ジョージ北峰の日記
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2005年03月06日(日) オーロラの伝説ー続き

II
 医科大学を卒業して、臨床研修はほどほどに済ませ、基礎医学の観点から古代微生物の研究を進めようと、まず病理学研究室に所属することにしました。もちろんその最終目的は古代生物、とりわけ微生物の進化の研究を(遺伝子組替の技術を用いて)進めることでした。
その頃私は恐竜などの古代生物絶滅の理由に古代微生物の変異が密接に関与したのではないかと言う漠然とした仮設を抱いていたからです。
 病理学は人間や動物の解剖を通し、病気の原因や成り立ちを学問的に解明することを目指した学問で、治療が目的である臨床医になろうと考えている医学生達にとって、少し特異な分野でした。  
病理医は、科学的分析手段を用いて、色々な病気の診断や原因の究明に携わることがあっても、病気の診療には直接関与しないのです。
 私は子供の頃から、ヒトとヒトとの人間関係が必要な臨床医にあまり向いているとは思ってなかったので、医学にこのような分野があるとは、それこそ“渡りに船”−−いや、むしろ積極的な意味で一生の仕事として医学を専攻した幸運に感謝したものでした。
臨床医になった時に遭遇する色々複雑な人間関係、場合によっては社会問題にさえ発展しかねない現代世相の状況を鑑(かんが)みる時、本当に自分のような人間が医者としてやっていけるのか絶えず不安に付き纏われていました。だから、現場で人に直接対面することもなく、純粋に学問的立場から医療に携わること出来ると知った時、医療分野でも自分に役立つ場所があるのだと、嬉しく胸をなでおろしたことを今も鮮明に思い出します。
 病理解剖“それも小児癌の症例"を初めて体験した時のこと、目に見えない病魔と闘い、消耗しきって、最後には“矢尽き刀折れた”壮絶な戦いの跡を目の当たりにして、その悲惨さに言葉を失い、平静さ保つことがとても困難でした。
その子に対する憐憫とも尊敬とも、表現の出来ない感情の高まりが心の中に沸き起こり、少し大袈裟ではありますが「このままでは遠い将来人類は滅びてしまうのではないか」と---突然得体の知れない"恐怖”が竜巻のように胸中に吹き荒れたのを今も生々しく思い出します。
冷汗、悔し涙、動揺する心! 
だがその時、如何してそのような恐怖心を感じたのか、私にはよく理解出来ませんでした。
先輩の病理医達がいかにも手馴れた様子でてきぱき仕事を捌(さば)く様を見て驚き、ただ呆然(ぼうぜん)と眺めているだけでした。しかしそれは私にとって、一度も経験したことがない新鮮な体験でもありました。
 私の前には、若い生命(いのち)と病魔の争いが繰り広げられた凄惨な姿が残されていたのです。それは、小さな子供がとてつもなく巨大な悪魔に挑戦して敗れた戦士の亡骸のようにも思えました。
 科学が発達するにつれ人々の期待とは裏腹に、人の生命はますます軽く、安くなる傾向があり、人が人を(戦争や、殺人などで)簡単に殺(あや)める風潮が世界的規模で広がりつつあります。
それは人を、機械的部品からなる取替え可能なロボットのように取り扱う医学の進歩と密接に関係しているように私には思えたのです。
 そのような風潮を正すためにも、私は、そのよって来るべき「悪魔の正体」を明らかにしなければと、一層強い決意を固めることになりました。
当時、私は無意識だったと思うのですが、恐らく古代生物達の絶滅と、人類の絶滅の可能性とを同一次元の出来事として重ね合わせて、(今から振り返れば)考えていたのではないかと思います。


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