|
|
■■■
■■
■ (日記)何としてでも、自力で今の窮地を脱したい。でも有るのは挫折感のみ。
愛するミュウーの様子がおかしいと言うのに、病院にも連れて行く事ができないでいる・・・・・・。 昨日の朝までは16000円も有ったのだ。 15日の私の給料日まで、(辞めたテレアポの残りの給料)これだけ有れば、今回は充分食い繋げると思っていた。 しかし、多分一昨日あたりから自宅の電話が停められていたのだろう。親しい友人から電話が有るはずなのに、いくら待っても来ないので、こちらから掛けようとして、その時初めて気付いたのだ。
携帯電話は既に停められているので、自宅の電話まで停める訳には行かなかった。 外部との連絡が一切取れないとなると、私も仕事を探している都合上、幾人かに声を掛けてあるのでその返事が来ると思うし、その他の大切な電話も入る事になっていた。
仕方なく電話賃を支払いに行こうとしたら、ガソリンも赤線を下回っていた。 行きがけに2000円分だけガソリンを入れ、電話局に行ったら、4月分は何と、12500円もだと言う。(何時もの倍以上だった)
「・・・・・・!」
しかしそれを払わない事には電話が繋がらないので、泣きたくなるような気持ちで、電話賃を払った。財布には1500円が残っただけである。
家に着いた途端、待っていたかのように払い切れていなかった某信販会社から電話が入り、「滞納分の6300円を12日までにお支払い頂かないと、残りの51000円を一喝返済して頂く事になりますし、お客様の信用にも関わらざるを得ない手段を取る事になってしまいますが・・・・・・」 『申し訳ありませんが、こうこうこう言う事情で16日までは、たったの1500円しか無いのです。どうやっても無理ですし、私が今無職なので何処からも借りる事も出来ないのです。なんとか16日まで待っていただけないでしょうか・・・』 「しかし、お客様・・・・・ξε%$#\□&*×@△・・・・・・」
もう、どうなっても良かった・・・・・・。 虚しい言い訳をしているうちに、情けなさに涙が溢れてどうしようもなかった。
思えば4月分の電話代が倍以上になったのには理由が有った。 4月は出版会社からの嬉しい評価をもらえた直後でもあり、人気サイトランキングも1位を取れた月でもあった。 しかし今回のように、払い切れない物が有り、待った無しの会社が数社に及んでいた絶体絶命の時期でも有った。
何とかお金を掛けずに出版に漕ぎ着けるような方法はないものだろうか・・・と、知恵を借りる意味合いで、藁をも縋る気持ちで、東京の親類達に数年ぶりで電話を掛け捲ったのだ。
「そんなに困ってるのに、パソコンなんて贅沢な事をしている余裕があるの? 」と、以前嫌味を言われた時は、物を書き始めたばかりで返す言葉が無かったのだが、出版社からの評価と、人気サイトランキングも1位になっていた事も有るので、多少は私の努力を認めてもらえると思って電話をして見たのだ。
従兄弟の(N)・その妹である従姉妹の(N2)・祖母とその孫の(G)・叔母の(M)(私の母は3人姉妹で、たった一人だけ生き残っている一番末の叔母)等・・・・・・。 それらの人々に、電話を掛けたのだった。
従兄弟の(N)は私よりも4つ上で、今は亡き日本を代表する喜劇俳優の長男である。(N)はとても話の解る異端児なのだが、私と同じ種類のダメ人間なのだ。 何時もピィーピィーしていて、偶に電話を掛けると、留守録に「(N)です。只今仕事探しで留守にしております。何方かお金を下さる方は○×銀行○×支店。○○○○○当てに、いくらでも構いませんので、お金を振り込んでください」等と、ふざけた留守電を録音するようなハチャメチャな人間である。 以前はTVの仕事等、結構画面にも出ていたのだが、最近は、偶に舞台の仕事等が入ったり、売れない漫画などを書いて生活しているらしい。
(N)とは、懐かしさで、1時間ほどの長電話になったが、最近は芸能関係の人間と深い付き合いもなさそうだし、出版関係者とも付きあっていないようなので、あまり感触は無さそうだった。 無論、(N)自体が貧乏そうなので、1万円のカンパすらも望めない。 しかし、伯父の葬儀以来だったので、電話代を気にしながらも、楽しく話しが弾んでしまったのだ。
その(N)の妹である従姉妹の(N2)は、私より3つ年上で、息子の大学の関係上、ご主人とは別居している物の、ご主人から毎月生活費を貰い、息子と二人で神奈川に住んでいる。(N)とは正反対のしっかり物なのだが、その分、シビアで辛口人間でも有る。 以前も、(N2)にはお金を借りた事があるのだが、私は直ぐに完済している。 その後、遊びに行った時、どう考えても理不尽な事を言われ、何時もは小言を言われ続けていた私が、始めて(N2)に抗議の手紙を送った事が有った。 なので電話を掛け辛かったのは確かなのだが、もう身内で頼れそうなのは(N2)一人だけだったのだ。
何度かご機嫌伺いの電話をし、手紙についての苦情にも頭を下げ(N2)の小言を聞いている内、何時も決まって長電話になってしまうのだが、それ故、お金を貸して欲しいとは言いだせぬまま何時も電話を切っていた。 最後に電話をした時に、ようやく勇気を振り絞り、「6月のボーナスが出るまで何とか10万ほどのお金を都合してもらえない?」と消え入りそうな声で相談しては見たのだが、やはり散々説教だけを喰らった挙句、断られてしまった。
(その後、絶望的だった私に黙って10万を貸してくれたのは、地元で姉妹のような付き合いをしている友人(M)だった)
祖母は、(4月18日の日記参照)遥か昔に亡くなったお祖父さんの後妻に入った人で、お祖父さんが亡くなった後も籍を抜かず、私が子供の頃はずっと叔母(N達の母)の家で家事の手伝いや、血の繋がらない孫たちのお守りをしながら暮らしていたのだ。 私達とは血縁関係では無いのだが、私達世代の人間は、子供の頃、全員祖母の手によって面倒を見てもらったり、世話をやいてもらっていた。
祖母はマザーテレサのような面持ちで、慈愛に満ちており、優しく賢く、暖かな人間だ。 自分にはたった一人の子供も居ないのに、何の文句も言わず、儀理の娘である叔母の家に長年仕えていた。 その祖母が一番可愛がっていた、今は亡き従姉妹(A)(叔母の長女)が、某テレビ局のプロデューサー(S)さん(有名ドラマの監督)と結婚をし、その新居に祖母も一緒に身を置き、孫の(G)と4人で幸せに暮らしていたのだ。 もう、現在は90才を超え、今尚元気で暮らしているのだが、松本でサリン事件が有った年、従姉妹の(A)がスキルス癌で無くなり、最近になって(S)さんは若い女性と再婚をし、新たに子供も出来、新しい家に移り住んだ為、今は(A)の忘れ形見である孫の(G)と二人で(S)さんの残してくれた家で暮しているのだ。
勿論、年老いた祖母にお金の相談をしようなどとはこれっぽっちも思った訳ではない。祖母は、祖母の側に居たいと残った、孫の(G)と二人で、(S)さんの援助を受けながら質素に暮らしているのだから・・・・・・。 ただ、(S)さんに私のHPが人気が出始めた事を、それとなく伝えて欲しかっただけなのである。出来れば(S)さんに時間が空いた時にでも、一つでも良いから文章見てもらえたら・・・とは思った。たったそれだけの願い事だった。 それだけ言うのでさえ、私は散々悩んだ挙句の事なのだ。
(S)さんのコネを使おう等、考えてもいない。 私はそんなに厚かましい人間でも、無神経な人間でもない。 ただ、私の書く物が、プロの人から見て、どれほどのものなのか知りたかった。 祖母は、快く話を聞いてくれ、「(S)さんも忙しい人間だから、直ぐに見られるかどうかは解らないだろうけど、一応話してみるからね」と言ってくれたので、私は物凄く嬉しかったのだ。 息子の(G)とも15年ぶりくらいにゆっくりと話しが出来、「僕も見てみるし、お父さんにも伝えとくよ」と、優しく言ってくれた。
しかし、叔母の家に電話をした時、その時の事が叔母には曲げて捕らえられていたらしく、祖母に無理な頼みごとをしたと言う理由で、叔母から物凄く叱られてしまったのだ。
再三言うけれど、私は(S)さんのコネで何とかしてもらおうなどと、そんなおこがましい事を頼んだ覚えなど無い。 ただ、私がどんな文章を書いているのかという事を、少しでも(S)とその息子である(G)に見てもらいたいと思っただけである。 (S)さんは、あれほどの素晴らしいドラマを手掛けてる人だから、出来れば私の文章が、どの程度の物なのか、暇が有ったら気軽に見てみて欲しかっただけなのだ。
「(S)ちゃんはもう、他所の人間なんだからそんな事頼まないであげてよ」叔母は私にそう言った。 「皆、それぞれが大変なんだし、アンタの事も助けてあげられる訳も無いんだし、お祖母さんだって(S)さんに面倒見てもらってるんだから、これ以上お祖母さんの立場を苦しめるような事はしないであげなさいよ・・・」とも・・・・・・。 そんなつもりじゃなかった・・・・・・。そんなつもりじゃ・・・・・・。
叔母だって、もう一人の叔母が生きてた頃は、何度もお金を借りたりしてたじゃない・・・・・・。 苦しい時に助けてもらった経験のある人間じゃない・・・・・・。 私に信販会社の借金が増えてしまったのは、身内は極力頼るべきじゃないと思って、一人松本で何とかしようとしてたからじゃない・・・・・・。 家も土地も、頼れる家族も何も無い私は、お金に困れば信販会社を頼るしかないじゃない・・・・・・。 なぜ、自分の時の事は棚に上げて、そこまで人に厳しく言えるのだろう・・・・・・。
私は親類に電話をした事を心から後悔した。 もう、私に頼るべき血縁は一人も居ないのだ・・・・・・。
4月はそんな事が重なって、電話代が12500円にもなってしまったのだ。 それを思い出し、つくづくバカな事をしてしまったと、自分を恥じた。 財布の中身を考えて、自分を嘲笑しかけた時、仕事の事で会う約束をしていた友人から電話が入ったのだ。 そこで私は不覚にも、火が付いたように泣きじゃくってしまったのだ。 只ならぬ気配を感じ取ってくれた友人が、わざわざ遠くから駆けつけてくれ、「これを返すのは、何時でもいいから、これで取り合えず、信販会社の6300円を払っちゃいなさいね」と、私に黙って7000円のお金をにぎらせてくれたのだ。 その友人さえ、苦しい最中なのだ。
ありがたかった・・・・・・。本当にありがたかった。 何時でも私を助けてくれるのは、友人なのだ。
そんな事があり、ローン会社の件が何とか救われたと思ったら、今日になって又新たな絶望感が私を襲ったのである。
散歩から帰ったミュウーが、何時ものように食べてきた草を吐いたのだが、その胃液の中に明らかに血液のような物が混ざっているのだ。透明なピンク色をしている。 最近買ってきている餌には、ピンクの物など混ざっていない・・・・・・。 そして、この10日ほど前から、頻繁ではないのだが「クフン! クフン!」と言うような、変な咳もしている。 元気はあるし、水の飲み方も餌の食べ方も、排尿も、排便も、何時もと変らないのだが、気のせいか幾分毛艶が落ちているようにも感じられる。
もしもこんな状態の中で、ミュウーが病気にでもなったら、私は一体どうなってしまうのだろう・・・・・・。 何時もなら、何をさて置き、ミュウーを連れて病院にすっ飛んでいくのだが、そんなお金すら、もう無いのだ・・・・・・。
ごめんねミュウー・・・。情けないお母さんでごめんね・・・・・・。
今は、ミュウーに心を込めて気を送り、せめて、私の給料日まで、何事もおこらない事を・・・、ミュウーが病気ではない事を・・・、神様に祈ることしか、私には出来そうにない・・・・・・。
2003年06月05日(木)
|
|
|