ジョージ北峰の日記
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2005年02月23日(水) |
オーロラの伝説ーつづき |
もう少し私事を続けてさせてください。 北極圏の凍りつくような氷の世界で、暗黒の冬空に、突然展開される赤、黄、緑の光がおりなす自然界のドラマ、いや芸術“オーロラ”それは昔の人々にとって、まさに神か悪魔がなせる業、つまり一種の神々の祭典か、悪魔がなせる儀式としか映らなかったと思います。人々にとって、それは時には吉兆だったり、あるいは又凶兆だったかもしれません。だからこそオーロラにまつわる伝説は、これまで数えきれない程多数、語り継がれてきたのです。 私は少年時代そんなオーロラの持つ神秘性に心惹かれていました。
しかし、現代ではオーロラ発生のメカニズムは科学的に究明されつつあり、その神秘性も失われ、今や世界の人々の観光資源に成り下がろうとしています。即ち、太陽の爆発によって流れ出した電子が、真空中で色々な原子(例えば窒素、酸素、水素など)と衝突し原子のエネルギーが急激に膨張、そして収縮する(失われる)時に生ずる放電現象と解明されたのです。このオーロラ発生の基本的メカニズムについては少年時代、ある科学雑誌で知ることになりましたが、その時は、随分がっかりしたことを今も生々しく思い出します。どんな不思議な現象も科学によって一度解明されてしまうと、退屈で、つまらなく夢がなくなってしまうものだと嘆いていた記憶が、黒い染みのごとく私の心の奥深くに張り付いてしまいました。 物理的自然界は本来、永劫不変の存在ではなく、熱力学の第二法則に支配されているので、如何なる存在も(地球、いや宇宙も含めて)何時かは形を変え消滅してしまうものだと−−−−それは納得できます。しかし私が如何しても許したくなかったこと、それは太陽が宇宙空間の中ではちっぽけな星の部類に属し、何時かは燃えつき、地球上の生物(自分も含めて)もことごとく消滅してしまう、と知った時のことでした。人の行く末が、(平家物語ではないが)“いずれ無に帰し、滅びてしまう”と想像した時の恐怖は筆舌に尽くし難く、それが大きな“しこり”となって、私の心の奥深くに住み込んでしまったのです。
それから私には、人生は空しく、自らが生きて存在していることさえ無駄なことのように思えました。宇宙に生起する物理的事象に対して、人は全く無力だと、思い知らされたからです。このショックから立ち直るのに、私は随分時間を要したように思います。 (皮肉にも、こんなに科学が進化した時代になって、逆に現代の少年達の科学的無知が遡上(そじょう)に上るようになって来ましたが、ある意味で人間にとって“幸せなのかな?”と思ったりすることさえあります。 そのことはともかく、一度夢を失った私は、極地の宇宙研究を諦め(あきらめ)、まだ殆ど解明されていないと思える、極地生物の研究に(私の)心は移り始めました
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