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■ (日記) 安易な言葉の羅列は凹んでる人を余慶凹ませる
先日行ったファミレスでの事・・・・・・。 深夜だったので客も少なく、人の話し声が良く通る。 一番近いテーブルに3人の若い女性が居て(多分大学生だと思われる)何か深刻な面持ちで話をしていた。 彼女達は声を潜めているのだが、アタシのテーブルが近かったせいでついつい聞こうとしなくても聞こえてきてしまうのだ。 、 最初は盗み聞きするつもりも無かったので、退屈しのぎに携帯ゲームでもしようと思ったのだが、彼女達の話が余りに深刻そうなので、ゲームが身に入らず、運ばれてきたパスタを啜りながら黙って耳を傾けていた・・・。
どうやらその中の一人が彼氏の事やバイトの事や人間関係の事で相当凹んでいて、友達らしき二人がその子を懸命になだめているのだが・・・・・・。 悩んでいる子は、もうこの世から消えてしまいたいと思ってるほどの凹みようでかなりの自己嫌悪に陥っている。 話の端はしに「心療内科に行った方が良いかな」とか、「鬱」とか、「もう死にんでしまいたい」と言う言葉が聞こえてくる。
これはかなりヤバそうだなぁ・・・と思いながらも黙って聴いていたのだが、慰め役の一人の女性があまりに無責任で無意味な言葉ばかりを吐いているので、アタシはその子の方が腹立たしく思え、気になった。
虫の息のようなその子に対し、本人は懸命に慰めているつもりなんだろうが、説教じみた事を言ってみたり、「生きて居りゃこそのモノダネじゃない、私達は若いんだからもっと希望を持って日々を頑張らないと・・・・・・」 とか 「苦しいのは貴女だけじゃないのよ・・・・・・。世の中にはもっともっと不幸な人間も沢山居るんだから・・・」などと、クソの役にも立たないような、どこかで聞いた風な事ばかり言っている。 挙句の果てに「じゃぁ、何もかも諦めて田舎に帰れば良いじゃない」なんて声を荒げる始末。
もう一人の方は、その子の事を「まぁまぁ・・・」と制しながら、『今辛いよね・・・。しんどいよね・・・。多分、四面楚歌なんだろうね・・・・・・。解るよ、私もそんな気分になったこと有るし・・・。でも私には○△チャンは必要なのよ。だから一緒に何か良い方法を考えようよ」などと言って色々な提案を出している。 (この子は若いけど、人の痛みが解っているなぁ・・・・・・。この子を見習おう・・・と、アタシは真剣に思った) アタシャ一人心の中でうんうん頷きながら、思わずその子の事を応援したくなってしまったよ・・・。
本当に悩んでいる人間や落ち込んでいる人間に、取って付けたような無意味な言葉の羅列を並べても余慶人を落ち込ませるだけだと言う事が、前出の彼女には何も解ってないんだなぁ・・・・・・と思うと同時に、そういう事を易々と言う人が如何に多いかと言う場面に、長年人間をやっていると多く出くわす。
頑張れという言葉は使い方によっては針にもなる。 鬱の人に頑張れと言ってはいけないと言われるように、それは元気な人に向けてこそ活きる言葉であって、そんな言葉さえも受け入れられない程凹んでしまっている人に使うのは危険な言葉かも知れない。
人間の悩みやしんどさは他人には小さく陳腐に見えても、本人は目一杯悩んでいて、痛んでおり、深刻な場合が多い。 その人本人にしかその辛さは解らないと思うのだ。 下手な言葉を掛けるより、黙って抱きしめ、頭を撫でてあげた方が救われる場合も多いだろう。
その人なりに一生懸命頑張って来たはずだし、活きる工夫もして来たはずで、それでもどうしようもない所まで行ってしまって凹んでしまった人達には、どんな気持ちでどのように接してあげたら良いのか、大きな課題になった。
言葉と言うのは吟味し、選び、如何に自己満足な言葉ではなく、相手の心に響く言葉を使えるか、アタシも相当考え反省しなければいけないなぁ・・・・・・と改めて感じた日だった。
2008年10月21日(火)
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