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■ 【エッセイ】ありがとう・・・・・私の愛しい子供達
今日までで、愛しかった金魚たち7匹が皆、死んでしまった・・・・・・。 水槽が、とうとう 空っぽになってしまったのだ・・・・・・。 10日くらい前から、一匹死に、2匹死に・・・、連鎖反応のように次から次へと死んでしまい、とうとう一匹も居なくなってしまった・・・・・・。 水を替え、氣を送り、薬を入れ、祈り、一生懸命手を尽くしたけれど、とうとうダメだった・・・・・・。
この、金魚たちは、私達夫婦が孵化させた、それは愛しい愛しい子供のような存在だった。 私のこの金魚たちへの思い入れは、殊の他強いものがあった。
3年前の5月、私に初めて子宮頸癌が見付かり、『円錐切除術』と言う、簡単な手術を受けた。検査と治療を兼ねた手術で、ほんの2週間ほどの入院で済むと言う。 切り取った部分にどのくらい、癌が浸潤しているかを調べる手術である。 偶々、担当医が友達で、「ママの癌は超〜初期状態だから、その手術だけで確実に完治すると思うよ」と言われていたのだ。
しかし、術後半月ほど経ったある日、病理検査の結果が出たと病院に呼ばれ、殊のほか癌が大きかった事と、取りきれなかった事を告げられたのだ。 思ったよりも癌が進んでいたらしい。 血液中の中に、ポツリポツリと、癌細胞が飛んでいるとも言われた。 一ヶ月の自宅療養期間を与えられ、子宮の全摘手術と、抗癌剤治療。いわゆるフルコースの治療が必要なのだと告げられ、私達夫婦は失意のどん底に居た。 今度入院したら、生きては帰れないのではないか・・・・・・? 母や、叔母や、従姉のように、あちらこちらをいじくり回された挙句、弱り切って死んでしまうのではないか・・・・・・、等の不安や恐怖に、私は苛まれた。 、 その、残酷な宣告を受けた夜の事である・・・・・・。
物思いにふけりながら、私は水槽を眺めていた。 【もしかしたら、この金魚たちよりも、私の方が先に死んでしまうのかもしれない・・・・・・】 そんな、センチメンタルな想いだった・・・・・。 水槽の中には、息子が、小学校の4年生の時、お祭りですくってきた金魚が3匹居る。7年もの間生き長らえていて、皆、驚くほど大きく育っている。 ふと目を凝らして見ると、何と、水草に沢山の卵がこびり付いているではないか。 私は叫ぶように夫を呼び寄せ、それを見た夫も、嬉しそうに叫んでいた。 「すげぇ〜!! 卵だ! 卵だ!! 初めて卵を産んだんだ!」 私達は、翌日、朝一で近所のホームセンターに飛んで行き、孵化するかどうかも解らぬ卵の為、60センチの水槽を買って来た。 清い水を造り、砂を敷き詰め、万全を期した後、壊れ物を触るような手付きで、卵のビッシリと付着したその水草を新しい水槽に取り入れた。 私達夫婦は、毎日ワクワクドキドキしながら水槽を眺めていた。 やがて・・・・・・、4〜5日すると、2ミリほどの稚魚が一匹、又一匹と孵化し始めたのだ。 「やったぁ〜!! 孵化したぁ〜!!」 私たちは抱き合って喜んだ。 一週間もすると、水槽のあちらこちらが稚魚でうじゃうじゃになった。
私は、物凄く嬉しかった。
絶望の淵で、新しい命が誕生したわけである。 チョロチョロ上下運動を繰り返している、大きな目ん玉を付けた可愛い稚魚達を見ていると、何故か自然に勇気と希望が沸いて来た。 私の癌と引き換えに生まれた命たち・・・・・・。 それから間も無く一月が経ち、私はフルコースの治療を受ける為に再び入院した。 約、10ヶ月の治療期間を要すると言う、長い長〜い入院になる。
しかし、その間、定期的に退院が出来た。2週間の抗癌剤治療が終わり、白血球などが正常値ならば、2週間自宅に帰れる・・・、と言う事を4〜5回繰り返すわけだ。 私は自宅に戻るたび、稚魚たちの成長が楽しみになった。 多くの金魚たちは、あっけ無いように死んでしまったが、やがて、少しずつ成長した可愛い子供達は、何人かの友人宅にも分けられ、私の家の水槽には、約20匹の子供たちを残す事にした。
それから3年が経ち、金魚たちは、徐々に減り、それでも、既に15センチほどにも成長し、元気に育っていたのだった。 しかし、その金魚たちが、今日で、全て死に絶えてしまった・・・・・・。
金魚に詳しい人の話によると、3年間生きただけでも、凄い事だと言う。 自宅で孵化させた金魚は、元々、大変珍しいし、又、掛け合せにまで気を使わないせいで、弱いらしい。 兄弟同士で孵化した金魚は、なおさら奇形や、虚弱体質に生まれるらしい。 今までよく育ててきたよ・・・、。 そう言って友人は慰めてくれた。
あの金魚達の誕生が、どれほど失意のどん底だった私を励ましてくれた事か。 私の癌に対する恐怖を和らげ、希望を持たせ、癒し続けてくれていた。
淋しい・・・・・・。とても淋しい・・・・・・。そして、哀しい・・・・・・。
あの金魚たちは、私の子供達だ。 私の病気と引き換えに生まれた命だった・・・・・・。
私の指先から餌を食べ、水槽に指を入れると、チュクチュク吸い付いてきた、可愛い、可愛い子供達。 私がそばに寄ると、前後左右に追ってきた、可愛い、可愛い子供達。
さようなら・・・・・・私の可愛い子供達。 こんな窮屈な環境で育てる事しか出来なくてゴメンネ? これからは、もっと広い世界で、自由に泳ぎまわってね。 今まで癒してくれて、本当にありがとう・・・・・・。 死なせてしまって本当にゴメンネ。 あなた達の事を、私は一生忘れないからね・・・・・・。
※何か、辛い事ばかり・・・・・・。 神様・・・、もう、これ以上のことは無いよね? お願い! 無いって言って・・・(・・,)グスン
2002年09月07日(土)
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