与太郎文庫
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1955年06月04日(土)  感じること/吾/花辛夷

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550604
 
──「『ヴェルテル』が出ると、」とゲーテはいった、「早速イタリア
語の翻訳がミラノで出たよ。ところが、じきに初版全部が一冊残らず売
り切れてしまった。司教が手を廻して、教区にいる聖職者たちに全数を
買占めさせたというわけさ。私は腹も立たなかったね。それどころか、
『ヴェルテル』がカトリックにとって悪書であるといち早く見抜くよう
な具眼の士のいることを知って/感服せざるをえなかったよ。
── エッカーマン《ゲーテとの対話(中)19681216 岩波文庫》P092
 
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 感じること                河原 満夫
 吾                    星野 美津次
 花辛夷                  下村 福

 
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── 《山脈・第09号 195506‥ 同志社高校文芸部》
 
 “校風刷新”を行おう 〜 入学直後の匿名・檄文ビラ 〜
 
 同志社マークにある智育・徳育・体育は、今の我々の学校では何一つ
完全に行はれていない。あの礼拝と呼ぶことのできない●●騒音の中で
の礼拝、教場での態度、叡電を乗るときの態度、食堂での、と挙げてゆ
けばきりがない。それほど今の我々の生活態度はだらけきっているのだ、
はたして諸君はこれでよいと思っておられるのだろうか、いや、決して
諸君はよいとは思っておられないでしょう。我々は新島先生が望んでお
られた道に立帰らなければならない。どうか諸君は、諸君が新島先生の
たてられた同志社で学んでいることを思い出し、せめて、同志社の命で
ある礼拝だけでも、騒音から守ろうではないか。それには、各人の自覚
と努力を必要とするであろう。
 
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 上の檄文ビラは、発禁事件を予兆する伏線ともみえる。匿名の筆者は、
中学宗教部出身・楠原太八(翌年初の二年生生徒会長に選出)であろう。
河原満夫の「礼拝と呼ぶことのできない礼拝」という云いまわしが共通
しているが、両人の交流はなく、前後関係も不明。朝の礼拝が騒がしい
ことについては、遅刻ばかりしている与太郎にはまったく関心がない。
説教がつまらないのは聴衆の責任ではないし、おもしろい説教が毎日の
ようにつづくとも思えない。騒がしいのは当然だと考えていた。
 
 最後の表紙(第十六号)、机と椅子のモティーフは、誰かが模写して
投稿したらしく、毎日新聞のカットに採用され、学校宛に賞品が届いた
(Let'19580930)。のち東京時代に、ミニチュア細工で立体化したものを
キャバレー・ミス東京のウィンドウ・ディスプレィに転用している。
 卒業後送られてきた、第十七号以後の表紙は、中西 宏君が担当して、
彼らしく率直に、ちゃっかりと基本スタイルを継承している。
 
(20090506)
 


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