与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2003年03月24日(月)  走れ!たかじん 〜 東西南北の男たち 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030324
 
── 「北の雄二(南都雄二)かミナミのまこと(藤田まこと)、東西
南北藤山寛美」といわれ、当時の遊び人TOP3人を称した。バーのボーイ
に「チップとして」車のキーを渡し、自動車一台をあげたこともあった。
── (Wikipedia)
 


 南都 雄二   漫才 19240426 大阪   19730319 48 /ミヤコ 蝶々の元夫/籍=吉村 朝治
 藤山 寛美   俳優 19290615 大阪   19900521 58 /直美の父/籍=稲垣 完治
 藤田 まこと  俳優 19330413 東京 京都 /歌手・コメディアン/藤間 林太郎の子/籍=原田 眞
 やしきたかじん 歌手 19491005 大阪   /籍=家鋪 隆仁

 
── 寛美さんには確か一万円のチップをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19930620
 やしき・たかじん胸いっぱい
 
 寛美は、バーのボーイにクルマをくれてやったそうだが、たかじんに
は一万円くれただけだ。クルマをやったのは与太郎だった。
 
── 許せないのは「レコード屋の“Kさん”が、アルバイトの給料が
払えないので、スバル360を差しだした」というくだりです。(略)
 車をくれてやったのは、酒席での酔狂なチップであり、アルバイトの
給料も(頼んだおぼえは無かったが)払っています。(20030324)
 
── ざこば「クルマやったのも、アンタかいな。」(架空の発言)
 本では、アルバイトの給料の代りに、クルマを貰ったと書いていた件
は、佐々木の長女が送ってくれたビデオ(20030205)で一応解決した。
 
 実際の発言はつぎのとおり。
 ざこば「そんな、クルマくれるような人が居ったんか?」
 たかじん「うん」(どう答えるべきか、まだ迷っているらしい)
 ここでは、本で書いたことと矛盾している。消極的訂正ということか。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050628
 ざこば vs たかじん 〜 またもや仲たがいか 〜
 
── 徹子の部屋《くたばれ!たかじん 19960606-0607 阿波文庫》P234
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960607
 くたばれ!たかじん(2))
 
────────────────────────────────
 
 Let'20030320-0322
 
 こんにちわ。
 先日、メールで、お話ししました、ビデオです。
 一度見て、なつかしい気分になって下さい。
 私も、はずかしながら、登場しますので…。
 
 いつも、色々とお気にかけて頂き、うれしく感謝しております。
 本当に両親は、幸せだったと思いますし、今も幸せだと思います。
 また、いつかお目にかかれれば……と思います。
 
                   佐々木 加奈子
 
── VTR「ワンマングルメシリーズ!涙の料理!!」より
 若い頃、喫茶店のアルバイト代としてなんと「スバル360」をもら
ったたかじんさん。
 この日の最高視聴率は、京都時代の恩人・佐々木さんから「飲みに連
れて行くかわりにここを走れ」と言われたエピソードを語った瞬間。
 佐々木さんが命じたのは、車幅1.3メートルのスバル360で道幅1.5
メートルのビルのテナント用通路(もちろん車立ち入り禁止!)を走り
抜けることだった!!
── 《たかじん ONE MAN 20030205(水)23:55-24:55 毎日放送》
http://mbs.jp/oneman/
 
────────────────────────────────
 
 Mail'20030324-0322
 
 佐々木 加奈子 様
 
 録画ビデオ、ありがとうございました。
 ご両親や、あなたの姿を観ることができて、感無量です。
 やしき・たかじんも、すっかり涙もろくなったが、あいかわらず当時
のエピソードを勘ちがいしたまま(曲げて)語っていたのが残念です。
 
 1996年6月ごろ、本屋で《たかじん胸いっぱい》を見つけ、敏男君に、
「あの野郎、こんなに売れとるとは知らなんだぜ」と電話したのが最期
の会話になりました。
 私が許せないのは「レコード屋の“Kさん”が、アルバイトの給料が
払えないので、スバル360を差しだした」というくだりです。
 彼は、喫茶店のオープン前から、スバル360にチーフを乗せて来て
いるのです。彼らが山科のアパートから西大路九条まで、バスや電車を
乗りついで来たのなら、二人そろって現われることは不可能です。
 車をくれてやったのは、酒席での酔狂なチップであり、アルバイトの
給料も(頼んだおぼえは無かったが)払っています。
 芸人だから、ハナシを面白くしたいのは分りますが、そのあと商売を
たたんだ私の面目は、まるつぶれです。
 
 かといって騒ぐのも無粋なので、架空対談《くたばれ!たかじん》を
書いて(数名の友人ともども)送ったのです。いまや多忙な芸人だから、
気をつかって「返信無用」と書きそえたが、電話もかかってこない。
(当時の事情を、彼は理解できなかったのでしょう)
 ご両親が、彼のファン第一号とすれば、私はファン・ゼロ号なのです。
 数年後に電話して、良子ママと話をすることができました(19990908)。
「やしきは、あわさんにもらった車を、ほんとに気に入っていたのよ」
「ポンコツだったけどね」
「そのうち、片方のドアが無くなっても、そのまま走っていたくらいよ」
(このあと、ママのマスターへのおのろけにつきあう)
 
 ホリデーバーガー第一回のど自慢(1972052.)で、良子ママのために、
私が唄った《瀬戸の花嫁》が、のちのカラオケ・ブームの引金になった
と自負しています(お腹の中で、聞こえませんでしたか)。
 ではまた。
                  与太郎 こと 阿波 雅敏
 
────────────────────────────────
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19930620
―― 《たかじん胸いっぱい 19930620 虚々日々》P232
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711114
―― 《アキレスとメロス 19711114 虚々日々》P127
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710115
―― 《同窓会始末 19710115 虚々日々》P223
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051112
 落第生は二度眠る 〜 寒月の右手 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030114
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030115
 幻の弦楽技法 〜 出谷 啓氏への未投函書簡 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580120
 チャンピオン 19580120 与太郎文庫》
 
http://yashiki-takajin.jp/
 たかじん機密書類
 
(20070810-20090113)
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加