|
|
■■■
■■
■ 【書評】 (手記)死に行く妻との旅路 〜を読んで・・・
読む以前からおおよその内容を把握していたこの本を読むにあたり、私は早く読みたい、と言う衝動と、読むのが辛くて怖い、と言う躊躇との板ばさみに悩み、暫くは手が付けられないで居た。 手記に入る前の作家の紹介文を仕事中に読んだだけで、本文は閉ざされたままだった。 しかし風邪がぶり返された昨日、やむなく仕事を休んだ為、意を決して一気に読み終えたのだ。 熱は無いのだが、咳が一向に止まらない。咳止めも、もう切らしてしまった。 健康器具の実演販売と言う仕事柄、お客の前で咳き込む訳には行かない。 少し咳き込んだだけでも、人によっては【移さないでよね・・・】と言う怪訝そうな暗黙の視線を投げかけて来る。 ホテル側からも「咳が止まるまでは仕事を休んだ方が・・・」と言われてしまった。 それで昨夜はベッドに入るなり、少し重い気持ちでこの本を広げたのだった。
本文の内容は、大腸癌の手術を受け、医師から「早ければ3ヶ月で再発の可能性が・・・」と宣告された妻(40代)と、知人の保証人、自らの裁縫工場の経営困難で、借金だらけになり、工場をたたみ、破産宣告に追い詰められた夫(50代後半)が、その手続きを途中で放り出し、二人でなけなしの所持金50万を持ち、夜逃げ同然に愛車のボンゴで流浪の旅に出るというものだ。
出発は1999年3月5日の事である。 目的は仕事探しと住居探し。 当初は明らかに、見知らぬ土地で二人でやり直すんだ! と言う、強い希望に満ち溢れていた。 妻も一緒に働くと言い、二人で住み込みで働ける旅館や裁縫業の仕事を求め、各地の職案を転々と探し廻っていた。 しかし、病み上がりの妻と一緒に働けるような仕事はおいそれとは見付らず、日数だけが無残に流れ過ぎて行く。 徐々に妻は体調を崩し始め、幾度となく夫は病院へ行こうと妻を説得する。 しかし、「嫌や、絶対に嫌や! 一緒に居られればそれで良い・・・」「病院に入ったらオッサン(妻は夫をこう呼んでいる)と会えなくなる・・・」そう頑なに拒みつづける妻。
二人の馴れ初めは、一回り近く年下だったひとみと夫である久典が大きな裁縫工場で出会い、やがて二人は結婚し一人娘を儲け、夫は独立し、小さな裁縫工場を営むようになったのだ。 初めは順調だった工場も、保証した知人が行方をくらました事やら、折からの不況やらで崩れるように傾いて行く。
旅の途中、妻は夫に「今日からは名前で呼んで」とねだる。 夫は今まで「お母さん」と子供と同じ様に妻を呼んでいたのだ。 夫は照れながらも、「ひとみ」と呼ぶようになる。 妻は夫に対し、母親から女に戻りたかったのだろう・・・・・・。 このあたりが唯一、クスリと笑えた微笑ましい場面でもあり、又、女である妻の健気さが伝わり、胸を熱くするシーンでもあった。
妻は旅先で、徐々に自分の病気が癌である事を悟り、夫に確認しようとする。 そかし、口下手の夫は「若いんやから直ぐにようなるて・・・」としか答えられない。 夫が妻に病名を告げる事は最期まで無かった。 妻に散々苦労を掛け続けた事、今まで何もしてやれなかった事への悔恨の思いを、贖罪の念に変え、ただただ妻と狭いボンゴの中で寄り添い眠り、また別の景色を求め旅をする。
借金に追い詰められ、後悔に追い詰められ、病気に追い詰められながら、もう生す術もなく、ただただ夫婦は二人だけで居る事を選び、各地の職安を転々としながらも、理屈上、病床の妻を連れての仕事に恵まれる事もなく、徐々に働く意欲さえ失い、ただただ足の向くまま気の向くまま流されて行く。 車で寝起きをし、コンビニやデパートの食品売り場で食べ物を買い、公園やデパートで水を汲み、水を飲み、身体を清め、洗濯をする。
今まで妻とは殆ど語り合った事も無かった夫が、妻に語りかける。 各地の風景の美しさを、今後の行き先を、ポツリポツリと妻と語りあう。
途中夫婦は娘に電話を掛け、幾度か娘と偲び会う事もあった。 娘から貰った手紙に励まされ、流浪の旅は尚続く。
妻は次第に弱って行き、やがては食事も出来ぬようになり、生気を失い、やつれて果てて行く。 夫は妻の死と向き合う勇気が無く、きちんと面倒を見ながらも、つりに昂じる事で妻から逃げるようになる。 妻に紐を持たせ、鈴を付け、「用事があったらコレを鳴らすんやよ」と言い、遣り切れぬ思いを海に向ける。
1999年11月21日、夫が床ずれが出来ぬようにと妻の身体の向きを変えてやっている最中、妻は初めて「殺してくれた方が楽や・・・・・・」と呟く。 「ナニを言うたんや! 今何を言うたんや・・・」夫は妻のこの一言に愕然とする。 この頃から妻は痛みに呻くようになる。 妻の腕を見ると手首に血が滲んでいる。 妻はそこに有ったカミソリで手首を切ろうとしたのだ。 傷は浅く、直ぐに血は止まる。 「な!ひとみ、病院に行こう! おなか痛いんやろ?」 「嫌やよう、絶対嫌や・・・・・・」 もうひとみは声も出なくなっている。 しかし、この日を堺に、夫はもう妻から逃げる事を辞めた。 そして翌日からは肌身離れず、妻と一緒に居るのだった。
そしてついに、1999年12月1日、夫が洗濯物を干しに30分ほど車を離れた中、たった独り妻は息を引き取る。 妻は手を固く握り締め、顔は片方歪み、目は見開いたままだった。 「痛かったんやなぁ・・・・・・」 「すまんかったな・・・・・・」 「結局最期まで付き合ってやれんかったなぁ・・・・・・」 かすかな潮の騒ぐ中、夫は溢れる涙も拭けず妻の身体を綺麗にしてやる・・・・・・。
後に、保護者遺棄致死罪で夫は逮捕されるが20日後、不起訴処分になる。 後日、ボンゴの整理をしながら、夫は車の中でのた打ち回りながら独り嗚咽する。 妻との旅を想い、妻の哀れさを想い、妻のいなくなった淋しさを想い、狂ったように泣き喚く・・・・・・。 そのシーンにこの本の全ての哀しさが閉じ込められているような気がした。
この本に出会えて良かった・・・・・・。 やはり読んでおいて本当に良かった・・・・・・。 この本をプレゼントしてくれた(B)に心から感謝している。 しかし、この本は物語りでも小説でもない。 実際に起こった話なのだ。それだけに遣り切れない思も残る。 あまりにも哀し過ぎ、あまりにも悲惨な手記だが、私にはひとみが夫との結婚生活の中で、最も中身の濃い、幸せな9ヶ月を迎えたのだと思えてならない・・・・・・。 それと同時に、死に行く者よりも、それを黙って見守るしかない無力な人間の心理が、どれほど辛く、どれほど痛く、どれほどむごい事なのかが思い知らされた。
「もう、借金をするだけしまくって、どこかに旅にでも出て、使い切るだけ使い切っちゃって、そこで二人で死のうか・・・・・・」と、フゥーリィーと冗談とも本気とも付かず話していた頃の事を思い出す。
この本を読んで、可哀想だとか、哀れだ・・・とかと泣ける人は、まだまだ余裕が有る人だと思う。 破産宣告するお金もなく、夜逃をするお金もなく、追い詰められるだけ追い詰められ、死を選ぶ人がいかに多いか、小泉さんに是非知って欲しい。 そんな哀しい道を選ばざるを得ない世の中なのだ。 企業が膨大な債務を抱え倒産しても国が面倒を見てくれる。でも、私達のような土地も財産も何の担保物件も無い者は・・・、そして助けてくれる身内も居ない者は、いくら生活費に困っても、低金利のお金も借りられない世の中なのだ。 貸してくれるのは高金利の金融業者だけである。 能力や才能が無い物は・・・、健康でない物は・・・、その返済額に見合う働き口さえ見付らない。 仕事が見付っても、どんどん使い手の都合で減給されたり首になる。 収入額よりも返済額が増え、苦しくなり再び自転車操業になって行く。 そして宝くじにでも当たらない限り決して返せぬ金額に膨れ上がって行く・・・・・・。 絶望し、失望し、そんな人間に残されるのは死への道之しかないではないか・・・。
私達はまだ、今はそれなりに頑張れている。何時か必ず良い日が来る。そんな希望も捨て切ってはいない。 絶対に這い上がる! という意地もまだまだある。 でも、苦しい。確実に苦しくて仕方が無い。 現実に全然不況は改善されず失業者は増え続けている。 年々働き口は無くなっている。 明日がどうなるかなんて、誰にも解らない。 私達もこの所で又車の借金が増えてしまった。車が無ければ成り立たない仕事なので、会社が面倒を見てくれない以上は自分達で買わなければならない。
この夫婦が私達夫婦とどうしてもダブってしまう。 決して人事ではなく、明日にでも振りかかる事なのだ。
弱者ほど国が守るべきだと思う。 今の日本は強者には暖かく、弱者には冷酷な国だ。 娯楽目的や、遊ぶ金欲しさではなく仕方無しに出来てしまった多重債務に対しては、無金利で纏めて上げるくらいの制度が早く出来ても良いと思う。 それで無ければ自殺者は増えるばかりだろう・・・・・・。 事実纏めれば難なく返せる金額以上の物は、誰もが歯を食いしばって毎月返済しているのだろうから・・・・・・。
そんな社会制度に疲れ果て、置いてきぼりにされた人間は、一体何処で何をすれば良いと言うのだろう・・・・・・。
私の癌が再発したら、間違なく私達は二人と同じ道を選ぶだろう。 この世に何の望みも何の希望も持てなくなったら、私とフゥーリィーも、きっと二人だけで旅に出ると思う。 そして人生最期の時を、やはり誰にも邪魔されず二人きりで居たい。 私達の死後、保険金で十分返済は出来うる。 弱く卑怯な人間かもしれないが、今の日本はこんな無力で馬鹿な私達が太刀打ち出来るような国では、もうないのだ。
今日のみそひともじ
読み終えて 明日は我が身と 思ふなり 溜息一つ 咳込み三つ
2004年02月17日(火)
|
|
|