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■ (日記) やはりシャンソンが大好きなんだわ・・・・・・。
アタシがシャンソンに慣れ親しんできたのは十代の終わり頃から。 ハードロックやジャズばかり聴いていたアタシが、シャンソンに鞍替えしたきっかけは、従兄の元妻がシャンソン歌手だったから・・・。 もともと歌う事が大好きだったアタシを彼女が出演するシャンソニエに誘ってくれた時、正直あまり乗り気ではなかった。 シャンソン=おどろおどろしく暗く重いイメージしかなかったから・・・。
しかし、初めて行ったシャンソニエで、それらを聴き、僅かあの数分間の短い一曲の中に、人間の持つ、哀しみ、情けなさ、苦しみ、おろかさ、滑稽さ、楽しさ、いじらしさ・・・という様々な人間ドラマが凝縮されて込められている事を知ったアタシは、内容の濃い掌中小説を読んでいるようで、シャンソンの奥深さに強く魅かれ、一気にシャンソンの虜になった。 特に「過ぎ去りし青春の日々」は衝撃的だった・・・・・・。
いつか私もシャンソン歌手になりたい!! この歌の意味が心から理解できた年齢になった時、舞台の上でスポットライトを浴びながらたった一度でいいから絶対にこの歌を歌いたい!! そんな夢を持ったのだ。
アタシはそんな密かな夢を持ちながらも、訳けあって松本に移住し、それからはシャンソンを聴く場も歌う場も無くなり、生のシャンソンに触れる事もなく、長年のあいだ欲求不満を抱えたまま年月は過ぎていく。
それでも波乱や絶望の多いアタシにとって、シャンソンは常に子守唄のようにアタシを癒してくれ、嬉しいにつけ哀しいにつけ、CDを聴き、大好きな金子由香里のコンサートが松本であれば、少し無理をしても必ず聴きに行き、心の奥底には常にシャンソンを温存し続けていた。
やがて更に年月が流れ、若林ケンさんの著書に出逢い、本人にも出会え、好意にしてもらい、、長年の友人がシャンソン歌手になったことなども引き金になり、ずっとずっとくすぶり続けていたシャンソンの種火に再び灯が点り、苦しいながらもシャンソンに触れられる機会も何度か与えられ、アタシは幸せだった。
【強く思い続けていた願望は必ず叶う・・・・・・】 アタシは昔からそんなことを固く信じている。
絶望感や生きることへの空しさがピークに差し掛かった去年、こんなアタシの元にシャンソンの方から近づいてきてくれたのだ。
「松本でシャンソン教室がオープン」 そのニュースを地元紙で読んだ時、既に孤立死も覚悟するほど、日々の暮らしはキツかったが、アタシは三十五年余り温めてきた夢をかなえるべく、シャンソン教室に通う決心をした。 しかも先生の山崎さんは、アタシが敬愛する金子由香里の伴奏を長年勤めた美野春樹さんのお弟子さんだというではないか・・・・・・。 ちょっとした運命を感じてしまったよ。
僅かな間だったが、シャンソンに触れ、改めてシャンソンを歌う事の喜びや楽しさに出会えたのだ。 おとといの「巴里祭」は出演する為に多少のお金も掛かるので、本当は辞退するつもりで居た。 でもギリギリまで迷い、保留にしてもらっていたのだが、やはり出演することにしたのだ。
様々な思いを込めながら、長年の夢だった「過ぎ去りし青春の日々」を泣かないように細心の注意を払いながら熱唱してきた。 アタシの歌順は第一部のラストだったので、その後は休憩に入る。 歌い終わり楽屋に向かう途中、お客様や出演者が何人も歩み寄ってきてくれ、歌を褒めてくれた。 特に70歳を過ぎたであろう品のよさそうな老夫婦が「アナタの歌は大変素晴らしかった・・・。思わず感動して泣いてしまいました。あの歌は大好きなシャンソンなんだけどなかなか聴く機会に恵まれなかったんです。今日は聴けて、此処まで来た甲斐がありましたよ」と、握手やハグまでしてくれて・・・・・・。 このご夫婦の為にだけでも、出演できて歌えて本当に良かった・・・と、アタシも泣いてしまった。
発表会が無事に終わり、いよいよ待ちに待った佐々木秀実さんのステージが・・・。
彼の歌は本当に素晴らしかった。 TVのコメンテーターでは、あたらず触らずの無難なトークしか出来ないのだろうが、MCもとてもユニークでエスプリも効いていて面白かった。 ケンさんのこともほんの一言二言だったが伝えられた。
山崎先生(ピアノとシャンソン教室の先生)とのなれ初めや、山崎氏によって秀実さんが本格的にシャンソンを始めたという話も聞けて、改めて山崎氏の凄さも知った。
秀実さんの歌った4曲も含め、53人もの上田方面、松本方面の生徒たちの曲の全てを一人でピアノ伴奏し、それだけでもいくばくの労力と技術を駆使したかを思うと本当に頭が下がるし尊敬の念を抱く。 ヴァイオリンの奏者も素晴らしかった・・・・・・。 アタシもヴァオリンをつけて貰いたかったが、予算の都合であれがギリギリだった。
本当に思い切って歌ってきて良かったと思っている。 チョンマゲも深く感動してくれたみたいで、いよいよシャンソンの素晴らしさを実感で解りつつあるみたいだ。
実は先ほど、一時間以上かけて、これ以上は良い文章は書けないというほど良い日記を書いたのに、UP寸前でパソコンが落ちてしまい、唯一アタシがものを表現する為の必要不可欠なアイテムであるパソコンまでをも取り上げられたような絶望感しかなくなっていたのだが、しばらくパソコンを休めさせたらまたどうにか書けるみたいだったので、慌てて書いた。どっちにしてもパソコンも寿命が近いみたいだ。 なので先ほどの日記よりも劣るが、パソコンの状態もこんななので、もういつ日記が書けるかも解らなくなってしまった・・・。
又パソコンが使えるようなら日記書きますからね。
過ぎ去りし青春の日々
今は、もう無い、眼の前のリラ、 顔をあげても、見える物はただ、灰色の空と、雨雲ばかり 振り返ってみても 春の日は遠く 涙の向こうに 揺れているリラ ム〜ム〜ム〜
今は もう無い、賑やかな部屋 笑いさざめく 若い人たち 彼らの行く路と私の路は別で 私の行く道の尽き当たりには 静かに過ぎる部屋が待つだけ ム〜ム〜ム〜
今は もう無い、あの、ときめきが 青い空見て 騒いだあの血が 陽射しがきつすぎて 目を伏せてみる 水に映った 真っ白な雲に 涙がにじむ 寂しくはないのに ム〜ム〜ム〜
まるで、この空 絵に描いたみたい あまりに青すぎて 別世界みたい 死ねたら良いのに こんな良い日には 走って行きたい でも 何処まで行けるの・・・・?
2013年07月17日(水)
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