ジョージ北峰の日記
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ご存知の塚原卜伝は、刀を抜かないで相手を制する“無手勝流”や“鍋蓋”試合等の逸話で日本随一の剣豪としてよく知られた人物だった。昔から本当に強い剣豪は滅多に刀を使わなかったと言われている。刀を抜いたときは、相手を完全に倒す時だけだったそうである。 否、むしろそのような人物を見ただけで懸命な人は戦うことを断念すると言ったほうが正かったのかもしれない。 本当の強さ、怖さはそのようなものなんだろう。通常は、静かで大人しそうに見えるが故に、一旦怒らせるとその怖さは言葉で表せない程の恐怖を相手に与える、と言うのだ。その逆は“小さな犬ほど良く吠える”と言うことなのだろうか。 今日の話は、そのことではなくて今回のイラク戦争におけるアメリカの軍事力の使い方についてである。前回の湾岸戦争の時、私達はアメリカの進化した軍事力に“驚嘆”したのである。アメリカに匹敵する軍事力を持つ国は、おそらく世界中何処にも存在しないと確信したようにさえ思う。アメリカはその意味で世界に対して“伝家の宝刀”を持った国になった、と言えるのではあるまいか。しかし今回の戦争では“伝家の宝刀”の使い方が極めてお粗末なのである。如何なる宝刀も使い方を間違えればただの“なまくら”になるだけである。 “伝家の宝刀”は何処ででも、何時でも使うべきものではなく、ここぞと言う相手を見極めて、もっとも有効な時期を見定め使うものだろう。一撃で相手を倒すべきものである。アメリカの軍事力ならそれも可能なのではと考えてきた。だからこそ、人々はアメリカが(宝刀を抜くことを)少なからず支持してきたのではあるまいか。 しかし今回のアメリカの戦争を見ていると、少し様子が違うのである。相手を正確に見極められず攻撃対象として一般人まで巻き添えにしてしまっている。これではアメリカの軍事力が驚嘆される対象でなくなってしまうではないか。何か大きな欠陥、例えば“情報収集能力に欠如”があるのではと疑ってしまうではないか。 前回とは違って誤爆続きで、下手くそな子供の戦争テレビゲームを見ているような観さえある。 イスラエルとパレスチナの戦争を見いて、戦争が日常化すれば“死”をもなんとも思わない感情が人々の心の内側に芽生えてくると言ったジャーナリストがあった。こうなるともう戦争は止まらなくなってしまうと言うのである。 “軍事の抑止力”それははそれが有効に使われた時のみ、人々に”重要な教訓”を与えるのだと言うことをアメリカ政府は忘れないでほしい。 こんな評論家的、第三者的発言は、現在進行中の戦争で苦しんでいる人々に対して不謹慎かも知れない。 しかし、本音はこんな戦争は“早く終わらすべき”との心からの発言であると、分かって欲しい。
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