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■ (日記) 私の部屋の掲示板
掲示板に人々が集まってくれる。 もうじき50になると言うオバハンの誕生日の為に、わざわざ皆が集まってお祝いの言葉を書いてくれる・・・・・・。 若い人も年相応の人もオジサンもオバサンもいる。 これって、物凄く嬉しい事だ。 しかも、ただのご挨拶程度のオメデトウではなく、皆長く、短く、その人なりの、一生懸命心の篭ったメッセージを添えて・・・・・・。 その愛にレスを書く。 アタシもその一人一人に思いを込めてレスを書く・・・・・・。 ただのありがとうではなく、長く、短く、私なりのメッセージを添えて・・・・・・。
誕生日がいくつになっても嬉しいというのは、そうやって私がこの世に生まれた事をメデタイと思ってくれてる人が居るからこそなのだ。 誰かが祝ってくれるからこそ、誕生日と言うものは嬉しいものなのだ・・・・・・。 世の中にはダレからも覚えて居てもらえずに、誰からのオメデトウもなく、寂しく空しい誕生日を迎える人がどれほど居ることだろう・・・・・・。 そう考えると、本当にアタシはシアワセで、申し訳ない気分になる。
ある人が以前メールで私の掲示板を誉めてくれた。 マキュの掲示板は、古い人も新しい人も、ダレもが皆本音で語り合える、実に良い掲示板だと・・・・・・。 アタシもつくづくそう思う。 皆で育ててきた掲示板だ。 そんな温かい人たちが集まってくれるという事自体が、アタシはとても嬉しく、誇れる事だ。
出合って、触れ合って、心根が通じず、離れた人も居る。 離れて、再び寄り添って、より親密になった人も居る。
時と、季節と、人間の流れの中で、アタシはいつでもそこに居る。 変わらず、皆の訪れを待ち、皆と一時触れ合って、そして皆を見送る。 まるで公園のベンチのような存在だ。 座り心地が良ければ、ずっと座り続けてくれればありがたいし、座り心地が悪ければ何処かのベンチを探してくれて構わない。 来るもの拒まず去るもの追わず。そう・・・、私は公園のベンチが良い。そんな存在が軽くて良い。
季節を感じ、時の流れを感じ、人々の泣き声や、笑い声に囲まれながら、そっと置かれたベンチ・・・・・・。
でも、いつもなるべく座り心地の良いベンチで居られるよう、座ってくれた人を暖め、癒し、少しでも疲れを取り除けたら本望だ。
2004年08月27日(金)
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