ジョージ北峰の日記
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昼と夜とは、人々にとって際立って異なった時間的空間を形成している。昼は現実的、強制的で人々が協調したり、競争したり個々人の生活の為、いや、大袈裟に言えば個々人の生存をかけて勝負している時間的空間といえる。それは子供にとって学業(スポーツ、音楽、絵を含む)、大人にとって、奇麗事で言えば職場での仕事(本当を言えば、だましたり、だまされたり、欺瞞に満ちた駆け引き、裏切り、あるいは名声をうるための工作・・・いや中には本当に美しい心で、人々の幸せの為、真剣に頑張っている人もあろうが)をする時間帯、ある意味では身も心もすり減らすか、あるいは又、やむを得ず活動しなければならない時間的空間である、と言えるのではあるまいか。私には昼が人々にとって、あまり創造性の触発される時間的空間であるとは思えない。単に実務(自発的であれ、強制的であれ)をこなしているだけの時間的空間であるように思える。 一方夜は、癒しの時間的空間を形成している。夜は、本当に個人が自分の裁量でどのように使おうが、誰からも咎められることのない時間帯である。夜はどのように使おうと人の自由である(と言う点で癒しなのである)。仕事に疲れた足で、ぶらリ、赤、青、紫に輝くネオン街へ出かけ、居酒屋、バー、クラブでお酒を飲み、他愛のない話でふざけたり、政治、経済、相棒らの話題で、どうにもならない議論に時間を潰すのもよい。しかし、私にとって夜は現実離れをした夢、科学的空想を観念的に実現する時間帯であり、又私の興味ある対象について、無意識にか、あるいは又、何かに触発され創造性が目覚める時間帯でもある。 夜の帳(とばり)も降り、人や車の往来が途絶え、スタンドの明かりだけが自分と、自分の周囲をほのかに照らす、静かな夜の仕事部屋。優しい、静かな音楽が心地よい。と、緑輝く南国の孤島、コバルトブルーの海、広々とひろがるサンゴ礁、白い砂浜が展開し始める。まだ見ぬ恋人、想像の恋人と真珠採りに遊ぶ。 ひっそりと深海に隠れ住む、 大粒の真珠、美しい真珠、 神々しい君の涙に似て。 鼓動が高鳴り、勇気が身を包む、 君に捧げたい、 荒々しい岩肌に輝くサファイアのよう、 珊瑚の岩礁で青く、ためらい光る真珠。 ひっそり深海に隠れ住む初々しい真珠、 君の胸なら、満月に似て、 きっと優しく銀色に輝くに違いない。 この一方的な男性の女性に対する無知から来る恋愛観は、現実では無残に切り裂かれる運命にあるかも知れない。しかし、時に出没する、この手の異性への憧憬は、若人の性への目覚め・成熟の道程に欠くべからざる精神活動の一里塚、と言えるのではあるまいか。 又、ある時は、ワシントンの空港近くのホテルへ、夜、食事に出かけたとき、静かにBGMが流れる展望レストランではカップルは語らい、ダンスを興じ夕食を楽しんでいた。空港の周囲を走る高速道路は空港、空港周囲の建物、滑走路、木々等の構造物と見事に調和し、夜にはオレンジ色に並ぶ高速道路の街灯で、その様子が一層美しく浮き彫りにされた。 つい先ほど遠くに赤・緑に点滅する光に気付いたと思うと瞬く間に大きな飛行機となり、次々滑走路に滑り込んでくる。アメリカはもう宇宙時代に突入しょうとしているのだと錯覚せざるをえない光景だった。このような光景が私の心にダイナミックな探究心を喚起した。人間の能力の無限性、宇宙全体をも征服しかねない予感。そう、私も何かを達成しなければ何のための人生だと、強い精神の高揚を感ぜずにはいられなかった。 つづく
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