与太郎文庫
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2004年01月23日(金) |
《初演366年譜》 〜 日龍・月龍 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040123
17330123 初演 ヘンデル《歌劇「オルランド」》 17880123 作曲 モーツァルト《田園舞曲「戦い」ハ長調》 17910123 作曲 モーツァルト《6つのメヌエット〔ハ長調,ト長調,変ホ長調,変ロ長調,ヘ長調,ニ長調〕K.599》 18890123 作曲 ヴォルフ《あなたの恋が幸せであるように》 18890123 作曲 ヴォルフ《どうしてぼくは明るい気持ちでいられよう》 19340123 初演 レスピーギ《歌劇「ラ・フィアンマ(炎)」》 19440123 初演 シェーンベルク《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌》
>> 峰山 峰造(1899〜1987年) 峰造の父は峰山宮蔵と言って、優れた宮大工であったが、兵庫県播磨 に当時東洋楽器という会社があり、そこでVnの製作に携わっていた。 峰造はこの父宮蔵からVnの製作技術を学び、生涯Vn及びチェロの製作 に携わる。 峰造の作ったVnは優美なものであり、特に裏板の楓の模様は美しかっ たと云われている。 そして自分の満足出来る作品のラベルには毛筆で龍の字が添え書きさ れている。辻久子が当時「日龍、月龍」と命名された彼のVnを2挺使用 していたが、「私の生涯でこれ以上のVnを持つことは無いでしょう」と 云ったと言うエピソードが残されている。 然し辻久子はその後(筆者の記憶ではそれから30年くらい後)家を売 ってストラディヴァリウスを購入しており、ヴァイオリニストとって、 ストラディヴァリは、やはり憧れであるものと思われる。 (筆者の師匠から聞いた話では峰造は、このほかにも鷲の彫刻を施した Vnも作っていたと言うことであった。) ── 錦生 如雪《ヴァイオリン物語 20020523 音楽よもやま談義》 http://godmuses.hp.infoseek.co.jp/hafuna-48-13.html << Mail'20040119 「日龍」か「月龍」か? 錦生 如雪 様 一年前、鈴木鎮一・無量塔蔵六氏についてメールをさしあげた者です。 → Mail《音楽よもやま談義》読んでいます 20030210 与太郎文庫》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030210 このたび気づいたことですが、<峰山峰造>(1899〜1987年)とある のは「峰沢峯三 1899〜1978」の誤りではないかと存じます。 わたし自身は、当時の京都新聞で「峰沢峰造=みねざわ・みねぞう」 と記憶していたのですが、下記の人名録では、「みねざわ・ほうぞう」 と振っています。無条件には信頼できませんが、わたしの知るかぎり、 唯一の活字による出典です。 峰沢 峯三 弦楽器製作 1899・・ 京都 19780515 79 ── 《昭和物故人名録 19830720 日外アソシエーツ》P476 辻 久子の依頼で製作された「日龍・月龍」が、ストラディヴァリウス にとって替わるまでの期間を「筆者の記憶ではそれから30年くらい後」 とありますが、私の記憶によれば「1957年秋から1972年夏までの15年後」 であろうと推定されます。 わたしが峰沢工房を訪問したのは、1958春でしたから、辻さんのソ連 演奏旅行は前年の1957年秋ごろ、と推定されます。 京都新聞で「日龍・月龍」が写真入りで掲載されたのを読んだあと、 高校二年のわたしが愛用する、傷ついた古いチェロ(鈴木政吉・作)を 修理してもらえるかどうか、意を決して見てもらったのです。 (このエピソードは、岩淵龍太郎氏あての未投函書簡・他にも詳述) さらに1973年秋ごろ、くだんの銘器を手にとる機会があったのです。 そのときは「辻さんから譲りうけた」ときいただけで、かの銘器とは 気づかなかったため、いまとなっては「日龍・月龍」いずれであったか 特定できません。 しかし当時の所有者の状況を総合すると、まさしく思いあたるのです。 「生涯でこれ以上の銘器を持つことは無い」と言った辻さんは、15年後 ストラディヴァリウスを買うため、家を売るついでに、古くなった愛器 を、二人のお弟子さんに譲ったのでしょう。 ケースを開くと(松脂が粉を吹いていて)よく手入れされていました。 久しぶりに(わたしのヴァイオリンは、3年前に壊れてしまったので) 弾いてみたかったのですが、その場(神戸の知人宅)では、ピチカート だけにしました。 きちんと調律されているものの、ピーンと張りつめた緊張感があり、 あとで聞いたところでは、そのころ辻さんの教室では、一斉に「440h」 から「444h」にチューニング・アップされたそうです。 いま思うに弦楽器の調律は、まことにメンタルな感触があり、思わず 手にとって抱きしめたくなるような気分になることがあります。反対に、 弾くことを拒絶されるようなピッチもあるらしいのです。いまもなお、 謎につつまれた疑問のひとつですが……。 ことほどさように《ヴァイオリン物語》は、わたしにとっては記憶の 源泉であり、いまのネット情報における空白の時代を伝えています。 なお、このメール本文と、別掲の部分を、わたしの《与太郎文庫》に 引用させていただきたいのですが、よろしいでしょうか? また、たったいま気づいたのですが、東儀哲太郎の名を(意外や意外) 次のところで引用していました。 → 《おやおや? 〜 続・親の顔 〜 20031224 与太郎文庫》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031224 ぜひ、ご研鑽のほど、ご精励ください。ではまた。 与太郎 こと 阿波 雅敏
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