与太郎文庫
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2005年09月14日(水)  恩師の条件 〜 テッちゃんの訃報 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050914
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://adlib.hatenablog.com/
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20050914
 Ex libris Web Library;

 
(↓)日付変更《ネクスト総理は炎の女“サッツィー"》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050917
 
(以下、草稿)卒業後に出会っても口を利いてくれなかった恩師。
 
 ◆ 月餅にて 〜 記憶の共鳴 〜
 
 Let'20050914 08:00-12:00 → 20050915(落手)
 1957年度卒 同志社中高同窓会 のお知らせ
 20051015(土)17:00(幹事は、しょうざん 松山 元←芳久←嘉孝)
 
 Mail'20050909 18:40 from Mr. 笠本 義嗣(1958年度卒)
 件名:出町の月餅「たまたまネット上で自分の名前を見て、更に「雲」
なる題名を発見し昔のことを思い出しておりました」(20101123 再会)
 
 返信「なつかしいメールをありがとう。
 和風喫茶“月餅”は、いずれ書きとめたいタイトルの一つでした。
 文芸部や器楽部、生徒会ご用達、喫煙補導されたこともあります。」
 
 笠本くんのメールが「出町の月餅」と題したのは、云い得て妙だが、
今出川通りの和風喫茶「月餅」は、正しくは高校と中学の間に位置する。
 中学生には贅沢すぎるが、高校生の小遣いなら出入りできたのだ。
 
 玄関先に個室があり、座敷には二十人が坐ることができた。
 品のいい内儀さんが、月餅にそえて抹茶や赤玉ポートワインを運んで
くれるので、1956年(高校二年)頃から、しばしば貸切るようになった。
 
 まず、文芸部の編集会議や読書感想会の定例会場となった。
 顧問の“フクちゃん”こと下村先生は、ワイン・グラスを透かし見て、
みんなに「これはソーダ水かな」と確かめてから、あおり呑まれた。
 
 器楽部の新人歓迎会も、シンフォニエッタ(管弦楽団)として最初の
集会となった。新入生の高木宏二くんの質問に、みんな笑ってしまった。
「センパイ、三年生やと思うてたのに、二年生やったんですか?」
 
 新旧生徒会長との密談にも便利だった。与太郎が野にくだった後も、
いろいろ相談されたので、こういう非公式の場所が必要となった。
(政治家が、ホテルでなく料亭を使うのは、こういう条件による)
 
 また、おなじ系列高校の生徒会長とのトップ会談も、この店の座敷で
設営された。交流試合を定期的に行うための予備会談だったが、翌日に
飲食費の請求書を受けとった生徒課の八塚先生は目をむいた。
 
 まずは「事後承諾か?」と聞かれたので「会談の予定は伝えました」
と反問する。遠来の客に茶菓の接待は当然だという論拠である。
 新・生徒会長の岸田くんも「これからは番茶だけにしよう」と云った。
 
 夜どおし写譜や編曲をしていたので、タバコが手放せなくなっていた。
 人前では喫わなかったが、右手の中指が黄色くなっていた。
 せんだっては、体育の時間に「右手をだせ」とチェックされたらしい。
 
 前生徒会長の楠原 大八と雑談しながら、タバコを吸っていたところ、
生徒課の大島譲二先生に見つかった。ガラス越しにジロリと覗きこんだ
先生は、その場では喫煙補導せず、担任に告げたのである。
 
 与太郎は、翌日“テッちゃん”こと高橋 哲郎先生に呼ばれた。
(新学期はじまって以来、三度目の厳重注意である)
 担任は、三つの点で与太郎を究明する。
 
1.喫煙はよくない(わたしは、幼少時から命がけで勉強したものだ)
2.成績がよくない(与太郎は、落第して二度目の高校二年生だった)
3.態度がよくない(与太郎は、しばしば遅刻して、授業中に眠った)
 
 不良ではなかったので、ピンからキリまでの成績表が自慢である。
 いまでは断酒断煙、ほとんど煩悩から開放されて、老境にある。
 命が惜しくなったからではない、時が惜しまれてならないのだ。
 
 不肖の教え子は、多くの先生に面倒をかけたが、“テッちゃん”とは
最初のホームルームから卒業まで、一度たりとも笑いあった記憶がない。
 このたび、ついに和解する機会も失われてしまった。
 
 与太郎は、小学校2年と高校2年をリピートし、美術学校も2年目に
リタイアしたので、まともに進級したのは中学だけである。
 したがって、同窓会の案内状も、複数の年度から送られてくるのだ。
 
── 高橋 哲郎 「38年京都会へのお招きありがとうございます。折角
のお招きですが当日は学会で京都を留守にします。私もいつの間にか66
才になり孫が5人になりましたが、おかげで元気に動き回っています。」
── 《あの人は今:会員及び恩師等の近況をお知らせ致します。
19990815 報告会員近況(1999年3月同窓会に寄せたアンケートより)》
http://www.mediawars.ne.jp/~miyako38/kin1.htm
 
 ◆ 訃報;Mail from Mr. Hujiwara 同志社高校国語教諭(DJSOB)
 
── 訃報ばかりで申し訳ありません。同志社高校元教諭(理科)の
高橋哲郎先生が9月14日にお亡くなりになりました。お通夜は本日済み
ましたが、告別式は明日17日土曜日午前11時から12時です。場所は洛王
城陽会館(郵便番号610-0101 城陽市平川横道58-1、電話0774-54-4200、
25台駐車可能、車の場合は旧国道24号線久津川交差点より北へ150メー
トル東側、旧国道24号線大久保交差点より南へ800メートル、近鉄の場
合は久津川駅より徒歩7分、JRの場合は城陽駅より徒歩20分タクシーあ
り、新田駅より徒歩15分タクシーあり、バスの場合は京阪宇治交通久津
川バス停下車北へ100メートル東側)です。喪主は高橋和子様、無宗教
にて執り行われます。御香儀は固くご辞退なさっています。高橋哲郎
先生は私達の同級生高橋さんのお父さんでもありました。
── 藤原 享和《訃報 20050916 23:05 同志社52掲示板》
http://326.teacup.com/doshisha52/bbs
 
── 高橋哲郎氏(たかはし・てつろう=元龍谷大教授、自然科学教育
法)14日午後7時18分、舌部胆管がんのため京都市上京区の病院で
死去、72歳。宇都宮市出身。(訃報 20050917 共同通信)
http://www.kyodo.co.jp/?PG=STORY&NGID=mour&NWID=LATEST
 
 高橋 哲郎 科学教育 19321211 宇都宮 京都 20050914 72 /同志社高校物理教諭
/日本てんかん協会々長/龍谷大学理工学部教授/福井大学教授
 
http://www.yamashiro.npo-jp.net/kouenkai.html
── 高橋 哲郎《市民の目で読む「沈黙の春」と日本の環境問題
〜 レーチェル・カーソン「沈黙の春」発刊40周年にあたって 〜
20030301 環境と自然講演会》(前龍谷大学教授)
 
 ◆ 断筆事件 〜 通夜の生出演 〜
 
♀筒井 八重 康隆の母 1909‥‥ 大阪    19931028 84 /嘉隆の未亡人
 19931029(金)通夜 1030(土)告別式 01:00《朝まで生テレビ》TV放送
 
 筒井 康隆 作家   19340925 大阪 /199310‥断筆宣言〜《無人警察》
《噂の真相》《東海道戦争 1965》《48億の妄想 1965》/余技=クラリネット
/大阪府立春日丘高校→同志社大学/19340924 2030‥27 96(私の死亡記事)
 
── 日本てんかん協会長だった1993年、筒井康隆氏の小説「無人警察」
が差別を助長するとして教科書への掲載に抗議、筒井氏の断筆宣言に発
展した。 ── 《京都新聞 20050917 Kyoto Shimbun News》
 
 つぎのレポートに論点がまとめられている。
 
── 筒井康隆断筆事件から『蘭学事始』まで「被差別者への配慮」を
考える ── 《人権問題研究室紀要 29号 199404‥ 関西大学 》
http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199404.htm
 
 つぎの2文書は《与太郎文庫》に転記(修訂)済。
 
── 高橋 哲郎《筒井康隆氏の覚書について》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19930708
── 社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻10号 1993年10月号
http://www.synapse.ne.jp/jepnet/KOKUGO/hanron2.html
 
── 高橋 哲郎《無人警察(2)》社団法人日本てんかん協会会長殿
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19930805
 
(↓)《虚々日々 20001224 阿波文庫》P75
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570401
 留太郎 19570401 同志社高校二年D組司級“テッちゃん”
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570408
 落太郎 〜 テっちゃんのホームルーム 〜
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20020301
 ろくなやつなし 〜 理科教室の四悪人 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050130
 中学生諸君! 〜 与太郎の教材 〜
 
── 与太郎は、一に音楽、二に絵画、三に文字を愛してやまない。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050626 恩師の条件
(↑)わたしの教材論(↓)わたしの恩師論
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051231
 点鬼簿 ↑与太郎の追悼録 ↓与太郎の過去帳
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923
 
 ◆
 
http://members.jcom.home.ne.jp/kagakushi/blist98.html
── 高崎 哲朗《評伝 工人(エンジニア)宮本 武之輔の生涯 19980827 ダイヤモンド社》誤=高橋 哲郎
 
http://www.hatena.ne.jp/1067562084
 はてな質問「てんかん患者に特有の性格があると聞きましたが、どん
なものですか?」についてのツリー
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20110418
 鹿沼事故 〜 持病の発作を抑える薬を飲み忘れていた 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20120412
 焦眉の急 〜 京都祇園暴走車死傷事故 〜
 
(20060205-20120412)


 八塚 次郎  英語教諭 192,‥‥ 滋賀 京都 2000‥‥ 7. /同志社高校“ヤッちゃん”
── 木下 雅子《八塚 次郎先生からの贈りもの 第110号 20001000 同志社時報》
 
 高橋 哲郎  科学教育 19321211 栃木 京都 20050914 72 /同志社高校“テッちゃん”物理教諭
/日本てんかん協会々長/龍谷大学理工学部教授/福井大学教授
 
 下村 福 正太郎13の弟 1923‥‥ 京都   19990205 76 /同志社高校“フクちゃん”文芸部顧問
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19431021 学徒出陣
 大島 襄二 文化地理学 19200215 愛知   20140311 94 /関西学院大学教授/誤=譲二

http://q.hatena.ne.jp/1458199666#a1255378(No.2 20160317 19:58:39)
 補導と説諭 〜 一粒で二度おいしい 〜
 
(20160317)
 


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