ジョージ北峰の日記
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2004年07月01日(木) 参議院選挙に向けてー理想的な政治家とは?

 過去何年間かの選挙投票率は下がる一方である。一つの理由は、共産主義国家の崩壊と哲学やイデオロギーの崩壊によって人々の心が空洞化してしまった結果によるとと考えるべきだろう。誰が政治をしても結果は同じになる、と見えるからではないだろうか。それが、大きな誤りだと早く気づかなければ歴史は大きく後戻りする可能性さえあることを忘れないでおこう。
 昔、選挙権は一握りの特権階級のみにあったことを忘れてほしくはない。すべての人々に選挙権が保証されるようになるまで、どれほど長い月日と、どれほど多くの人々の犠牲があったのかを今一度記憶を新たにしておく必要があるだろう。必要なら自分達で新しい候補者を立てる事もためらわない自由こそ民主主義の基本なのではなかったか。
 ところで今日話したいのは、そんなことではなくて、どんな政治家が人々のリーダーとしてふさわしいのか考えてみたいと思う。
 政治家として最も大事な資質は直観力に優れていると言うことではないだろうか。(勿論高いインテリジェンスの必要なことは言うまでもない)過去天下を取った信長、秀吉、家康はそれぞれ個性は違っているが、彼らの共通点は直観力のすごさであったように思う。機を見るに敏であったからこそ天下を動かし天下を収めることが出来たのだろうと思う。彼らの歴史を紐解くと、三人とも戦場で並外れた直観力で兵を動かし敵を征服していったエピソードであふれている。
 しかし国のリーダーとしては直観力が優れているだけでは不十分だっただろう。天下を取れなかった信長と天下をとった秀吉の違いは、やはり部下に対する思いやりの差、つまりどこまで部下を心服させられ得たのか?の差にあったように思う。彼には力だけでなく人を心服させる“何か”があったのだろう。それは生得の才ではなく、修行時代に人との交わる仲で努力してつかんだ能力だったのであるまいか。
 一方、天下をとったがすぐ倒された秀吉と、300年の太平の基礎を築いた家康との違いはなんだったのだろうか。それは、やはり先を見通した誤りない、後継者、部下の選択と、周到な計画性の違いだっただろう。秀吉は家康に比べると人間臭さにあふれ、だからこそ人に愛されはしたが、しかしちょっぴり自己本位、自分の事が一番かわいかったのではと考える。自分の魅力で人を支配することは出来ても、自分の死後のことについてまで見通す余裕がなかったのではないだろうか。秀吉のお気に入りの家来石田三成はたいへん有能な人物だったとされているが、秀吉あっての三成で官僚としては有能であったかもしれないが、人の心をつかみ、動かし、機を見て敏なる直観力に欠けていたのではと思える。戦国の世に見る四人の武将から学ぶこと、それは理想的な政治家とは機を見るに敏な直感力に優れ、人の心をつかむ能力(カリスマ性)に優れ、先を冷静に読む洞察力ある人と言うことになるだろう。さらに現代社会では、あふれる正義感に満ちた人と言うことを付け加えておきたい。 単に優秀で、まじめな人間であれば良いということだけではないだろう。それに少しは欠点を見せるのも人に愛されるコツであることを忘れないで欲しい。


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