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■ 彼女の歌は乾いた心に潤いを齎せてくれた。
この所、空しいことが多く、ずっと仮死状態が続いたのでこのままではまずいと思い、時には命の洗濯も必要だと、病み中の夫をひとまず放置し、思い切ってシャンソンを聴きに行って来たのだが、やはり彼女の歌はアタシの砂漠化し、ヒビだらけだった心の中に十分な潤いを与えてくれた。 なので東京に行って本当に良かったと思っている。 連れてってくれた(Y)っち、本当にありがとうございました。
「彼女の歌は聴けば聴くごとに歌唱力を増しているなぁ・・・」と、今回も大変感動させられて帰って来た。 それは音程とか声量とか歌のテクニックが増したという事などではなく、彼女自身の生き様や思いそのものが年齢を増すにつれ、歌に素直に反映されてきたからなのではないかと思った。 技術的な事ではなく、魂がどんどん歌に込められて来てるなぁ・・・という感動だ。
誰の言葉かは今思い出せないが、痛く共感した有名な作家の言葉がある。 それは「何の痛みや苦しみも知らぬ、五体満足で順風満帆な人生を歩んできた者などに、人の心を動かせるようなものが書けるわけが無い」と言う言葉なのだけれど、音楽や芝居も同じような気がするのだ。
彼女の歌を最初に聴いた日に、一気に心惹かれ、アタシの中に大きな戦慄が走ったのは、ただならぬ彼女の人生の明暗を歌の中に感じ取った気がしたからだと思う。 反対に言うと、順風満帆に生きた人々が彼女の歌を聴いても、ただ歌の上手な人だなぁ・・・と聞き流してしまうだろう・・・。 もっともっと、繊細でデリケートな微妙な部分なのかもしれない。 「あぁ・・・この人とは心の奥の部分で会話ができそうな気がする・・・・・・」初日にそう感じた。
奇麗事だけを選択しながら生きてきた人とは違い、多くの人々の苦しみや悲しみを見聞きし、自らも体感して来た者だけに培われる慈悲や慈愛を伴う感性が、この人の歌の中には在る・・・。そう感じたのが最初に受けた彼女への印象だった。 それから彼女の歌の大ファンになった。
アタシが敬愛して止まないフジコ・ヘミングもそうだけれど、一度でも人生の地獄を味わった事のある人が奏でるものには人の心を打つものが生まれる。そう信じている。 それと似たような感性を彼女は持っている。 彼女はいつか、シャンソンを通じて世に出るかもしれない・・・・・・。 そしたら、アタシは大いに自分を自慢できそうだ。 アタシの目と耳は、それを初めからちゃんと見抜いてたのよ。ねっ、アタシの見る目って大したものでしょ?ってね・・・。
アタシも人の心を打つものをいくらなんでもソロソロ書き出さなきゃ、もう手遅れも良いところだ・・・。
2010年09月07日(火)
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