与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550603 諫争(かんそう) 阿波 雅敏 「感想」とは、受身の立場にある者が、つつましく述べるものである。 俺はこの言葉が嫌いだ。俺にはこの学校に対して『入れてもらった』と いう気持は毛頭ない。正直なところ、この学校が俺という薬にもならん 人間に選ばれたまでの話である。だから俺は少くともこの学校に関する 限り受身ではない。 こういうわけで俺は云いたいことを書くことにしよう。俺のこの気持 には必ず幾人かの理解があることを信じる。 × × × × 入学式に下駄をはいてきたのは俺だ。実はあのとき、足に「ミズムシ」 ができていて、バカ陽気の折に靴なんかはいて行って、ひどくなるのを 恐れて下駄バキを敢行した。これが誤解されて、上級生の猛者連がいき り立ったのはおかしかった。 彼らにすれば「あいつ生意気だ」というところだったと思うが、そう 云う前に『お前なんで下駄はいてきた』と聞いてもらいたかった。そう したら根はやさしい兄貴たちのことだ、うららかな日ざしをあびて、仲 よく俺の「ミズムシ」の皮をむしるのを手伝ってくれたかもしれんのだ。 幸か不幸か上級生には忠告されなかったけれども「入学式に下駄をはい てきた」ことはことのほか宣伝されて、はなはだ心外であった。ともあ れ無意味に騒がせた事については反省している。 × × × × ある日の二時間の休みに、某先生が試験をするという情報が伝わった。 さすがに皆あわてた。そこで最も要領のよい数人がすでに試験のあった クラスへ出張して、答の記号と順番を実に正確に調査してきた。おそら く彼らは英雄みたいに思われたことだろう。彼らは新興宗教の神々であ った。皆は直ちに信者となってその呪文を授けられた。そして一生懸命 暗称した。神々は呪文だけしか授けなかったが、それを不満とした信者 はなかった。信者はノートや教科書を見る必要がなかった。 「ハチルロ……」俺はその呪文の合唱のなかにあってノートをひろげて みる気にもならなかった。信者たちの眼は曇っていなかった。無邪気に というより全く人形の眼をしていた。俺はこのあわれな信者たちに何か いってやりたい気がした。 「乞食」つぶやきにしては大きな声であったが、信者たちにその言葉を 理解するゆとりはなかった。 某先生の時間になった。紙が回されてきてからも呪文はあちこちでと なえられた。 実際試験は難かしかった。俺は自信のある解答を記入することができ なかった。一瞬、なぜあのとき俺も信者にならなかったかという問が俺 のはらわたを通り過ぎた。その次に俺は何も知らぬ先生を間抜けだと思 った。多くの手は呪文の威力でなめらかに動いていた。答案が集められ るとき俺は泣きだしたくなった。「ちくしょう。」俺の五体は、悔と、 それをわずかにしりぞける誇りと、そして憤怒で音もなくふるえた。 信者たちは無邪気なあの人形の笑い方をしていた。今俺の彼らに対す るあわれみは消え去った。すでに彼らは、デクノボウに過ぎなかった。 乞食であった。しかも彼らの多くはそれを知らない。知ろうとしない野 良犬であった。手をふりあげれば逃げ、横を向いていれば上目づかいを しながら足もとの骨をしゃぶりにくる野良犬であった。野良犬はすでに 犬としての誇りを失っていた。乞食であった。乞食どもは、数多く、さ らに数多く、同志社にいた。 × × × × ほんとうにどうにもならない事の前でも、腹をすえてグゥグゥねむり こけるような人間は魅力がある。どうにもならぬ事にも、努力を惜しま ぬ人間は人を感動させる。しかし、どうにもならぬといっておびえたり、 恥を忘れた人間は、人の同情さえ得ることはできない。ちかごろ路傍の 乞食や白衣はめっぽう不景気だとか。彼らはそれが当然なわけを知らぬ からであろう。 ── 《山脈・第九号 195506‥ 同志社高校文芸部》 編集後記 ── 原稿を先生のように注意して調べてみましたら、多くのマチガイ を発見しました。マチガイを見つけるだけでも大いに勉強になりました。 今後の「山脈」に期待下さい。(泡沫)《山脈・第九号 195506‥ 》 (※この稿は改竄のため原文不祥) 追加予算会議で五百部印刷して売れたのが三百部、という過去の事情 を話したら、二百部は余計だから三百部だけ印刷しろという人があった。 しかし前の様に七百部出して売り切れた事もあるのだ。なぜコンナコト をいうかというと、こんなにおもしろい本が、なぜこんなに売れないか 一向わからんからな (ヤツアタリ・阿波)《山脈・第十二号 19561012 》 本年度の各部予算では、新聞部が二万円ほど増えたのが目立った。い ままで一枚五円で売っていたが、皆が買ってくれないので、全生徒無料 にするということだった。売れぬようなものを出すなというあわて者も いたが、近頃、学園文化に対する皆の冷淡さを思えば無理はないのだ。 わが山脈にしたって同じだ。内容が貧弱だから売れないのでなくて、良 くても悪くても売れないのだ。最も、だからと言って我々は良くても悪 くてもというのではない。才能ある友人たちがペコペコ頭を下げて広告 集めにまわったり、一部三十円の看板に明け暮れするのは、いかにも不 合理だというのだ。 (水泡)《山脈・第十四号 19571009 》 ──────────────────────────────── (※)“上級生の猛者連”とは、おそらく水泳部の上級生であろう。 《これから・第六号》に、吉田 肇《白衣》の名が見える。実際の経験 では、中学の修学旅行で傷痍軍人を撮影して、フィルムを脅し取られた ことがあり、そのときの憤懣が残っていたものか。しかし、白衣と乞食 を同列にあつかっている点など、当時の公立学校では発禁の対象だろう。 乞食は、いま以上に差別的であり、傷痍軍人もまた屈辱的だった。 また“新興宗教の信者の、人形のような眼”は、われながら秀逸。 (20001224-20090506)
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