| 2003年05月25日(日) |
世界の終わりという名の雑貨店 |
真夜中にやっていたのでお風呂に起きたついでに見てしまいました 「世界の終わりという名の雑貨店」 2001年、松竹。
主演の高橋マリ子というひとがモデルをしている写真をたまたまみて プロフィールのところにちらっと書いてあったのに なんてタイトルだろうと思って惹かれてしまったのがそういえば最初だった。 原作の「乙女のカリスマ」嶽本野ばらとかはかなりどうでもよかったんです。 ロリータ好きな女の子がみんな嶽本野ばら信奉者であるわけでないし。 ただなんとなく、 女の子が惹かれる理由がわかるような気は、するけれども。
なんとなく なんとなくね。
数冊読みましたが 読み終わったあとにページから顔をあげたら あんまりに世界がくっきり自分と切り離されて見えて 本屋のどまんなかで道に迷ってしまった。 歩きだす手足がおぼつかなくて、 身体ばかりか頭の中までふらふらしている。 離人感を呼び寄せてくれるお話。
危険な作風だと思った。 手を出したらいけない。
ページの中にずぶずぶと沈んでいって いやな塊を飲んだような気がした。 そこまでどっぷりと取り巻かれるというのは 筆の力であるのかも知れないし自分のどこかとシンクロ率が高いのかもしれないし いっそ魅力的と呼んでもいいのかも知れない、けど 好きじゃないな、 と反射的に思って、その感覚は今でも変わらない。 暑い暑い夏のまひるのなかに、ぽつんとついた黒いしみ。 じわじわと広がってわたしが湿っていく。
まっさおなハードカバーのたたずまいは 目を惹きつけるけど、同時にかなりの毒。
ひとことでいったら、 美しく病んでいる話なんだろうと思います。 壊れている君と、壊れていく僕と、 そうして、 空気がこわれていく、ぼろぼろと崩れていく、その破片を描いていく。 少し間違えれば、 病むことは美しいと勘違いさせてくれる話。
そう勘違いするのは愉しいことか知れなくて だからこそ、そう勘違いするのが私はきらいで そうしてまた、 あっさり死ぬとか生きるとか「モチーフ」にされるのがきらいで 小道具みたいに精神病とかすいみんやくとか出されるのはもっときらいで 途端に醒める。 さああああっと、あっというまに、 お話と私とのあいだに築き上げられていくはずの温度がさがって 冷たい目になる。
(そんなことばはまるで釣り餌みたいだと思う。) (読者をひっかけるために使われた餌みたい。)
遠ざけておきたいもの 遠ざけておいたほうがいいもの 毒にうまれかわるたのしみ
自分の中に受け入れるものがあるから 毒であって魅力なのだと思うけれども
病んでいくことの魅力に引き寄せられるのなら触れないがいい まるごと飲み込んで笑うのには足りない毒だ。
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映画には何も毒がなかったです。 ただ通り過ぎていった2時間の映像は2時間の映像だけで なんのことばも浮かんでこなかった。
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