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K先輩から貰ったバンダナは、私の宝物になりました。 先輩が身に付けていたという事で、しばらく洗う事が出来ませんでした。 それを自分の手首に巻いて眠ったりもしました。 母から譲り受けた鏡台の鏡には、マニキュアでK先輩のバンド名を書きました。 英語のそのバンド名は、辞書で意味を調べました。 (最近、そのバンド名と同じタイトルのアルバムを出したタレントが居るとの事。 なんだか、懐かしく思いました。) 私の頭の中は、K先輩でいっぱいでした。
文化祭の後、私は家の近所のスーパーでバイトを始めました。 今度は、親にも言って、快諾では無かったものの親公認になりました。 レジのバイトでした。 スーパーが19時までということで、帰宅が大概19時半を過ぎると、母親に叱られました。 でも、時によってはレジのお金が合わないなどがあり、どうしても遅くなる事もあって、門限は20時までに延びました。 私の家は、19時には夕飯を食べていたので、私がバイトを始めると夕飯の時間に間に合わない日も多くなりました。 親と顔を合わせる時間も少なくなり、母親との喧嘩も絶えなくなりました。 いつからか、朝食を食べずに学校に通うようになっていきました。
バイトを始めてから、私は帰り道の途中にある公衆電話で、K先輩に電話をかけるようになりました。 時には、つい長話になり、帰宅が20時を少し過ぎる事もありました。 そんな時は当然、母親の怒りをかいました。 そうじゃなくても、19時半を過ぎて帰宅すると、既にジャーから出された冷めた御飯とおかずが食卓に残っているだけで、一階の部屋は真っ暗になっていました。 それらを温めるてもらえる訳でもなく、余計な事をすると文句を言われるので黙って冷御飯を食べていました。 時には悲しくなり、泣きながら食べる事もありました。 でも、K先輩と話して帰ってきた日には、そんな事も苦痛ではありませんでした。 先輩と話せるのなら、親に何を言われようとも、悲しい思いをしようとも、平気でした。
バイトを始めて、週に一回ぐらいの割合でK先輩と話すようになり。 10月の終わり頃。
「あのさ、夏の演奏会の写真できたんだけど、観る?」
とK先輩に言われ、翌朝、駅で待ち合わせをする事になりました。
その朝、K先輩は待ち合わせより遅れてきました。 手には、大きなアルバムの入った袋を持っていました。
「ごめん。遅刻するとヤバいから、それ持ってっていいよ」
と言って、私にそのアルバムを渡すと、K先輩は少し立ち話をしただけで学校へ行きました。 すぐにでも、私はそのアルバムが観たくて仕方がありませんでした。 いつも乗る電車の時間まで、まだ30分以上ありました。 でも、その頃の私は一人で店に入る勇気がありませんでした。 物凄く重いアルバムを下げて、私は友達が来るのをホームで待つ事にしました。
私の学校は、毎朝持ち物検査があり、授業で必要なもの以外を持っていくと教師に没収されました。 友達に「アルバムどうしよう?」と相談しました。 わざと生徒が多い時に一気に紛れ込み、友達がカバンを見せている隙に、私がすり抜ける作戦で行く事にしました。 作戦は、成功しました。 教室までの間も、カバンからはみ出るぐらいの大きなアルバムを、友達が前を歩いて擦れ違う教師の目からガードしてくれました。
教室でアルバムを開いてみると、そこには私の知らないK先輩が沢山写っていました。 友達は勿論、初めてK先輩の顔を見ることになります。 「へー、亞乃の好きな人って、こんな顔してたんだ?」 と友達に言われましたが、私自身も実は「こんな顔なんだ」と改めて知った気がしました。 そのアルバムはK先輩自身のものでは無く、学校のものでした。
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