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■ (日記) 昨日の続きのような日記
時々考える事がある。 余りに店の暇さ加減が長く続く事があると、皆アタシの事が嫌いなのかなぁ・・・と・・・真剣に凹む。 昔からケッコウ自信が無い人間で、良く思っていて裏切られるより、悪く思ってたらそうでもないと言う方が気が楽なので、自分で自分を四面楚歌や八方塞の状態に追い込んでしまう事も有り、それが思い過ごしの場合もあるのだけれど、でも、余りに線を引いたようにピタッと店が暇になるとどうしても(アタシ何か悪い事をしたのかなぁ・・・)と、店に行く事に恐怖心さえ沸いてくる訳で・・・・・・。 まぁ、基本がダメ人間のアタシなので、自信ないことこの上なくて・・・・・・。
でも、以前、ある読み物を読んでみたら、一箇所に何度も集まってくるような気の合う人々は、同じ波動を持った類友が多いので、何かの凹み事情があったり、忙しかったりして、集まりたくても集まれない喜怒哀楽の周波数も似通ったサイクルを歩んでいるらしく、自分が凹んでいる場合は仲間も同じように凹んだりしている事が多いそうだ。
なので、先週のように思いも寄らない忙しさが再び突如やってくる事もあり、サッとカーテンを引くように人が引ける場合もあるらしい・・・・・・。 それは、チョットした事らしく、同じ波動を持った人の中でも、いち早く凹み状態から脱出した人などが居て、そのパワーが大きいと、近くにいるいないに関わらず周りの波動も自然に持ち上げられるので、たまには行ってみようかな〜と、大きな波動の持ち主一人が思うと、皆も釣られて行ってみたくなるらしい。
ただアタシは理屈付けをしたい性分なので、悪くなったり良くなったりの理由を自分自身で知りたがるのだが、特別何かが思い当たり節も無く、思考や態度を極端に良くも悪くも切り替えた訳でもないのに、大きな変化が突然やってくるので、そのシステムが何の影響に寄るものなのかなぁ・・・とついつい考えたくなるのだ。
でもいくら考えても特別な理由は無く、やはりアタシ達人間の計り知れないところで、神様や気の流れに操られている気もしてくるので、全ての成り行きを委ねながら、あまり卑屈な思いや悪い思いにとらわれないようにだけ気をつけ、自然に身を任せるしか無いのだろうなぁ・・・なんて思えてきた。 なので助けてもらえる時は素直に人様に甘え、自分が助けてあげられるようになる事を望みながら精進し、その時が来たら、アタシも誰かを助けてあげれば良い事な訳で・・・・・・。
ただ、心に内在する自分自身の神様とは仲良くなっておく必要があり、あまり自分の魂が自分自身を許せない事だけはしてはならないと思う。
アタシがどんな状態であろうと、アタシの事を好きで居てくれる人たちは、かなり長い事好きでいてくれているし、アタシもその人たち其々がかなり長い事大好きで・・・。 そんな人々とは何かトラブルがあっても、チョットやそっとの事では千切れない絆のようなもので繋がれている気がする。
なのでその人たちを失わぬよう、その人たちにいつも優しさや温かみを持ちながら真剣に接していさえしたら、その人たちだって離れはしないものだと思うのだ。
人間って辛い事ばかりが立て続いて起こることもあり、嬉しい事が立て続いて起こることもあり、中々先は読めないものだ。 だから面白くもあるのかもしれない。
2010年12月06日(月)
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