与太郎文庫
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1978年02月17日(金)  華ときものと私 〜 池坊家の人々 〜

 華ときものと私 〜 池坊家の人々 〜
 
 Ex libris Web Library;池坊 保子
── 《華ときものと私 19780217 岡山県農業会館》
 
 
 
 
 


 梅渓 通善       子爵 18‥‥‥ 京都 19‥‥‥ ? /梅渓の子/通魯の父/18840708 子爵
 梅渓 通魯       子爵 18‥‥‥ 京都 1920‥‥ 57 /池坊 保子の祖父
 梅渓 通虎 貴族院議員・子爵 19‥‥‥ 京都 19‥‥‥ ? /池坊 保子の父
♀梅渓 夏子     通虎の妻 1907‥‥ 東京 19970914 90 /池坊 保子の母/旧姓=仙石 政敬の三女/通明の母
http://1000ya.isis.ne.jp/0585.html ── 早坂 暁《華日記 1989‥‥ 小学館文庫》香淳皇后の従妹/正力 亨の義母
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 池坊 専啓 華道池坊家元43世 1868‥‥ 京都 19440411 76 /故=池之坊
 池坊 専威 華道池坊家元44世 19‥‥‥ 京都 1945‥‥ ? /急逝/専永の父
 池坊 専永 華道池坊家元45世 19330721 京都       /専威の長男/1963- 保子の夫
http://www.ikenobo.jp/ikebanaikenobo/iemoto.html
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♀池坊 保子    専永の元妻 19420418 東京       /旧姓=梅溪 通虎&夏子の三女
/1961 学習院大学文学部国文学科中退/[199610‥-20121116] 衆議院議員(公明党)/20010426 文科副大臣
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C3%D3%CB%B7+%CA%DD%BB%D2
────────────────────────────────
♀池坊 専好4 華道池坊家元46世 1965‥‥ 京都       /専永&保子の長女/20151111 襲名/旧名=由紀
/天台宗頂法寺(六角堂)副住職
 池坊 雅史   元大蔵省官僚 1961‥‥ 埼玉       /1991 池坊 由紀と結婚/旧姓=千野
/東京大学卒/池坊短期大学長 20050406 解任
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 野口 修司 元 NHK経済部記者 196,‥‥ ‥‥       /2000 池坊 美佳と結婚
♀野口 美佳 華道池坊     19700311 京都       /旧姓=池坊 専永&保子の次女
http://www.ikenobo-mika.com/category/%E6%B1%A0%E5%9D%8A%E8%A1%8C%E4%BA%8B
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 梅渓 昇    日本近代史 19210121 兵庫       /大阪大学名誉教授
 梅渓 通明    市田専務 1932‥‥ 京都       /通虎の長男/池坊 保子の兄
 梅渓 通彦  読売テレビ放送 1947‥‥ 京都       /通虎の次男/池坊 保子の弟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%BA%AA%E5%AE%B6

 

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(20160111)
 
 華ときものと私
 
■ きものと宝石
 
《いけばなインターナショナル》という団体がございまして、日本だけ
でなく、世界各地の、いけばなを愛する方たちのあつまりです。ヨーロ
ッパやアメリカの人たちは、いけばなはやっておられないけど、お花が
大好きな方がたくさんいらっしゃいます。お花を愛しておられる方なら、
誰でも参加できる会なんです。
 四年に一度、日本で大会があります。
 各家元のデモストレーションはじめ、講演やパーティが催おされます。
外国の方はパーティが好きですから、夜になりますと、世界各国のいろ
とりどりの民族衣裳を着た人びとがあつまります。
 この時には、日本人に生れてよかった、きものがあってよかった、と
思います。私どものプロポーションは、とても外国
の万には及びません。十代廿代の方はずいぶんよくなった、といわれま
すけどそれでも外国の方のスタイルのよさにはやはりヒケをとってしま
います。その点きものは、私たちの体型にぴったり添ってくれるんです。
「きみは着物が似合うよ」
 ついこの前、家元がそういってくれました。女って、ほめられると嬉
しいものですから「あらそうかしら」つていうと「スタイルが悪いから
ね」なんて申します。
 きものが洋服とちがう点は、外国ではかならず宝石を必要といたしま
す。洋服と宝石は、切っても切れない組みあわせなんです。
 私たちのきものは、永い歴史をもっておりますけれども、宝石という
ものにはあまり関心がないみたいですね。そこですばらしいネックレス
をした外国婦人に
「どこでお求めになりましたの?」
なんて野次馬根性たっぷりに質問いたしますと、ほとんどの方が、何代
も前の、おばあちゃまに戴いたものとか、お母さまが結婚されたときに
買ったものとか、娘から娘に、代々うけつかれてきた例が多いのに驚き
ます。
 
■ ヨーロッパの家庭
 
 外務省の派遣とか、流派の仕事などで外国の各地を旅する機会がござ
いまして、こういう点は見ならっておきたい、とか日本の良いところは、
ぜひこのまま守り育てていきたい、というようなことに、たくさん出会
います。
 ドイツで、ある家庭に招かれました時、そのお宅の男の子が、ほんと
に可愛いいホットパンツをはいて、とてもよく似合っておりましたので、
「いま、こんなのが流行してるの?どこのデパートで買ったの?」
と尋ねますと、男の子は得意になって、「これは、おじいちゃんの戴き
ものなんだよ、お父さんもはいて、それからボクの物になった」ってい
うんです。
 ドイツは、質実剛健の国なんていわれますけど、ちょっぴりケチなの
かな、と内心思ったりしました。そしたら、そのお母さまが、
「どうして、びっくりするの? ドイツでは当りまえのことなんですよ。
おむつだって、母親が赤ちゃんを育ておえるときれいに消毒して、アイ
ロンかけて戸棚へしまっておく、娘が大きくなって結婚して赤ちゃんを
産むときに戸棚から出すんですよ」
 さいきんは貨おむつなんて、いかにも合理的なように私たち錯覚して
いますね。必要に応じて、そういうものを利用する場合は別ですけど。
 
■ 白いベール
 
 パリでも、同じような例は、たくさんありました。向うでは、食事の
時には、いろんなナプキンやテーブルクロスを用います。
「すてきなレースね」
私が思ったことをすぐ口にいたしますと、「これは、わが家の宝です」
これも代々伝えられてきたレースだったわけで、こういうものは戸棚に
しまっておくんじゃなくて、毎日たのしんで使いながら、いかに上手に
きれいに使って、次の世代に手わたすか、というのが主婦の条件なんで
す。
 ですから、娘が結婚するからといって、花嫁さんのかぶる白いベール
をデパートへ買いに行く、というようなことも少ないわけです。いかに
古く、その家代々に伝わったベールであるかが、花嫁さんの自慢なんで
す。
 ほんとに必要なものは、たとえ無理をしてでも求めて、次の世代に渡
せるものかどうかを、まず考えるようですね。
 
■ 豊かな合理化
 
 日本ほど、いろんな物が豊富に出まわっている国はないようです。で
すけど、いろんな役割りを果たす物がそろってるということではないん
です。
 二年前に買った魔法瓶の蓋が、すこしゆるんできて、胴体はまだ使え
るから、蓋だけ直したいと思ってデパートへ行きますと『これは、旧い
製品ですから新しく買いかえた方が、お安いですよ』
 五年前に買った電子レンジがこわれてしまったので電気屋さんに頼む
と、
『この会社では、もう この型のものは作っていません。部品だけとり
よせて直しても、新しいのを買うのと同じくらいかかりますよ』
 もったいない、まだ直せば使えるのにと思いながら、新しいものに買
いかえなければなりません。私たちにとってモノが豊富にあるというこ
とは、たくさんの機能を果たす──たとえば、お湯の温度を調節できる
魔法瓶のようなものでなく、いろんな柄の、いまはやりのマンガを描い
たものとか、ピエール・カルダンのデザインしたもの、そういうものが
豊富にあるというだけなんです。
 ほんとの合理性とは、何なのだろうか、もういちど考えてみたいと思
います。
 
■ 心を託す
 
 私が、結婚いたします時、知らぬまに母がきものをこしらえてくれま
した。
 まだ大学生でしたので、さものなんて興味がありませんでした。きも
のを一枚買うんだったら洋服二枚買えるのに、と単純に思っておりまし
た。
 ところが十五年たちまして、一枚一枚とりだして眺めてみますと、あ
のころに母が、いろんな思いをこめて選んでくれたんだな、という気が
するのです。
 嫁ぎゆく娘に、いっておきたいことがいっぱいあって、東京から京都
へ行って、習慣やしきたりがちがう、その中で無事にやっていくだろう
か、健康で、みんなと仲よくやっていけるだろうか、母親の知らない世
界に嫁いでいく娘への思い、心づかいといったものが、母にあったと思
われます。
 ことばでいうには、あまりにせわしい日々、はたちそこそこの、結婚
を目前にした娘に、ああなんだよ、こうなんだよといいきかせても、右
から左へきき流して心に留めてくれないだろう、という母の思いも感じ
られます。
 
■ 限りあることば
 
 娘の七五三に際しましても、いろんな思いがございます。
 立派な社会人になってほしい、聡明な女性に成長してほしい、勉強も
まあまあできてほしい、そんなことをいってみても、子供は『ママ判っ
てるわよ』というばかりで、聞きながしてしまう、だからそれをいう代
りに、いろんな願いをこめて七五三のきものを選びます。
 一枚のきものには、染めた人、選んだ人、縫った人の気持が、着る人
のこころとともに秘められていると思われます。
 若い人たちが、
『ボクはキミを愛してるよ、愛してるよ』と繰りかえし、いわれればい
われるほどホントに愛してくれてるのかしら、そのことばが軽重浮薄に
聞えて、その本心はどうなんだろうか、と心配になったりします。私た
ちが、ことばでいいつくす思いに限りがあるとしたら、いったい何に託
せばいいのでしょう。
 聖バレンタイン・ディなどありまして、女の子が男の子に、そっと
『あなたに好意をもってるわ』と伝えるわけてす。
 脱線いたしますけれど、先だっては、夜になりましてから、家元に、
「ぼくにチョコレートはないのかい?」なんていわれました。結婚して
十五年になる夫婦でも、チョコレートが要るのかしら、と思いました。
奥さま方、ご主人にプレゼントなさいましたか?
 
■ 母と妻と娘
 
 親子の断絶とか、いろんな人間関係の断絶ということがいわれます。
 ことばで、すべてを解決しようと思うところに原因があるようです。
 日本の文化は《察しの文化》である、といわれます。私の両親は、明
治うまれですけれども、父が夕刻に帰宅しますと、顔色を見ただけで、
今日は気分のいいことがあったんだな、あるいは、不愉快なことがあっ
たな、ということが母に判るようでした。判るけれども、そのたびに
『あなた、今日はいやなことがあったんでしょう?』なんてことは、い
わないんです。黙って、いつもと同じようにお茶を出します。
 その行為の中に『大変でしたわね』といういたわりの言葉が秘められ
ているのです。そして父も『今日は大変だった、だけれども、このお茶
で心がなごんだ』そういう気持で、お茶を喫むわけです。
 私が、ときに東京の実家へ帰りますと、あれもいおう、これも聞いて
もらおう、女性というのは、思ってることを聞いてもらうだけで、心が
晴れやかになるんですけれども──母にしましても、たくさんのことを
娘に聞いてみたいはずです。
 でも、顔を見ただけで何もいわなくても、母と娘のあいだに、通いあ
うものがあるんです。
『京都でこんなことがあったのよ、こんな嬉しいこともあったのよ、苦
しいこともあったのよ』そんなことをいう必要がなくなってしまうんで
す。
 黙って坐って、
「どう、元気? お茶でも喫む?」
 そういってお茶を入れてくれる行為の中には『元気でおやりなさいね、
いやなことがあっても、がんばるのよ』という無言のはげましがあるわ
けです。
 一服のお茶を喫むことは、おたがいの気持を察しあう心で、ことばに
しなくても了解が成りたつのです。この心を大切にしなければ、と私は
思います。
 母の入れてくれたお茶を飲んだだけで、心が安らいで、何もいわなく
てもよくなるのです。
 
■ 母と子の会話
 
 子供に『勉強しなさい』といっても、“また母さん、あんなこと言っ
てる、うるさいな”と子供は思ってしまいます。そのかわりに「がんばっ
てね」といって勉強机の上に一輪の花を置いておくと、子供は、花を見
るたびに“母さんポクに勉強してほしいと願ってるんだな”と、思うか
もしれません。
 そこに、どんな言葉でもあらわせない心と心の通いあいが生れます。
 私ども日本人の母と子の会話は、一日平均して三分なんですって(そ
んなことをいって、皆さん思われるでしょうね)。
 でも、子供が帰ってきて、
「お帰りなさい、早くしなさい、テレビを消しなさい、あとかたずけし
なさい、ご飯ですからいらっしゃい」というのは会話ではないんです。
「きょう学校で、こんなことがあったよ」
「そう、それでどうしたの」
「ポクはこう思う」
「母さんは、こう思うわ」
こういう意見の交換があって、はじめて会話といえます。
 私の両親は、明治の人ですから、子供にあれこれいうようなことは、
ございませんでした。五人きょうだいでしたからたいへんだったと思い
ます。
 母は、私の小学校へは、入学式と卒業式にしか来てくれませんでした。
参観日なんていいますと、
「わたしは大きらい、わたしが頑張ったところで、あなたができるわけ
じゃない、あなたが頑張ってるあいだ、家でおいしいもの作ってたほう
がいいわ」
 私たち母子は、たがいに言葉に出しての会話は、あまりなかったので
すけれど、母の生きてる姿から、私はいろんなことを学んできた、と思
います。
 たとえば、ほんとうに強い、ということはどういうことなのか、自己
主張することが強いことでなくて、困難なことに出あったときに、静か
に受けとめて対処していく、あるいは、ほんとうの優しさとは何か、そ
ういうことを無言のうちに母から学びとってきたつもりです。
 先日、私の娘の小学校へ参観日に行ってまいりました。
「いいわね、間違ってもいいから、たくさん手をあげてね」なんて、娘
に頼んだりいたしました。近ごろの母親はとても教育熱心で、子供のこ
とをかまうんですけれども、肝心なところを忘れてしまっているので、
心の通いあいというものが、とかく薄れているように思います。
 
■ 三つのたしなみ
 
 私は、ふたりの娘の母であると同時に、たよりない学園長をいたして
おります
若い、たくさんのお嬢さまに囲まれているんですけれど、若いみなさん
に対して、いつも三つのことをお話しています。
 そのひとつは、どんなお部屋に住んでいても、一輪の花を絶やさない
人であってほしい、ということです。
 お花は生きております。いつか枯れるときがあり、枯れるからこそ、
少しでも花の命を永くしたいので、お水を代えてあげる。あるいは寒暖
の差のすくない処へ配置がえする──そういう心くぼりが心安なんです。
 造花もドライフラワーも可愛いいものですが、ホンコンフラワーがほ
こりを被ったまま、いつまでも机の上に置いてある、というのではなく
て、一輪の花を活ける、そういう人になってほしいと思います。
 ペーパーフラワーなら、すぐできて、枯れないし、水を代えなくても
いいし、便利でいいわよ、という方もいらっしゃる。そんなふうに、世
の中すべてのことを割りきってしまうと、殺伐として悲しいことですね。
 
■ 心のゆとり
 
 ふたつ目は、お茶をおいしく入れられる人になってほしい、というこ
とです。お茶を入れるには、心のゆとりがなくてはなりません。
 子供が外から帰ってきまして、「ママ、のどが乾いたヨ」と申します。
 ジュースですと令蔵庫から出して、栓を開けて、コップに注いで手わ
たしたらそれでいいんですが、お茶をおいしく入れようとしますと、時
間的にはたいしてかからなくても、心がせいておりますと、ああ邪魔く
さい、ということになります。
 お湯をわかして、ぬるくても熱すぎてもいけない適当な温度にするに
は、少し置いとかなければなりません。そうしてお茶碗に入れます。
 一枚のお茶が、のどをうるおすだけでなく、それを喫むことによって
心が和らぐ、そういうゆとりの持てる人になってほしいと思います。
 
■ 自分で着る
 
 三つ目は、自分できものを着れる女性であってほしい、いうことです。
 お茶を入れられなくても、生きていくことはできます。仕事をしてい
くこともできます。
 お家に花がなくても 日常生活を統けることはできます。
 道を歩いているとき、そこに咲いている一輪の花を美しいと思う気持、
その前に立ちどまって、ほっと疲れを休めることができる心、このほう
がその人の人生を、はるかに豊かにしてくれるのではないか、と私は思
います。
 この現代、とても住みづらいんですけれども、その中で美しいものを
次の世代に、どうやって受けわたしていいか考えながら、良いものを残
して悪いものを捨てていく選択能力をもって生きたい、と思います。
(吉裳展 19780217 岡山県農業会館)
 
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