女子高教師
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話は少し前に戻ります。
私の通う高校には、担任の教師と嘱託の教師とが居て、会社で言うと正社員と契約社員という立場だったのだと思います。 職員室に居るのは担任を受け持つ正社員の教師。 嘱託の教師は、別の部屋に居ました。 その嘱託の教師の中に、M先生と言う、その頃多分、まだ20代の男性教師が居ました。
そのM先生は、高1の頃に私の部活の試合などに良く来てくれていました。 必ず、手作りのドリンクなど差し入れを持って来てくれ、見た目もまぁまぁでした。 まぁまぁとは言っても。とにかく女子高の異性に免疫が薄くなってる中のまぁまぁなので、今となっては・・・・・な感じですが。 M先生よりも、顔としては部活の顧問の方が格段上でしたが、M先生の方が人気がありました。
その一年生の時。 私とはクラスが違ったRと、後に仲良くなるK子は同じクラスで、M先生の授業を受けていました。 他校の男子生徒にモテモテだったRが、高校生活で一番最初に好きになったのは、M先生でした。
その冬の昼休みに、Rが作ってきたお弁当を持って嘱託教師の居る部屋に行った事があります。 恥ずかしがるRの代わりにM先生を呼ぼうと部屋を覗くと、M先生はお弁当を広げ始めた所でした。 廊下に出てきてもらい、Rがお弁当を 「これ、良かったら食べてください」 と手渡そうとすると、M先生は「ちょっと待って」と慌てて部屋に戻りました。 M先生は、広げかけたお弁当を包み直し、机の中に隠していました。 それを見た私は、「M先生、自分でお弁当持ってきたみたい」とRに耳打ちしました。 M先生が廊下に戻ってくると、Rが
「お弁当持って来てたんですか?」
と尋ねました。 M先生は、「しっ」という仕草をしてから
「自分で作ったヤツだからいいんだ。他の先生に見られると・・・ね」
と言い、照れたような笑顔でRからお弁当を受け取りました。
Rは朝、M先生にお弁当作ったんだと言って、私に中を見せてくれました。 男性にしては、ちょっと、量が少ないなぁ・・と思ったのを覚えています。 M先生が最初広げ初めていた自作のお弁当は、二段重ね。 遠目でしたが、色とりどりギッシリだったように見えました。 Rが作ったお弁当は、から揚げと卵焼きと野菜。そして、御飯は日の丸。 女子高生が作るにしては、シンプルだと思った記憶があります。
後に、「自分で作ったやつはどうしたんですか?」と私はRが居ない時に聞いた事がありました。 M先生は「両方食べたよ。大変だったよ」と言っていました。
M先生は、翌日。 きとんとお弁当箱を洗って、Rに「有難う。美味しかったよ」と言って返していました。 上手く表現できませんが、試合に差し入れをくれたり、ちゃんとお弁当箱を洗ったり。 そういうマメなところも、M先生が好かれた理由かもしれません。
M先生は、他の担任教師たちとは違い、気さくなお兄さんを髣髴とさせる人だったことも確かです。 私は授業を受けることは無かったのですが、授業中も怒るという事もなく、楽しかったとRは言っていました。 大人の男性のちょっとした言葉や仕草に、すっかり酔ってしまうような。そんな年頃でした。
RのM先生熱が冷めたのがいつだったかは、よく覚えていませんが。 高2になっても、Rとは同じクラスにはなりませんでした。 そして、Rと友達だったK子と同じクラスになり、Rや一年から一緒だった子を通じて私もK子と少しずつ話をするようになっていきました。
2年になって、2-3ヶ月目のことでした。 K子が学校を一週間ほど休んだ事があります。 K子と仲の良かったY美に「K子どうした?」と尋ねると
「バイクで事故ったんだって。」
と答えました。 高校は、バイクの免許は禁止でした。 でも、16になるとすぐ、K子は免許を取り、一度やはり事故って足一面に擦り傷を作って登校した事がありました。 ソックスの生足で、その酷い怪我は、担任教師の目に止まりました。 その時、K子は担任に
「自転車で転んじゃって」
と答えていました。 それが実はバイクの怪我であることは、私も聞いていました。 だから、「またぁ?」とこの時も答えました。
学校への届は、K子の母親から「風邪をこじらせている」と連絡が入っていたようでした。 K子は、その時既に、教師達から目を付けられていた存在でした。 不良だとかそういう事では無く。校則違反が目立つ子だったからです。 一度は、教師にバイトを見付かり、 「知り合いのお店なんです。バイトじゃありません」 と誤魔化していた事もありました。 それから、前以上に、K子は疑わしい子ということで、教師から見られるようになりました。
その高校はかなり変っていました。 肩に髪の毛がついたら二つに結わき、長くなったらみつあみをしなければならない。 そういう校則でした。 そんな中、ある日、K子がみつあみというより、編みこみのヘアースタイルで登校してきました。 前日に、知り合いのお姉さんがやってくれたそうで、嬉しくてそのまま登校したのです。 それを見た教育指導の女性教師は、いきなりK子を職員室に引っ張り込み。 (本当に、無理矢理引きずるように連れて行きました) その編みこみを全て解き、水道の水でビショビショに濡らしました。 その高校では、定期的に検査は勿論。授業中でも疑わしい生徒がいると
「水道で髪、濡らして来い」
と言われる状態でした。 パーマをかけていたら、濡らす事でバレるからです。
K子はその頃、パーマをかけていないのは、誰もが見て分かるほどのストレートでした。 教師の言い分はこうでした。
「きっと帰りにあの編みこみを解くつもりなのよ」
要は、みつあみを解くとウェーブの跡が付きます。 それを狙って、K子がそういう髪型をしていると決め付けたのです。
そんな事もあって、教師に対しK子は反抗的な態度が強くなりました。 だから、一度目のバイク事故の時も、教師はあきらかに疑いの目でK子を見ていました。 だから、今度のバイク事故は「風邪」という理由にしたのでしょう。 親だって、娘が退学になるのは避けたいので、協力してあげたのだと。
この時は、そう思っていました。
K子とは、3年生になってから特に親しくなりました。 そして、私は本当の事を知ることになります。
K子は、M先生と1年生の冬から付き合い始めていました。 Rがお弁当を渡した時には、既に二人は付き合っていたそうです。 M先生は、私たちが3年になると居なくなっていました。 いつ、学校を辞めたのかは、接点が無かった私には分かりません。 付き合い始めたからには、相手は大人です。 当然、そういう関係に。 そして、入院。
バイク事故でも風邪でもなく、これが真相でした。
その後、責任を感じたのでしょうか。 M先生はK子と別れ、学校も辞め、結婚をしたと後に聞きました。 そもそも、M先生にはK子と付き合っている時に、彼女が居たそうです。 K子もその後、数人の男性と付き合い、20歳で結婚しました。 そして、すっかり主婦になりました。
それから時が経ち。私たちが25歳の時。 K子を迎えにきたM先生に再び会う事になります。 K子もM先生も、それぞれ子供を持つ家庭のある身でした。
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