時、空が動き始めた!! 不思議なことに空から星が雪のように降り始めたのだ!!
|