 |
 |
■■■
■■
■ (日記) 我が心の水中バレエ
まだ東京に居た頃の話である。当時アタシは16〜7歳だっただろうか・・・。 アタシは中学を卒業し、その後高校には行く気になれず、無類の動物好きのアタシは、トリーマーになろうと思い東京中野に在る某トミングの専門学校に通っていた。 二年で卒業するはずだったのだが、卒業間近にチョットしたアクシデントを目の当たりに見てしまい、ショックを受けてその学校を辞めてしまったのだ。
その後は母の店(レスト居喫茶)を何となく手伝いながらプータロウーをしていたのだが、その店に伯母がやってきて「いつまでもフラフラしている訳にも行かないし、私の親友に水中バレエの団長を勤めてる人がいるんだけど、アンタ、やってみる気は無い?」と進められたのがきっかけで、伯母や従姉妹に付き添われ、生まれて初めて「水中バレエ」なるものを見学に行ったのだ。
http://vintaka.fc2web.com/suichu.html
その時の感動は物凄いものだった。 巨大な水槽の中で宝塚劇団のような衣装や化粧を施した団員達が、ミュージカルを演ずると言う想像外のものだった。 アタシは涙が出るほど感動し、一つ返事に「や、や、やってみる・・・」と半ば放心状態で応えていた。
ショーを見終わった後、楽屋裏からスタッフルームに連れて行ってもらい、そこで初めて近藤先生に紹介された。
面会中にも関わらず男のようなガラガラ声で、スタッフ達に激を飛ばしているような、とても存在感の在る怖そうなオバサンだ・・・・・・と言うのがアタシの第一印象だった。
伯母から既に話しが通っていたのだろう・・・、そこですぐさま契約書にサインをし、アタシはあっと言う間に水中バレエ団員になったのだ。
近藤先生は確かにバレエや日舞のレッスンにも相当厳しく、何か常に近付きがたいオーラを発しており、やはり、とてもおっかない人だった。 しかしアタシには目をかけてくれているらしく、まだ新人の頃、フジテレビのバラエティー番組内のコーナーに出演依頼が有った時、アタシを抜擢してくれ「水中に咲く可憐な妖精たち」とか言うタイトルでTV出演させてくれた事もあった。 そしてスタッフルームによく呼んでくれ、説教や深良い話しなども聞かせてくれたのだ。
二年半ほど水中バレエの仕事をしていた頃、アタシは前の夫と恋に落ち、結婚と妊娠を期に、水中バレエ団を退団したのだ。
やがて松本に移り住み、アタシは離婚をし、それから更に年月も経ち、アタシが今の夫と一緒に暮らし始め、エポックを経営していた頃、TVのニュースで水中劇場が取り壊される事を知り、メモリアルショーを見るためアタシは店の従業員と息子と今の夫を連れ、よみうりランドに向かったのだ。
十数年ぶりに楽屋裏に立ち、その全景を心に留め、焼き付けさせ、スタッフルームを訪れ、とても近藤先生や団員達に懐かしがられ、しばし近況報告や思い出話などに明け暮れた。 その時も先生はなんら変わることなく、とてもお元気そうだった。 しかし、生涯最後の仕事とし、命と全霊を賭けて来たであろう水中劇場が無くなってしまう事はやはりとてもお辛く寂しかったのだろう・・・・・・。 いつものオーラが少し薄れているようにも感じられた。 「いつか松本にも遊びに来てください」 そう言って先生とはお別れしたのだが、それが近藤先生の元気なお姿を見た最後となった・・・・・・。
水中バレエ団に居た頃の夢を今でも時々見る。 思えばアタシがやってきた仕事の中で、唯一自慢できる華やかな仕事だったような気がする。 ホンの短い間だったけど、色々な想い出やエピソードが詰まった仕事だった。 そんな特殊な仕事につけた事を今は誇りに思う。
死と言うのは、今世での人間としての修行が終わり、次の世界に引越しをするだけの事だ・・・と言う記述を本で読み、それから死に対する思いが少し気楽になった。 この年になると世話になった人や尊敬していた人達が、どんどんアッチの世界にサッサと引越しをされて行く。 人間界での修行は結構しんどいものだそうなので、早く引越しが出来る人は羨ましく思える事もある。
先生長い間本当にお疲れ様でした。 どうか黄泉の国で先生の大好きだった音楽と花に触れ、いつまでも楽しみながら華麗に舞い続けてください。
玲子先生のご冥福、心よりお祈りいたします。
2009年08月21日(金)
|
|
 |