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■ (日記) 利用と必要の違い
先日、ある男友人と電話で話していたのだが、その友人は長年付き合っていた親友と最近ある事があって喧嘩中らしい。 その経緯を細かに話してくれたのだが・・・・・・。 その際「結局俺はあいつに利用されてるだけのような気がする・・・・・・」と漏らしていた。
なので私は『利用と言う言葉はあまり好きじゃないなぁ・・・。あなたを必要としただけじゃないの?』と言ったら、彼は「必要とされていたとしても、何時も肩手落ちで、あいつに何かをしてもらったと言う記憶があまり無いからなぁ・・・」と、まだまだ釈然としない様子。
私も、人に何かをしてもらうばかりであって、何かをしてあげたと言う経験があまり無いので、少々耳の痛さを伴いながら聞いていた。
でも、人間同士の付き合いで、5回何かをしてあげたら5回返してもらわなければ成り立たないとしたら、それは単に損得勘定だと思う。 もしかしたら、それ以上の何かを気付かぬうちに沢山貰っていたかもしれないではないか。 それは楽しい会話かもしれないし、楽しい時間かもしれないし、彼の茶目っ気たっぷりの人柄の心地良さかもしれないし、何かの知恵かもしれないし・・・・・・。 形の見えぬ物であっても、何かしらを与えてもらっていた筈だ。
大体、人に何かをしてあげたいと思うのは、その人の事がその瞬間好きだからだと思う。 嫌いな人に何かをしてあげたいとはあまり思わない物だ。 せずにはいられない何かを感じたからこそ、相手の喜んでくれる顔が見たくて自主的にしようとした事だと思う。 でなければ、嫌々やってあげた事になってしまう。 それか、相手の為にしたのではなく、自分の親切さを売り込むためにしたものだ。 そして相手が必要以上に求めてきたのなら、きっぱりと断ればいいだけの事だ。
人間は置かれた立場で、どうしても始終面倒を見る側と見てもらう側に偏りがちだ。モチロン、双方が助け合ってバランスを保つのは理想だけれど。 でも、人に必要とされると言う事は、決して嫌な気持ちではないはずだし、面倒を見てあげたくなるような要素が彼にはあったからではないかなぁ・・・。
人を利用しようと言う人は、そこに確かな悪意や作為やずるさが存在する物だと思う。 私は両方の人柄を知っているので、彼が彼を利用していただけとは決して思えないのだ。
これだけしてきたのに・・・と思うのは、して来た側のおごり高ぶりであって、どこかで見返りを求めている証拠だ。 後で後悔するくらいなら初めからしなければ良いだけの事だと思う。
人間は誰しも多かれ少なかれ、人を必要とし、人に迷惑を掛け、人に育てられながら成長していく物のような気がする。 人の手を一切借りずに今を生きている人なんか一人として居ない筈だ。
人に利用されたとか、裏切られたとか、そう言う言葉を頻繁に使う人がいるが、その人はきっと、人に対し、何かを必要以上に期待し過ぎるからなのだと思う。
2005年05月19日(木)
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