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■ (日記)書き手が喜ぶ事。&ついに壊れた・・・・・!
私が書いた物を取り上げて、所々を摘み上げながら誉めてくれる人が居る。 例えば、昨日の日記の何処そこが、ゲラゲラ笑えたよ。とか、○月×日の日記に書いて有った、・・・・・・の表現、ウマイウマイ♪とか・・・・・・。
そう言う批評をくれると、書き手は物凄く嬉しい物だ。
ただ言葉を並べている訳ではなく、(そう言う日も有るけど)一応は工夫を凝らしながら書いたりしている訳だから、その工夫が無駄ではなかったと、嬉しい気持ちになるのだ。
批判や注文や、忠告もそうである。 何処そこのなになにの表現は、チトおかしくないかい? とか、アレは無いだろう・・・・・・、とか、具体的に挙げて批判してくれると、凄く勉強にもなるし、なるほど・・・・・・と感心する。
書き手は、物を書くと、それが産み落とした自分の子供みたいな気になる物なのだ。我が子が評価されると、オヤバカな私は良い評価であっても悪い評価であっても嬉しいし、その文章の存在感を再確認出来るのだ。
ただ漠然と、「マキュキュの文章好きよ」とか、「あの日記はイマイチだったなぁ」等と言われても、一体何処がどう良いのか、何処がどうお気に召さなかったのか、ついつい掘り下げて聞きたくなってしまう。(爆)
なので、友達の日記を読んでも、極力、印象に残った文章の1部分を抜粋して、評価してあげた方がいいのかなぁ・・・なんて感じたりもしている。
サテ・・・・・・。
話、180度変わりますけど・・・・・・。 昨日の私、凄く変でした。 何をやっても、魂抜けてて、心此処に有らず・・・と言う感じ。 朝っぱらから支払いの催促の電話ばかりで気もそぞろ・・・・・・。 何か、虚しい溜息を吐き、それでもお腹は空くもんなんですヨねぇ・・・(爆)
そこで、陽気は寒いし、雨降りだし、例のサッパリうどんでも、作ろうと思ったんですね?
コンブとかつお節でキチッと出汁を取り、何時もなら、流し台の中にもう一つの鍋を敷いてコシ器でそれを濾すんですよ・・・・・・。
あっ!と叫んだ時にはもう遅かった・・・・・・。 コシ器はちゃんと敷いたのに、な、な、鍋が・・・・・・。 鍋をひっくり返そうとした瞬間、気付いたのですが、時既に遅し。 たっぷり取った出し汁は、ただただコシ器を通過し、排水溝のもくずと消えた訳で・・・・・・。 虚しく残るはコンブとかつお節のカスだけ・・・・・・。
「・・・・・・」
「・・・・・・折角取ったのに、ダメジャン・・・・・・!!」
気を取り直しもう一度出汁を取リ直し、今度はちゃんと別鍋に移し終えて、うどんを入れ、ワカメと刻んだお揚げを入れ、薄切りにしたネギも入れ、さぁて、いよいよ味付けを・・・と、塩を入れようと、塩のスプーンをひっくり返した所で再び、あっ!と叫んだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・砂糖ジャン・・・・・・!!」
スプーンをひっくり返すと同時に、解ってるんですよ? それが砂糖だと言う事が・・・・・・。 でも、手が勝手にひっくり返ってしまって・・・・・・。(爆) その瞬間に塩の容器が隣の容器だったと言う事に気付く時って有りません? (無いですか・・・・・・やっぱ)
「・・・・・・」
アタシャ一体、何をしようとてるんだい・・・・・・。(^^; もう、コレが最後のうどん。 仕方なく具を捨て、うどんを洗い直し、再再再度、出汁を取って、又、具を入れ直し、しばし独り笑いコケ、ようやくうどんにありつけた訳でして・・・・・・。 噛締める毎に、何とも甘じょっぱい、びみょ〜な味わいでした・・・・・・。(ーー;)
何か、確実におかしかったなぁ・・・・・・昨日の私。 とうとう気が触れたか・・・・・・。(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
そこで一首
貧乏も ここまで来ると 味わい深や 気持ちそぞろで 家事もそぞろで
2003年09月25日(木)
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