与太郎文庫
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2004年07月03日(土) |
ヤナーチェク 生誕150年 〜 Birth from 18540703 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040703 >> 小交響曲 〜 シンフォニエッタ 〜 レオシュ・ヤナーチェックは、一八五四年七月三日にモラヴィアの東 北部、ポーランド地方との国境に近いフクヴァルディという村に生まれ た。同じ世代の作曲家に、フンパーディンク、マーラー、プッチーニな どがいる。その人柄は熱しやすく、激しやすく、馬鹿正直で、しかも気 まぐれだったそうだ。その音楽もじつに独自な発想によっていままでの 音楽の概念を打ち破ったもので、同じ世代のどの作曲家とも似ていない。 しいていえばモラヴィアの民族的な素材のとりあげかたが、いっぺん分 析と昇華をへた現代の民族主義のやりかただった点で、二十七歳下のバ ルトークを予感させるところがある。とにかく、そういうきわめて独創 的な作曲家だったために、世の中に認められるのが遅れ、プラハの楽壇 でさえ、生前彼をあまり認めていなかった。ヤナーチェックの出世作で あり、スメタナの「売られた花嫁」以後もっとも世界的な人気を博した チェコのオペラでもある「イェヌーファ」Jenufa(一八九四〜一九〇三 年)は五十歳の年にモラヴィア地方の首都ブルノで成功裡に初演された が、プラハの国立劇場がこれをとりあげるまでには、さらに十二年間も 待たねばならなかったのである。(略) ヤナーチェックは「モラヴィアのムソルグスキー」と呼ばれることも ある。事実彼はムソルグスキーの音楽に親しみを感じていたようだし、 その自由奔放なところや、語り物風な旋律、また、作曲のヒントや材料 をしばしば十九世紀ロシアのリアリズム文学から得ていること──トル ストイの「クロイツェル・ソナタ」から霊感を得た弦楽四重奏曲第一番 (一九二三年)、オペラではオストロフスキーの「嵐」による「カーチ ャ・カバノーヴァ」 Kata Kabanova(一九一九〜二一年)や、ドストエ フスキーによる「死の家の記録」Z mrtveho domu(一九二七〜二八年) など──は、「モラヴィアのムソルグスキー」と異名をとるのも無理で はないだろう。だが、この両者は似て非なる個性だった。ヤナーチェッ クは、ムソルグスキーやモーパッサンのような、冷徹な客観主義者では 決してなかった。もっと主観的な感情家であり、ふくよかな夢に生きた 芸術家だった。彼の音楽には、しばしばアンリ・ルソーの絵や宮沢賢治 の童話にみるような、あどけない偶然性がみられ、それが非常に人間と しての真実にふれている場合がある。また、この人の音楽は、シュトゥ ッケンシュミットが「現代音楽の創造者たち」の中で指摘しているよう に、自由な空のもとに生まれたという感じの生命肯定の芸術である。こ れらはムソルグスキーにはみられない面だろう。(略) 小交響曲はヤナーチェックの最後の交響作品で、また唯一の交響曲で もあるが、ふつうの交響曲とはひどく趣のちがったものである。(略) 作曲者自身これについて「自由の微風が町(ブルノ)にただよう。勝 利のトランペットのひびき、夜の影、緑の丘の息づき──かぐわしい偉 大なヴィジョン──こうしたヴィジョンが私の小交響曲を生んだのであ る」とのべている。 ── 佐川 吉男《名曲解説全集 18 補巻 19641201 音楽之友社》P126-134 << ──────────────────────────────── ← ヤナチェック or ヤナーチェック → Janacek,Leos《Quartet for Strings No.1 19241017 Praha》 〜 トルストイのクロイツェル・ソナタに霊感を受けて 〜 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030524 → K.Umezawa《Works of Leo? Jana?ek 20030309》簡易作品表 http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/saku/Janacek.html 〜《Sinfonietta“Symphonietta”1926》 〜《Haydn“オーストリア国歌”編曲》 〜《Rhapsodie“Taras Bulba”1915〜18/1921》
Janacek,Leos 作曲 18540703 Czecho 19280812 74 言語メロディ理論 佐川 吉男 音楽評論 19260817 青森 20000510 73 武蔵野美大教授 /日本チェコ協会長
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