地震なんてイヤだああ、って泣く。 このあいだ震度5があってから余計にきらいになった らしい……こわいものを身体が学んだ。
そういうわけで真夜中にテレビつけて モノオトを立てる、速報は震度3。 たしかにその程度なんだけど、だけど 以前よりぐらぐらに響くから いやだ、、、って。
住んでいるところは関東大震災の被害をもろにかぶった地域なので 小さいころから地震情報には敏感で教育もさかんだった。 たぶん10歳ごろまでいちばんこわいのは地震だった。 戦争じゃなく。 原子爆弾でもなく。
ひいばあちゃんとかは家がつぶれて下敷きになったところから 自力で這い出して避難したクチだ、家が木造で 外にちかいところにいたから無事だったのかも知れない。 背中がガラス片で血だらけになり、でも薬がないから 避難先でもらった焼酎をぶっかけて消毒したと そんな話をよく聞いた。背中には傷跡が残っていた。
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恐怖も孤独も 真夜中には煮詰まってしまうから こういうのは好きではない、と いつも思う、それらを拾ってしまうたびに。
ぬくもりの濃くなる闇が好き。
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36℃の空気、そうして 風のない室内 いろいろなものが顔からすべりおちて 拾おうとかがみこむこともしなかった 昼間はしずかに終わった なにごともない以上にしずかで 一枚めくったら澱んだ泥なのだと思う すべりおちたままの顔でするすると動く たべものを拒否して、ことばもなくて。
ニライカナイからの手紙、をみる 握りしめたタオル 大声で泣いてしまいそうになって ときどき困る
あのひとをニライカナイへ送ったのはあたしなので 海と、空と、虹でできた きれいな雨のふる場所ならいいと思って みたことのない海の向こうだから託した 思い描いたことのない天国だったから 夢をみるようにとりあえず逃げられるくらいに やさしく守ってくれた。
たとえばそんなことも。
あまりきれいな涙ではなくて、ぼろぼろとこぼして それだから今日もおしまいまで漕ぎつけた。 ぴっちりと貼りついた扉をひらくのは、ふいうちの涙や痛みや 誰かの声や地面の揺れだったりする。そんなものでつながれて 今日の日。
さようなら。
白い火がもえているようで そこへ行きたいと願った。 いつか。
8月6日、夜
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