与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2004年01月22日(木) 《初演366年譜》 〜 未投函書簡の未完草稿 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040122
 


18570122 初演 リスト《ピアノ・ソナタ ロ短調》
18780122 作曲 ヴォルフ《悲しい道》 18780122-0125
18870122 初演 フォーレ《ピアノ四重奏曲第2番ト短調Op.45》
19340122 初演 ショスタコーヴィチ《歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」》
19590122 初演 ブラームス《ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15》

 
 再録のための前口上
 
 思いたって書きはじめたものの、未完のまま投函しなかった手紙は、
あるいは(与太郎の場合)実際に投函した手紙より多いかもしれない。
 たとえば《未投函書簡の未完草稿》というタイトルにまとめて、読み
かえしてみたら面白いはずだが、それはそれで差しつかえもあるだろう。
 このところ、巌本さんや岩淵さんのことを書いていたら、いもづる式
に古い資料が出てきた。
 ここでは、ちょうど七年前の元日から、ワープロに眠っていた手紙を
公開してみよう。三十五年前には公表できなかった些事も、もはや時効
であるし、出さなかった手紙だから、何が書いてあっても受取人に責任
がおよぶこともないはずだ。
 難をいえば、これまで書いたものと重複する部分が多くて、いささか
くどい印象もあるが、ほとんど手を加えないで再録しておく。
 
 あらためてポストに入れてはどうか、という案も無いわけではないが、
ほとんど忘れていた者から、あまり突然に手紙を受けとるのも、迷惑な
話である。七年前なら、久々のテレビ出演だから、さまざまの人たちの
反応が寄せられたはずで、それに紛れるつもりだった。
 
 岩淵 龍太郎 様
 
 前 略
 先生とNHKのご関係が浅からぬことは当然ですが、まさか将棋番組
の画面でお目にかかるとは意外でした。
 堂々たる穴熊の布陣、悠揚迫らざる居飛車で、桂頭からの7七歩成、
もはやこの局面で下手が投了しても当然と観ていました。逆転にいたる
経過は(私の棋力が初段におよばないため)ついに理解不能です。
 あまりになつかしかったので、一筆啓上いたします。
 中学生のころに、ベートーヴェンの《ロマンスF》をラジオで聴いて
以来、二十八年前には親しくお話をうかがう機会を得ました。
 その対談録《月刊・アルペジオ 19691112》は、校閲を省略したため、
先生のご意向に添わない箇処もありましたが、私の長年の敬意が、やや
無遠慮な表現になったものでしょう。
 当時「京都市立芸術大学には女子学生もおおいから、そのほうの配布
は控えてほしい」旨のお申し出は、そのとおりに手配しましたが、身辺
の友人たちの反応は「いかにも、カラヤンらしいエピソード」と概して
好評でした。私の判断は(真偽はともかく)おそらく楽屋のうわさ話が
伝説化したもの、とみていたのですが(いま思えば)先生のお立場や、
ご懸念にまで配慮がおよばなかった次第です。
 そのあと、江藤俊哉氏との対談は(私の都合がつかず)、海野義雄氏
とも機会を逸し、当初の構想である“日本の弦楽四重奏談”シリーズは
完成できませんでした。
 巌本真理・黒沼俊夫両氏も故人となられて寂しいかぎりですが、先般
は「世界室内楽コンクール」審査委員長として活躍される先生のご健在
を知りました。先生の教え子のひとりである、チェロの白石将氏とは、
あるとき数時間におよぶ長電話で室内楽を語り合ったこともあります。
 同志社から京都芸大を経てパリ音楽院にわたり、現在カンヌ管弦楽団
に在籍するバスーンの若林通夫は、私の高校オーケストラの後輩です。
 幸運にめぐまれた音楽ファンとして、自伝草稿“天才少年少女列伝”
を書きかけています。たとえば、先生が独奏された《ロマンスF》は、
辻久子さんが、指揮者エッシュバッハーとの意見が合わなかったので、
急拠コンサート・マスターの代演となった経過(当事者には複雑な感想
もあるかと存じますが)など、微笑ましいエピソードであり、いかにも
起こるべくして起った伝説的珍事ですね。
 辻久子さんとは、直接お目にかかることはなかったのですが、かつて
家を売り払ってストラディバリウスを買うという、象徴的なニュースの
後で、それまで愛用されていた双子のバイオリン“月龍・日龍”には、
数年後に一方の月龍・日龍(いずれか不詳でしたが)を手に取ったこと
もあります。
 その製作者である峰沢峯三氏(19780515没)については、鈴木政吉氏
(18591211? < 19440131)製作のチェロを高校時代に手に入れて、修理
を依頼すべく、訪問したことがあります。(註)
 峰沢氏は一瞥して「なかなか良い楽器だな、イタリア風に真紅に塗装
すればいい。この傷も、すっかり綺麗にしてあげよう」といってくれま
した。「いかほど用意すればよろしいか」とたずねると、「学生さんの
ようだから、六千円にマケテあげよう」といわれたものの、その予算は
他のことに消えてしまい、楽器そのものも現在では手許にありません。
 私が学んだ弦楽器は、すべて鈴木製ですが、初代のチェロだけは大量
生産以前の風格があり、その感触はいまも記憶に残っています。
 他に弦楽器製作者・無量塔蔵六氏と語り合ったことなど、それぞれに
関連するエピソードは、尽きることなく、いわば“双頭の龍・外伝”と
いうところでしょうか。
 *
 昨年、学習院中等部の数学教諭をされていた新井正夫氏(アイザック
・スターン独奏ベートーヴェン協奏曲のファンであり、いまの私にとっ
ては暦法研究の先輩です)が、各種パンフレットを送ってくださった中
に、若き日の先生の文章が載っていましたので、コピーを同封します。
《Farewell Recital Isaac Stern 19531027-1029 日比谷公会堂》
 ご返信にはおよびません。
 *
 新春三夜連続の再放送、NHKスペシャル《映像の世紀》を視ていま
す。この番組の音楽は悲愴感にあふれた傑作で、はじめて聴いたときは
シベリウスの作品かと思ったものです。調べてみると大阪出身の作曲家
・加古隆によるもので、彼はシューベルト生誕後、満百五十年に生れて
います。現代音楽がたとえ映像に依存しながらも、ときに感動的な新作
が成立することに、激励の手紙を出し、二度目には返信無用と伝えまし
た。若い芸術家は、ファン・レターに返事を書くよりも作曲に専念して
もらいたいからです。
 私は、まだ老人ではありませんが、親しい友人には老兵を自称してい
ます。世俗をはなれて研究に没頭するためです。(Let'19970101 未完)
(註)
 峰沢工房を訪問したとき、はじめ案内を乞うてあらわれた中年男性は
峰沢泰三氏とみられる。想像したイメージより若すぎるのでとまどって
いると、「しばらくお待ちください」と引きこまれて、主人の峯三氏が
あらわれたのである。
 *
── 新春お好み将棋対局・早指しペアマッチで指し初め「岩淵龍太郎
×神野明」「清水市代×斎田晴子」「森本レオ×渡辺徹」「高橋和×中
倉彰子」解説・田中寅彦 501468 ── 19970101 12:30-14:30 NHK-TV
     ┌─────┤
 ┌─────┤ ├─────┐
(上手下手/先手後手)
 清水+岩淵 高橋+神野 中倉+渡辺 斎田+森本


与太郎 |MAILHomePage

My追加