与太郎文庫
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2004年01月21日(水) |
《初演366年譜》 〜 天才の日々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040121
18160121 初演 ケルビーニ《レクィエムハ短調》 18800121 初演 リムスキー=コルサコフ《歌劇「5月の夜」》 18890121 作曲 ヴォルフ《創造と生命を与えること》 18890121 作曲 ヴォルフ《盗みは出来心にあらず》 19040121 初演 ヤナーチェク《歌劇「イェヌーファ(彼女の養女)」》 19120121 初演 ラヴェル37《マ・メール・ロワイユ》 19300121 初演 プーランク31《オーバード》 19370121 初演 バルトーク56《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》ザッヒャー31 ──────────────────────────────── ♀巌本 真理 Violin 19260119 東京 19790511 53 巌本真理弦楽四重奏団 ♀川井 郁子 Violin 19680119 香川 /1998東宝映画「絆」リプトンCM Elman,Mischa Violin 18910120 Russia 19670405 62“Elman Tone”America 岩淵 竜太郎 Violin 19280121 東京 /プロムジカ弦楽四重奏団/岩渕 龍太郎 アブネック,F.-A. Violin 17810122 France 18490208 68 パリ音楽院管弦楽団創立 ♀Carmirelli,Pina Violin 19140123 Italy 19930226 79 イ・ムジチ合奏団(*3-4) ♀諏訪 根自子 Violin 19200123 東京 20120306 92 /籍=大賀“天才少女” 葉加瀬 太郎 Violin 19680123 大阪 /高田 万由子の夫/画家
与太郎は、十六歳のとき(やみがたい衝動によって)ヴァイオリンに 取りくんでいる。 あらゆる楽器の中で、いちばん大きな音が出るのは、トランペットや ティンパニではない。ヴァイオリンこそが、耳元から顎の骨を伝わって、 脳天をつらぬく大音響を発するのである。 そのころ《弦楽技法》《カザルスとの対話》を読んで、高名な弦楽器 奏者にインタビューする夢は、さいわいにも三十才で実現できた。 対談にあたっては、手に入るかぎり、経歴を調べておく。 生年月日を記憶しておくのは、そのことを話題にするためではなく、 ほかの人たちとの“長幼の序”を見はからうことが重要だからである。 いかに嫌いな相手でも(その人にとって)年長であれば、敬語で語ら なければならない。あるいは(自分にとって年長であっても)身内の者 を語るときは敬語を用いない。 つきつめていくと、相手が、どのような人に対して敬語を用いるかを 観察すれば、ききての身分をどの程度に評価しているか明らかである。 与太郎の雑論だが、もともと日本語の敬語文法は、天皇を頂点とする 序列が基本だった。長幼は補助的な尺度にすぎない。したがって、最近 の若者が敬語を乱しているのではなく、身分制度としての天皇制が崩壊 したためである。 そこで、文法上の敬語は、すべて丁寧語や謙譲語に併合されたので、 時と場合に応じて流動化してしまった。たとえばタクシーの運転手が、 家族旅行で観光地のタクシーに乗った場合に「おい、運ちゃん」などと 呼びかける可能性もある。市民生活では、つねに金を払う者が優位で、 その場かぎりの関係にすぎない。 与太郎の(実際の出生日は分らないが)戸籍上の誕生日は、一月廿日 である。(与太郎にとって)ふしぎな偶然だったが、巌本さんの誕生日 が一月十九日、岩渕さんは二十一日だから、どちらも忘れようがない。 いまや与太郎のパソコンには、十万行におよぶ生没データがあるが、 どういうわけか「一月生れの音楽家」が多い。さらに偏在しているのは、 ざっと抽出しただけでも連続5日間、まさにヴァイオリニストの季節で ある。 このことは、日付と季節における統計上の“ゆらぎ現象”であって、 ただちに宿命や運命に結びつくものではない。むしろ、そうでないこと を証明するための、希少なサンプルであろう。 杉浦 日向子・解説《お江戸でござる 20040115 NHK》によると、 江戸の長屋では、新入りの者に対する「三つのマナー」があったという。 「一は生国を聞かず、二に家族構成を質さない、三に年令を訊ねない」 江戸文化を愛してやまない女史ならではの、近来の成果にちがいない。 コマーシャルや映画で人気絶頂の美女・川井郁子さんは、生年不詳で ある。すくなくとも、ファン・クラブなどの公式HPでは、その部分が 空白になっている。かりに所属事務所の方針だとしても、いまどき時代 おくれのセンスではないか。 ところが、Google で「川井 郁子+年齢」を検索したところ、つぎの ようなサイトに出会った。── 老子《天網恢恢、疎而不失/第73章》 川井 郁子 - 36歳 情報提供者 - 1968/01/19(更新時刻2004/01/15) 《芸能人の背いくらべtop(みんなでつくるデータベース)女性(2)》 http://www.kurabe.net/geinou/woman2.html 諏訪根自子・植野豊子(現姓=服部 豊子/譲二の母 19261123 東京) とならぶ元祖“三大美少女”だった巌本さんは、初対面の与太郎にも、 みずからの年令については「昭和とおんなじだから」と屈託がなかった。 ── あどけない少女の頃だったわけですね 巌本 つまり 17才ぐらい(笑)ってわけね ── そして21才の音楽学校教授も誕生しましたね 上のやりとりは、与太郎が(遠慮するふりをしながら)カマをかけた ところ、ズバリ実年令で答えてくれたため、つぎの話題につながったの である。ここでもし彼女が、当時43才の年令を明かしたくない素振なら、 教授就任の話題は、別の表現にならざるを得ない。 ここで「21才の教授」と言いたかったのは、21才の教授が22才の生徒 に教える光景を思いうかべて、無意識のうちに前ふりをしたのである。 なお、カッコ内の「(笑)」については、書きとめたいことがあり、 いずれ「表記凡例」の項に追記する。 誤解されているようだが、インタビューは質疑応答の記録ではない。 あるいは、自分に都合のよい意見を引きだすための“やらせ”でもない。 分りきったことを訊ねて、知らなかったことを引きだすのが妙味である。 著名人にインタビューする対談形式としては、セシールとバーナルの 経営者がCM史上二大成功例である。前者は新聞紙上で、後者はテレビ 各局を乗っ取ったかのごとき勢いだった。 この手法が、これほど効果的だとすると、ストッキングや化粧石鹸に かぎらず、教育や政治に応用されれば、画期的な成果が得られるのでは ないか。
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