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■ (日記) 純粋&純真って・・・・・・
先日、或る公共施設でカウンセリングをしている友人(Y)に会って来た。 電話では、たまぁ〜に話したりもするのだが、とても忙しい人なので、中々私的に会うことが難しく、それでもアタシの場合は不思議な事に、半年に一度くらいの割で、どうかこうか定期的に会えるチャンスに恵まれるのだ。
彼女は霊的なシックスセンスにも恵まれていて、アタシと会話しながらも、アタシの視線から外れ、アタシの頭上の霊と突然会話をしだしたりするので、アタシャいつも、驚き桃の木山椒の木なのだ。(笑) アタシの背後に邪気を持った霊などがくっ付いてると、「今日は変なの連れて来ちゃってるよ〜」など呟き、サッサッ!と、まるでフケでも払うようにどかしてくれたりする。(笑)
今回彼女に会ったのは、仕事の事、社長と揉めた原因に対する愚痴、私の考え方の誤り、今後の仕事に着いてなど、今の張り詰めた心を解放してやるため、(Y)とどうしても、心の対話がしたかったのだ。 私が紹介したもう一人の友人が予約を取ってあり、その友人の悩みは私も知っているので、便乗させてもらい、3人での対談になったのだ。
話している内に、3人が3人とも、人並み外れた気持ちの持ち主である事を(Y)から告げられた。 要は、我々3人は、とてつもなく或る部分が純粋過ぎるのだと言う・・・・・・。 純粋純粋って世間でしょっちゅう言われてる言葉だけど、本当の意味の純粋って何だろう・・・。と、改めて辞書を引いてみたら、こんな事が書かれている。
(1)まじりけがない・こと(さま)。 「―のアルコール」 (2)けがれがないこと。邪念や私欲のないさま。 「―な気持ちで忠告する」 (3)ひたすらそのことだけにかかわること。一途なこと。また、そのさま。 「―に学問的興味だけで接する」 (4)応用や実験・経験などと関係なく、理論や形式のみを扱う学問上の立場・方法。 「―数学」 (5)〔哲〕 外的・偶然的なものをまじえず、それ自体の内的な普遍性・必然性をもつさま。 「―理性」
(3)番目と(5)番目は或る程度当てはまるが、その他はどうかなぁ・・・・・・。 アタシャそこまで清くない。 アタシャ純粋というより、むしろ単純に当てはまる人間だ・・・。
彼女いわく、今の世の中、純粋な事こそが世渡りの邪魔をするものであり、最近では余り良い意味で純粋という言葉が使われなくなってしまったと言う。 純粋がゆえに、人と衝突したり、世間への順応性にも欠ける事は多いみたいだ。 今の世の中、腹黒い人間が、いかに多いかという事なのだろう・・・・・・。 したたかで、腹黒くて当たり前・・・、くらいにまで人間の質が落ちているのだ。
NHKの人がお金を騙し取ったり、警察官が軽犯罪者をゆすったり、政治家が裏金で豪遊してたり、汚職をしたり、裁判される裁判官なんかもわんさか居るし、警察に捕まる警察官なんかもわんさか居るし、皆、金金金の為、日常茶飯事のようにうんざりする破廉恥事件の目白押しだ。
皆、誰でもお金は欲しい・・・。或る程度のお金がないと生きてさえ行けないのだから・・・。そして、お金が入り、余裕が出来、少しの贅沢に身を置くと、もっともっと贅沢がしたくなるのも、人間の性かも知れない。 でも、手を汚してまで、心を汚してまで、必要以上のお金を手に入れたいと思う人がそれだけ増えてるのは、どうかと思う。 食費を削ってまで、HNKの受信料を支払ってるアタシ達の気持ちはどうなるんじゃ!! アタシャ、誰かのせりふじゃないけれど、三日後の生活が危うい状況なのだ。(苦笑) でも、汚い事やあくどい事に手を出そうとは思わないもの・・・・・・。 自分が許せぬような悪い事をするくらいなら、干乾びて死んだ方がナンボも潔い。
このように不景気な世の中では、そのお金を極力出さないようにしてる人、極力多くふんだくりたい人で溢れかえって居る。 そんな世の中で仕事をするには、そういう人達の腹の中を見ながらしなくてはならない。 汚い場面や、ずるい人に遭遇する度【あぁ・・・・虚しいなぁ・・・】と落胆する。 そんな人達と仕事をするのが嫌になってくる。そういう人に順応してまで働きたいとも思えない。 それで良いのだと(Y)は言うのだが・・・。
「世の中奇麗事ばかりではない」と言う人は多い。 アタシもそう思う。 でも、奇麗事だけじゃないにしても、質が有る。程度が有る。
アタシも、自分の楽しみのためには、お金使っちゃったりしてたもん・・・。無駄遣いもしちゃったし、豪華すぎる旅行なんかも後先見ずに行っちゃったりしたもん・・・。 でも、人を騙したお金でもない。誰かのお金でもない。自分自身の命と店を切り売りして稼いだお金だ。何が悪い!!ブァハハハ・・・・・・。(開き直るな自分よ!) ・・・んで、イマは究極の貧乏なっちゃったワケなんだけど・・・(冷や汗)
就職するにも、多かれ少なかれ、人間関係や相手の考え方への失望感は起こって当たり前。 自分を棚に上げ、人ばかりに文句や説教をする人も随分と多い。 ただ、そう言う、くだらない人間や、質の悪い人間達を目の当たりにした時にでも、面と向かい抵抗するのではなく、距離を置き、どうしてこの人はこんな風な考え方になってしまったのだろう・・・と言う、慈悲深い気持ちで見詰めてあげる事も大切なのだと(Y)は言う。 そんな考え方になってしまった経路を見詰めてあげる事だと・・・・・・。 そう考えながらも、心のどこかで切り離し、距離を置き、当たり障りなく付き合う事もずるい事ではなく大切なのだと・・・・・・。
まだまだ、カッカカッカしてしまう処が、アタシの人生修行の足りなさだ。(反省)
やはり今回も良い話を聞けた・・・。 いつもいつも、心の洗濯をして帰ってこれる。 アタシと全くスピリッツが違う人間とは、上手くやっていく自信が無かったアタシだが、そうやって考えれば、腹も立つまい・・・。気分もあわ立つまい。自分自身に落胆する事も少なくなるだろう・・・・・・。 それに、そんな人間達と、例え上手く行かぬとも、アタシには同じスピリッツを持った楽しく愉快な仲間が沢山居るもの・・・・・・。
2004年12月05日(日)
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