ジョージ北峰の日記
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2002年06月23日(日) 靖国

 最近、アメリカの格付け会社ムーディ-ズによる日本の評価が、日本の援助国よりも下にランクされたと、少なからず驚きのニュース報道があった。何故、日本の評価がそんなに低いのか質す必要があるのでは、との意見が国会内外に噴出している。それにしても1民間会社の格付けが何故ニュースになるほど、そんなに重要なことなのか、経済音痴の私には不思議に思える。恐らく日本の株式市場、日本の発行する国債の評価を心配してのことなのだろうけれど。しかし本当に自信があるなら笑っておれば良いのではと思うが・・・そうでない所があるのかもしれない。自信がないと言うことだろう。
 また中国にある日本大使館へ亡命を求めて逃げ込んだ北朝鮮の家族に対する大使館員の対応の拙さについて日本国内外において随分批判があった。大半は、日本人の事なかれ主義のなせる業と捉えられたようである。私のアメリカの友人もテレビ報道をみて「日本人らしい対応」と笑っていた。決して馬鹿にして笑った訳ではないけれど「いつもの事」で、ニュースになって慌てている、あるいは狼狽している日本人を見て可笑しかったのだろう、と思う。それにしても、あの時、日本人が毅然とした態度で中国に対応していたら、日本人は尊敬されただろうか?という疑問もある。単に、パフォーマンスと疑われなかっただろうか。他に対する面子は立ったかも知れないが・・・と勘ぐられてしまっただけかもしれない。
 これも最近のことだが、日本がバブルの最盛期、経済大国と誇っていた時、国連の常任理事国になってしかるべきとの意見が湧出(ゆうしゅつ)していた。しかしアメリカの著名な人物が、やはり日本は未だ、政治的に未成熟で信用できないという意味のことを話しているのを聞いたことがある。この発言は、かなりの数の外国人が日本に対して抱いている共通の認識ではあるまいか。それは何故か?
 湾岸戦争の時、日本は多額の金額を負担したにも関わらず尊敬されなかったことを随分気にしていた。その事に懲りて、アフガン戦争ではアメリカ支援を積極的に行動で示すべきとの意見が出たのでは?との印象を与えるような報道がなされていた。少なくとも、外国のmediaの捉え方は概ねそのようであったと思う。
 さらに最近になってM首相の神の国発言と苦しい弁明。一体、この時期に何の目的があって、こんな発言を日本の首相がするのか、理解に苦しんだ人が多かったと思う。総理大臣は、一国の政治・経済・軍を代表する、国家にあって最も重要な地位にある。従ってグローバル化が叫ばれている国際社会にあって自由と民主主義を標榜し堅守しなければならない近代国家の首相が一つの文化・宗教に偏るような発言をするとは、どんな神経の持ち主なのか、との疑念が持ち上がった。それは本当に彼の信念なのか?
 このようなM首相の発言は日本が戦後誤りと表明したファシズムへもう一度回帰することを望んでいるかのように見えたのである。日本が世界第二位の経済大国であることは誰もが知っている。しかしだからと言って政治的にあるいは国家として信用できるか?となると疑問符がつく発言なのである。
 最近では日本の首相が靖国神社を参拝するか否かがよく話題になる。K首相はこれまでの日本の犯してきた誤りを二度と繰り返さない、と誓うため参拝する言った。が、アジア諸国の人々を説得できる論理と考えての話であろうか。それを理由とするならとても矛盾する説明とは考えないのだろうか。靖国神社は、所謂戦犯と言われる人達(本当に戦犯かどうかは疑問があるかも知れないが)合祀されているのである。その人達を英霊として祭る神社を、日本の首相が参拝する事は、やはり、外国が、日本の過去の誤り(日本は第二次世界大戦で降伏して、過去の軍国主義は誤りだったと国家としては認めてしまったのである。その結果、平和条約が結ばれ、現在のような近代国家日本が再建された経緯がある。)を誤りと考えていなかったのでは?と疑われても仕方のない行為ではないのか。
 日本は信仰の自由が認められている。一般の人々が靖国神社を参拝したからといって誰からも問題にされる筋合いはない。しかし、その事と、国家行事として、あるいはその疑いが濃厚な参拝を、日本の指導的立場にある政治家が参拝する事とは、その持つ意味が全く異なるのである。少なくとも、近代的法治国家を標榜する国、日本の総理大臣が、今するべき行為とは思えない。
 本来、日本の根本思想は白黒はっきりさせる、生か死か、正か誤りか、それしかない武士道が道徳的規範だったのである。一度決まったことは、しっかり一命を賭けても守る。それが日本人としての物事に対するけじめのつけかただったのではあるまいか。その道徳的規範が、現在、日本の指導的立場の人々から消えつつあるように見える。何もかも曖昧にし、一度決めた事でも、理屈をつけて骨抜きにしてしまう。法律の解釈論が横行して、明らかに道徳的に間違ったことでも、法に触れなければ良いとの考え方が正論かのようなモラルの堕落が蔓延化しつつある。本来、道徳的規範こそ判断の最高の基準として最優先されなければいけないのに、法の隙間を抜けるような事ばかりが議論になっている。そのような国が今後、これ以上、さらに発展するとは考えがたく腐敗・堕落・没落するのみと理解されても仕方がないことでないのか。
 道徳的規範を最も重んじなければならない政治家が、法の網目をくぐるようなことを平然とやってのける。本来道徳的規範を破ることはリーダーとして恥ずべき行為であり、政治家たる者それを疑われただけでも自ら身を処すぐらいの気骨があって欲しいものである。そのような決意を秘めた、有能で質の高い骨太の政治家の出現こそ、現在最も期待されているはずである。
 法的な正否は私は法律家ではないので、判断は控えるが、しかし日本の総理大臣が靖国神社を参拝することは、戦後日本と平和条約を締結した国々にとって(第二次世界大戦末期に、ソ連が日ソ不可侵条約を無視して日本攻撃をしたと、日本人が驚き、怒ったこと)と殆ど同じ程度の行為と見なしている、と心得るべきである。
             つづく


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