ジョージ北峰の日記
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2002年06月09日(日) 3日月 つづき

 少年の頃、学校から帰ってくると近所の子供達が集まって、日暮れまで良く遊んだ。私の住んでいた所は京都でも田舎で人家が少なく、同年代の遊び友達も少なかったので、幼児から中学生の子供達が集まって一緒に遊ぶことが多かった。私は中学生で子供達のリーダ格であった。日が暮れて隣の姉妹(小学校低学年だったと思う)を連れて帰ろうとした時、姉の方が「きれいな、お月様」と言った。見上げると南西の空に細い三日月が山にかかるように見えた。まだ赤く焼け残った雲が駆け足のように山の彼方へ通り過ぎていく。 彼女は何気なく、甘えるようにもたれて来てうっとり眺めている。私は、その時、彼女がとても可愛く思えた。月は勿論美しかったが、月に感動している彼女に感動したのであった。 その夜は興奮して一晩中寝付けなかった。それから何年かたって、彼女のことも記憶の彼方へ消えようとしていた頃、偶然出会ったのである。相手が誰であるかすぐ了解した。と、彼女は「結婚します」と一言告げ、微笑んだ。「そう,幸せにね」と別れた。それが又奇妙に心に残って三日月を見ると、時々、彼女のことを思い出すのである。もしかすると、あの日、彼女も小さいながら恋心があったのでは、と心が熱くなるのである。
 コンピュータや携帯電話が無かった時代、月は遠く離れた戦場や職場で働く家族、恋人達の通信手段であった。大袈裟に言えば、精神安定剤として医療の一役を担っていたと言っても過言ではない。離れた恋人同士が月を見て相手の安否を気遣う、あるいは思う場面が歌や物語に記されている。満月の夜は、相手の無事や幸運を心を込めて祈る。三日月の夜は何となく心細く、来る新月の暗闇に怯え、心安らかならざる不安を覚えたのではあるまいか。月は、時に恋人、親兄弟の顔のように見えることさえあった。 このように昔、人々は月を介して心が通い合っていたのである。 しかし、ここ数年、人々は月のことをすっかり忘れてしまっているように見える。
 浜大津から国道161号線を抜けて国道1号線に入り逢坂の関を越えると、道路は音羽山と東山連峰の谷間をうなぎのように曲がりくねって下って行く。そして、しばらく走ると一挙に視界が広がる。前方には、名神高速、大津坂本へ出入りする道路の水銀灯、ナトリウム灯が美しく立体交叉する図が眼に入る。しかし、今夜は、何故か私は、薄暗い山の稜線の真上に、あの日、あの夜に見たと同じ形の三日月が力なく輝いているのに気付いた。すると、突然あの娘の顔が心に浮かんできたのである。とても切なく、懐かしい思い出に心動揺した。
 あの夜の三日月は、白くもっと煌煌(こうこう)と輝いていた。
そう、天上は悠久のはず。古今東西、月が変わるはずはない。であるのに、今夜の月の光はいかにも鈍く、疲れ切ったように見える。刻一刻過ぎ行く時間に地球が疲労してきたのだろうか。絶対に変わらない、時間を超越した存在(自然)への信仰、神話の崩壊の兆し。
 若く、青く切なかった頃、夢と希望に満ちていた頃、決して逆戻りしない時間・・・それは充分理解していたつもりである。 しかし、地球に疲労の兆しが見え始めたのである。 まさか、そんなこと考えたことも無かった。種の保存の本能の故か、それだけは認めたくない事柄だった。
 そんなやるせない思いが、ふと心に浮かんで動揺したのである。
 三日月と共に蘇(うよみがえ)る懐かしい記憶。決して戻らぬ昔の光。
 せめてそれだけは心の玉手箱にそっと閉じておきたい。
    灰色のレースに被われたように
    星影ひとつ見えない夜空
    赤く鈍く光る三日月に
    山の稜線も、薄く霞む。
    昔、あんなに白く輝き
    人の心の支えだった月
    その役割は、もう終わろうとしているのか。


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