ジョージ北峰の日記
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ビルの谷間から覗く三日月 鈍く、赤く光る 忘れさられた、ルビーの指輪のよう 昔、あんなに喜び、大事にしてくれた人々は、 一体、何処へ行ってしまったのか。 月は日本人の生活のリズムと自然信仰心に深く関わってきた、と思う。私の少年時代、中秋の名月は秋の祭りと一緒で、とりわけ楽しい行事であった。正月のように休日ではなかったが、子供達は皆その日が、特別な日であることを意識していた。放課後は一目散に仲の良い友達同志が、連れだってススキ、萩を採りに山へ行った。家に帰ると、母は祭壇を飾る、お供え物(芋、トウモロコシ、団子など)の仕度をしながら、頃合をみて月見の準備をするよう促す。私と姉が月の見える部屋に祭壇を設け、ススキ、萩を飾り、そして芋、トウモロコシ、団子を供える。後は父が帰ってくるのを待つばかりである。 当時は食料不足の時代であったから、ご馳走のある日は、家族が皆そろって早めに帰ってくる。夕食も早めに取って、「さあ、月見だ。」の父の掛け声で、祭壇の設けられた部屋へ移動する。そして月を眺めながら、父、母の昔話を聞いたり、楽器を合奏したり、時に肝試ししたりと、団欒の過ぎるのをひたすら待つ。「もういいだろう。」と父が言うと、灯りをつけ祭壇を居間に運ぶ。皆で一緒に、お下がりを頂くが、時にその際、善哉がふるまわれることがあった。当時、砂糖は貴重品で、滅多に口にすることはなかった。そんな時には、子供達も大喜びで、一層話題が弾んだことはもちろんである。団子を入れて食べた時の、あの善哉の味。あの味を忘れることは決してないだろう。 「いまは平和で皆幸せだよ。」と話がはじまる。昔の戦人は、食料の蓄えも底をついてくると新月の来る日を待つ。三日月の消える頃が自分達の命運を決する日。 真っ暗闇に最後の活路を探るべく最後の総攻撃をかける。 薄明かりの宴 静かな、ささやかな酒宴 槍、刀がきらり光る 戦時用の真綿の着物、鎧、冑に身を固め 最後の宴に勝利を誓う 戦に敗れれば、残された女、子供の命もない 最後の武運を三日月に祈る。 特に男の子は仮に赤子と言えども容赦なく命を奪われた、と母。 姉が、ハーンの狢(むじな)の話をする。逃げて、逃げて、真っ暗闇にやっと見つけたランターンの灯り。再び、そこで蕎麦屋の主人の顔をみて主人公が腰を抜かす話。 父が、少年時代住んでいた所は町から遠く離れた村で、習い事で町に通っていたが、帰り道には日が暮れる、それで、どうしても夜に寂しい墓場の傍の山道を通る事になる。ところが、激しい雨の降る日は、お墓を見ると人骨の燐がぼんやり燃えているように見える。あれが火の玉か!と背筋が寒くなるのを覚えた、などと尤もらしく話す。そして話も終わりに近づく頃、父が「お使いに行ってもらおうか。」と何気なく私の顔を見るのである。それまで、さんざん脅かされていた私が厭だと言うと決まって「男じゃないか。」と父や兄達からからかわれた。 つづく
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