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■ (日記) 所詮アタシは公園のベンチ・・・と、ぶうたれてみる
先週の金曜日の夜は、ボーリング大会時の2次会を彷彿とさせるような混雑振りで、超満席になった。 毒舌1の送別会だったのだが、大勢の常連が集まり、それだけ毒舌1の存在はからくり箱にとって大きく、人気者で、皆、別れが個々に辛かったのだろう・・・・・・。
こうして長いこと店を経営していると、通常の流れとは又別に、その店の一時代を画期的に賑やかしてくれる特別な存在になりうる客に出会う場合がある。 店全体の盛り上げ役と言うか、ムードメーカーと言うか、カリスマ客と言うか・・・・・・・。。 その時代時代に、そういう人が必ず現れていたような気もする・・・。
一時期、異様なまでに店は活気付き、又その人々が去って行き、しばらくは平静を取り戻し、又何れ、そう言う人達がどこからともなくやって来て、また一つの活気に溢れた時代を迎える・・・・・・。 そんな繰り返しで店と言うものが成り立っていたように思う。
以前アタシは日記にこんな事を書いた覚えが有る。
店と言うものは公園のベンチのようなもので、何処からとも無く人がやって来てはそこに腰掛け、しばし寛(くつろ)いで行く。 座り心地が悪ければ又他のベンチを探しに行くだろうし、座り心地が良ければそこに居付き、場所を覚え、再び座りに来てくれる。 周りの景色を気に入り座る人も居れば、心や身体の疲れを癒しに座る人も居る。 恋人と語りたくて座る人も居れば、仲間同士で座りペチャクチャお喋りを楽しんで行く人も居る。 一人きりで座り、ただただベンチの温もりをじっと感じている人も居る。 でもやがては皆どこかへ帰って行き、ベンチはそのままその場所に取り残される訳だ・・・・・・。
でもベンチはいつもその場所に在り、いつか又懐かしんで座りに来てくれるのをヒッソリと延々待っている・・・・・・。
長く座り続けてくれた人が何処かへ旅立つのは寂しいものだ。 この先だって何度も何度もそんな寂しさを経験しなければなるまい。 でも反対に、どんな新しい誰かが座りに来てくれるかに胸を躍らせ想像して見るのも又楽しみの一つなのだ。
アタシャ所詮、公園のベンチさ・・・・・・。 何れは老朽化し、取り壊されちまうんだろうなぁ・・・・・・。 取り壊される前にたくさんの人に座って欲しいものだなぁ。
だ、だ、誰だ!? ベンキって読み間違えたヤツは!!
2008年03月24日(月)
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