与太郎文庫
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2007年01月06日(土)  先輩同輩後輩 〜 賀状の切れ目が縁の切れ目 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070106
 
 田村くんから、年賀状がわりの英文エッセイが届く。
 こんどは和文を英訳したのだそうだ。
 折りかえし返信してから、プリント・アウトして浴槽に持ちこむ。
 
── 田村 忠彦《スワイヤ 〜 維新前の英国商社 〜 20061207-20070106》
Mail'20070106 16:09 from Mr. Tamura, Tadahiko
Mail'20070106 17:07 for Mr. Tamura, Tadahiko
 
 ◆
 
 スワイヤを読むまえに。
 
 Dear Tad.
 
 引退すると、年毎に年賀状が激減して、いつか最後の一通になる。
 その原因は、出さなくなった人々を責めるよりも「縁の切れ目が賀状
の切れ目」と考えるような人たちと付きあったことに起因する。
 
 さいわいにして与太郎は「書を読み、六分の侠気、静(四)の熱」を
もつ友人を選んでおいたので、年賀状の枚数は激減したものの、質や量
においては現役時代を凌駕しつつある。
 
 なるべく感想を書くつもりだが、各発信者の著作権やプライバシーに
配慮しながら、ブログ上での公開返書としたい。
(このことの是非については、永年の経緯があるので、いずれ別稿で)
 
 というわけで、ことしの正月は、有賀くんと中林さんのメッセージに
つづいて、貴君のエッセイ(前回の陰謀論とあわせて)を取りあげる。
 しかしまぁ(自叙伝のように)追っかけられたカメみたいだが……。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070103
 帰帆 〜 港を見た人々 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070104
 受信論序説 〜 NHKぎらいの人々 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070106(予定稿)
 英国紳士の陰謀 〜 とてもかなわない人々 〜
 
 Your old friend.
 
 草々          余太郎 or 与太郎 こと 阿波 雅敏
 
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 キャセイ 〜 スワイヤ家の人々 〜
 


 Swire,    大地主  16‥‥‥ England 17‥‥‥ ? /1750年後半から羊毛業
 Swire, John 綿花貿易 1793‥‥ England 1847‥‥ 54 /1816スワイヤ商会設立
 Swire, William Hudson 1830‥‥ England 1884‥‥ 54 /次男/1847父の事業を継承
────────────────────────────────
 Swire, John Samuel  1825‥‥ England 1898‥‥ 73 /長男〜海運同盟の父
 1862(37)妻に死別186704‥横浜到着0801日本支店開業
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♀Swire, Helen Fairy   193.‥‥ England 1862‥‥ 2. /185911‥結婚
 Swire, John "Jack"   1861‥‥ England 1933‥‥ 72 /Helenの遺児
 Swire,Sir John    18‥‥‥ England 19‥‥‥ ? /長身の曾孫/スワイヤ会長
────────────────────────────────
 Smiles, Smuel     1812‥‥ England 1904‥‥ ? /〜《自助論(Self-Help)1858》

 
http://www.swire.com/
 History of The Swire Group
 
http://www.cathaypacific.com/cpa/ja_JP/aboutus/cxbackground/managementteam
 John Swire & Sons Limited
 
http://de.wikipedia.org/wiki/Cathay_Pacific
 Cathay Pacific
 
 ◆
 
 与太郎は、しばしば「何々家の人々」という表示形式を採用している。
 財閥一族や、天才の家系図から、ときに犯罪関係者一覧である。
 最近こしらえて、われながら面白いと思った例をあげておく。
 
 繭の交流 〜 諸井家と尾高家 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19770324
 ここにも泉あり 〜 運命と田園 〜
 
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── 日本は実に美しい所でとても気に入りましたので、オセアニック
号が出港する 8月13日にまで当地に留まるつもりです。(略)日本の各
地を旅して私が得た結論は“もしエデンの園でイブが林檎を口にしなか
ったなら世界の人々は日本人のように純朴で幸せであっただろう”とい
うことです。
 夕暮れ時に日本人の家族が小さな家の通りに面した部屋で車座になっ
てくつろいでいる様子は心をなごませます。皆、風呂上がりで上気して
おり、子供たちはまるで茹でた海老のようです。(父への手紙)
── Swire, John "Jack"《Letter 18860719 from Japan》
 
 横浜の日本支店開業の日付(18670801)は、京都の十字屋楽器店開業
(18680801)の、ちょうど一年前である。分りやすい偶然だ。
 上記の手紙は、むかし読んだ下記の手紙と、とてもよく似ている。
 
── この国の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。
この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい
笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった
私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとして
おり、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思
われてならないのである。(18571207 安政 4.1021)
── Heusken,Henry/青木 枝朗・訳《日本日記 19890717 岩波文庫》P221
 
 かつて外国人の見た日本は「子供たちはまるで茹でた海老のようで」
「いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声」が聞こえていた。
 百年後のアメリカで、サッチモは「赤ん坊が泣いている」と歌った。
 
── Douglas, George 曲《What a wonderful world! 1967 America》
http://www.jpopforum.net/_lyrics/hiro/a04.html#01j
 この素晴しき世界(原文)
 
 ◆
 
 ここに至って、数年前、田村くんに宛てたジョークを思いだした。
(Mail'20041103-20041110 for Mr. Tamura, Tadahiko)
 彼なら、ルイ・アームストロングの歌を原語で歌えるかもしれない。
 
 さらに、彼の《日本の“クール”ビズ 〜 戦略なき日本 〜 20060409》
の感想文として書きかけた「クール & ビジー 〜 第三者の世代 〜 」
に出典まで追記している。
 
── 赤ん坊が泣きやまないので、お母さんがささやく。
「おまえは、年収2年分の借金を背負って生まれてきたのよ」
すると赤ん坊は、びっくりして泣きやんだ。
 
 ここまでは、オーストラリア人が考えたジョークらしい。
 アメリカ人が「もっとはげしく泣いた」と補正した。
 さらにイギリス人が「通信販売で墓石でも買ったのか」と皮肉った。
 
 先々便の「ジョーク&ダジャレ」元ネタは「二度泣いた」だったが、
生れたばかりの赤ん坊に、将来の年金負担額を告げると、泣きやんだ。
──《新ニッポン探検隊!20040829 06:30〜06:45 西日本放送》
 
 ジョージ・フィールズ(オーストラリア人)のずばりコメント。
「いまの年金問題は、結果であって、原因ではない」
── 《年金改革 20031122 TBSブロードキャスター》
 
 安倍内閣の、唐突な“美しい国”発言は、いかにも寒々しい。
 教育基本法改正も、れっきとした説明のないまま成立してしまった。
 さすがに、ロシアの作家ゴンチャロフの観察は、きわめて辛辣だった。
 
── 私は、ついに日本の婦人を見た。男子と同じ袴で、咽喉をつつむ
上衣を着て、頭だけが剃ってない。立派な身なりの婦人は、ピンで後か
ら髪をとめている。みんな色黒で、たいへん見苦しい! 日本の婦人は
大胆な仕草をするそうだが、私は知らない。見たこともない。また日本
婦人の評判を汚したくもない。近頃は、この日本婦人が、たくさん艦の
周囲を乗り回している。みんな不美人で歯が黒い。その多くが大胆にこ
ちらを見て、笑うのだ。しかし、いくらか美しくて、立派な着物を着た
女達は、扇子で顔をおおうのである。(149p)(18531007 嘉永 6.0916)
── Goncharov, Ivan Aleksandrovich/井上 満・訳《日本渡航記
〜 プレガート『パラルダ号』より 〜 1941 岩波文庫》
 
 ◆
 
 フランスの思想家フーリエは「4つのリンゴが歴史を導いた」という。
 旧約聖書のイヴ・トロイ戦争のヘレネ、万有引力のニュートン、最後
にフーリエ自身だそうだ。
 
 「もしエデンの園でイブが林檎を口にしなかったなら」という比喩は、
異教徒にはチンプンカンプンだが、西洋人にとっても難解だろう。
 さらに与太郎は、セザンヌの林檎を加えてみる。
 
 なぜ林檎を描いたのか、なぜドレフェス事件だったのか……。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19020929
 友情のりんご 〜 ゾラとセザンヌ 〜
 
── 中学生のポールが、仲間にいじめられていた下級生を助けた。
 翌日、感謝のしるしに林檎をもってきた少年の名をエミールという。
 彼らの友情は、47歳のとき、もうひとりの画家が登場して決裂する。
 
 ゾラにあてた手紙は、約28年間(18580409〜18860404)76通。
 林檎を描いた《静物画》を世に問うたセザンヌは、ながく経済的援助
を受けた作家と決別するや、半年後に莫大な遺産を相続する。
 
── フェルディナンド・セリーヌは「ゾラの仕事はパスツールの仕事
に匹敵する」と書いていたし、科学技術に関心をもっていたアプトン・
シンクレアは「われわれはゾラみたいな作品を書きたいんだ」と言った。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0707.html
 
 ◆
 
(20070106)


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