ジョージ北峰の日記
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2002年05月05日(日) 新生

 目覚めたばかりの木々の新芽が淡い緑を山に、森に、街に、あるいは狭い道や庭にも背の丈一杯広げようとする季節。装いも新たな、青年、娘達の笑顔が街、レストラン、喫茶店ではじけ、新しい出会い、新しい出来事の期待に胸をときめかす初々しい季節。 
 長い暗い冬、神社に参り、別れの決意を告げた頃、寂しさに絶望し、涙で暗いトンネルの出口さえ見えなかった。しかし今、新生がすべてを消し去ろうとしている。喜びも、悲しみも、すべて一纏めにして。
    新しい生が蘇った大地。
    そよぐ風、
    再び強くなり始めた日差しに、
    歓喜を祝う小鳥達の影が
    若葉の合間を駆け巡る。
    かすかな虫の羽音さえ心地よく。
    水面増す川の流れが、
    新生の到来を魚や蛙たちに伝える。
 受験生活、ゆがんだ恋愛、重いつらい仕事、景気の停滞、失業、否もっと深刻な戦争、飢餓など等。 新生とは過酷な灰色の生活に苦しみ、耐え抜いた人達だけが知りうる歓喜。それこそが真実の新生。
 雪、氷、容赦なく吹き付ける風、厳冬のしびれるような寒さ・ひもじさを耐え抜いた動物や植物。多くの犠牲者がでるのは計算され、その厳しい冬を耐え生き抜いた者にだけ到来する春の歓喜。だからこそ、春は彼等にとって新生。
 今、人々は春を迎えて新生を期待する。しかし、人々は本当の試練、苦しみを耐えて来ただろうか?何もしないで、ただぼんやりと新生を期待しているのではないだろうね。自分達に新生を望む資格が本当にあるかどうか、真剣に考えて来ただろうか?
 過去、人間の歴史を塗り替え、人間社会に真の新生、歓喜をもたらした様々な出来事、人々の試練と苦労・・・

 人間性の回復を実現したルネッサンスの影にどれだけの犠牲者があったのか?科学界の天才ガリレオだって、誰からも理解されることなく、狂人扱いされ、最後は宗教裁判で処刑。フランス独立の為、祖国の為立ち上がったジャンヌ ダルク、20歳にも満たない少女、彼女もまた女としての経験も浅いまま、弁解の余地も与えられず魔女として火炙りのの刑で果ててしまった。
 日本の文明開化だって、幕府を信頼し保守を死守しょうと果敢に戦い散っていった少年白虎隊の純真で無垢な心。一方、日本の近代化を夢見た若き吉田松陰や坂本竜馬、夢の実現を知らぬままの非業の死。つい最近では、国を愛し、家族を愛し、恋人への憧憬を抱き、悩み苦しみながら未来の人々の繁栄を信じ、特攻に身を投じて行った若き荒鷲達。

 彼等の勇気と犠牲がなかったら、我々は現在の平和で幸せな自由と民主主義を享受できていただろうか?人々が春を迎えて抱く新生への期待。
 自然界(人間社会を除く)にとっては春は真の新生。
    青い空、
    暖かい南風、山には
    あふれ燃え立ち、重なり合う若葉。
    人間社会の新生への期待をよそに、
    再び活動を開始する生命(いのち)、
    花開き、恋する生命。
    躍動する新生、
    とても嬉しい新生。
 人間にとって春は単に季節の変わり目。
 21世紀を迎えて、日本の社会状況は相変わらずの政治、経済界の腐敗と堕落、一般国民に蔓延るモラルの低下。
 それでも、今年の春は新生と言えるのか。新生どころか滅亡へのブラックホールへ引きずりこまれる予感さえするではないか。
 人間社会の新生は真に変革を目指した人々の確固たる信念(執念)、硬い決意だけが(その動機がいかなるものであれ)可能にしてきた。
 で、私に新生は? 遠い遠い先のこと?

    遠く、長い悩みと苦しみ、
    何処まで続く 真っ暗なトンネル。
    1条の光が 見え始めたと思うと、
    春の日差しに 春の雪。
    水晶の滴(しずく)に、たわむ枝
    垂れる若葉
    
    無垢で無限の魂、
    決してへこたれることのない魂の発見!
    歓喜と新生の発見!


ジョージ北峰 |MAIL