ジョージ北峰の日記
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2002年07月28日(日) |
旅日記ー赤十字の発祥ソルフェリーノ訪問記 つづき |
間近にアルプス山脈がせまり、広々とした田園が延々と続く田舎風景を背景に我々は高速道路を走った。見るべき史蹟もなさそうだがしかしのんびりした小さな町に到着した。バス道路からすぐ路地に続く狭い道には露天の店店が開き始めていた。想像していたような博物館は何処にも見当たらない。が、路地を50メートルほど歩いただろうか、店の影に隠れるように古ぼけた建物があった。表は木の扉で閉ざされていた。受付らしい場所もなければ人気も感じさせない。この国が、東方の国、日本(ジパング)からはるばる訪ねてきた赤十字博物館であった。何度か扉を叩いた後、やっと人の気配がして大人しそうな青年ガイドが現れた。しかしよく見るとアンリ デュナンの経歴、クリミヤ戦争の絵や模様、当時使われたと言う手造りの担架や救急車、また手術器具の数々が整然と整理よく陳列されていた。ガイドによるとソルフェリーの戦いはオーストラリアとイタリア・フランス連合軍の戦争で峻烈を極め、1日で6万人もの兵士が死亡したと言う。 おびただしい数の傷つき苦しみ死んでいく兵士達は切羽詰まった気持ちから、もはや危険をも省みず敵も見方も区別することなく必死になって助けたと言う。勿論医療器具が足りているはずがなく人々が工夫して作った品々が陳列されていること等を淡々と話してくれた。彼の物静かな話が進むうちに私の心は静から動へ大きな波のうねりとなって動き始めていた。戦争の模様を描いた絵から人々が動き始め、軍靴の音、銃声、悲鳴、又傷ついた兵士を助けようとする人々の声が聞こえ始め、それまで小さいと思っていた部屋が途方もなく大きな空間となり、静かな部屋が救急で駆け巡る人達の声や音であふれ始めていた。なんと世界の赤十字の原点はこの田舎の、この小さな建物から始まっていたのである。 一通り見学も終わり博物館から帰る頃には、この場所へ来れた事の喜びと感激で胸が一杯となった。はじめ建物の外観に少なからず落胆した自分の不明を恥ずかしく思った。日本では、赤十字は高々”赤い羽根”運動として又病院のマークとしてしか認識されていないのではないだろうか。 しかし此処では戦場という究極の状況で人間が時に示す不条理な行動”残忍性””残虐性”に敢然と立ち向かった普通の人々の人間を超えた”神の行為”赤十字の発端があったのである。数多くの絵の巨匠が描いてきた宗教画、またヨーロッパ各地に建てられている荘厳な教会の数々。もしかすると”戦争”という人間の示す”不条理な行動”に苦しめられた人々の鎮魂の願いなのだろうか。アンリ デュナンはその功績をみとめられ1901年、ノーベル平和賞の初の受賞者となった。 昼下がりのソルフェリーノの自然は美しく、うららかで小高い山頂に記念碑があった。山道の木々のざわめきや頂上から見下ろす明るい田園風景は当時何万人もの兵士達が戦い死んでいったという歴史的事実がとても信じられないほどの静けさで、それが一層悲しく私にとって忘れえぬ印象深い地となった。
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