ジョージ北峰の日記
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恋と恋愛とは区別すべきである。恋愛は一定期間、愛が持続する事を前提としている。 一方、恋は対象に対する、夢、憧れ、期待から生ずる刹那的な精神活動だ、と思う。恋は単純に見えるが、実は人生で遭遇する色々な出来事の中で、時に個々の人々の進路を左右しかねない、ある意味ではとても危険なものである。この恋は、ある時は孤独で寂しくどうしようもない空白感に悩む人に悪魔のように忍び込む。この場合、心の支え、拠りどころを求めんとする勝手な潜在意識が相手の許可を得ようともせず利己的、独善的に頭をもたげ、それ故相手を深く傷つけたり、逆に満たされぬ心故、絶望し死をも受け入れてしまう危険性を孕んでいる。 一方ある日突然、何の前触れもなくひと目惚れから触発され恋に発展することもあるだろう。 男の場合、緑の髪、時にバラのように棘があるが華やかで可愛い女(ひと)とか、 深山にひっそり咲くユリに似て可憐で、長い髪、憂いに満ちた瞳、静かで、それでいて気品のある女とか、あるいは又ジュリアン ソレルのように既婚ではあるが、美しく慈愛に満ちた女性に母親のような優しさを感じたとか。 この場合も、やはり、相手を客観的に見ようともせず、自分の想像の枠内で判断しょうとする。恋は衝動的、動物的であると同時に、厳しい倫理的呪縛に抑圧された極めて複雑な(人間の)精神活動の1表現形である、ともいえる。 恋は接近が容易でない対象、例えば清純で、神々しい処女マリアのように異性と高く距離を置く女性とか、または物理的、空間的に接近が難しい女性とか・・・そんな女性に挑戦しょうとする、道徳的社会的障壁を無視、あるいは破壊さえ恐れない無謀な精神活動、極めて不道徳な空想的、観念的冒険と言えるのではあるまいか。だから、恋心は冒険心と同様、欲求が現実のものとなった時、湯が冷めていくように、雪が解けていくように消えていく。 私の恋の冒険は、何時も御伽噺のようなナイーブな空想から始まった。 果てしなく広く深いブルーブラックの空、 瞬く星が、いまにも降ってきそうな夜。 月は青く透明に抜ける傘の中、あたかも 浮かんでいるように見える。 大海原に見る波のごとく、幾重にも 重なる銀色の砂。 時に巻き起こる風、生き物のように 崩れ落ちる砂塵。寄り添うラクダに 王子とお姫様。 二人は影絵のように、音もなく、静かに舞台を歩む。 風にひらめく白い上着に 黄金の冠が光る。波乱万丈を予感させる! この続き、物語の行き着く先について考える必要など全くなかった。それは問題外の事柄だった。二人が愛を誓い、幸せを信じ、いたわり抱擁し合う姿を想像する、それだけで良かった。自分が王子様と思ったことはないが、パートナーは何時だって、美しく、可憐で優しいお姫様だった。これまで幾人のお姫様が候補にあがっては通り過ぎていっただろう。通りすがりに、ふと恋をした女(ひと)を含めれば数え切れない。 しかし最近、年を経るにつれ私の恋心は変質してきたように思う。月の砂漠を連想する事が少なくなってきたのである。 代わりにアフリカの原野で、鬣(たてがみ)をなびかせ朗々たる咆哮で周囲を威圧する百獣の王ライオンの恋の行く末について、色々考えるようになってきた。百獣の王の恋は人より直接的、情動的であるが故に、死をも伴う危険極まりないものであろう。やっとハーレムの王になって権勢を誇ったとしても、時の経過には逆らえず、病気、老化に伴う力の衰えは如何ともし難く、最後は死闘の末、死ぬか追い落とされてゆく。そんな寂しい光景がやりきれなく、空想されてくるのである。 君は立派に、生きてきた。多くの子供達、 家族を守って戦ってきた。 歴戦の勇者だった。何も悔いることはない、 ゆっくり休んでくれ。 それが、今君に捧げられる賞賛の 言葉。 私は人の恋の行く末、自分の恋の行く末について、今は知らない。しかしライオンのようであって欲しくない、ギリシャ神話のように、きらめく星空へ静かに消えてゆきたい。それも出来るなら2人で。
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