いつの日かおとなになる かなしみをかぞえるたびに 抱きしめるあなたの手が わたしの手ではないということ
いつの日かみんなひとつになれるまで 鳥は鳥にひとはひとに、それぞれの歌 風は風に星は星に、それぞれの夢
(谷山浩子「鳥は鳥に」)
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朝方の波のなかでまた眠ってしまって 朦朧としながらごはんだけは食べたような記憶があるんだけれど そのほかはぜんぶ、曖昧なまま きちんと気がついたらそとは夕方になっていて 玄関にあかりをともしに行った。
ぱちん。
白熱灯がひとつともる。きいろいあかり。 まあるいあかり、それで照らされて浮かぶ わたしの靴下のあしもと。朝と夕方しか知らない 今日のわたしの靴下のあしもと。
ひえた洗濯物を取り込もうと外に出たら 富士山の輪郭線がきれいに朱色のそらに映えていた。 めずらしく、晴天の西の空。 夕暮れがそこだけに残っているみたいで わたしの頭のうえのそらはもう夜に近い。
なんでだか急にかなしくなったけど泣くための涙がでなかったから今日は泣かない。 泣くかわりになにをしたらいいだろうかと考えてみて、途方にくれる。 パソコンを立ち上げて、フォトショップのファイルをひとつ呼び出す。 かぼちゃ色の画面。 やりかけたまま早起きするつもりで昨日は寝てしまったから 作るように頼まれたダイレクトメールの画像はすこし欠けてる。 黒い色を選んで、直線を引くツールを選んで、 一本、二本、線を書き足す。 キーボードから手を離したらその腕のやりばがなくて膝をかかえた。 眠りっぱなしのネムリヒメは一体どうして100年も長いあいだ 眠っていられたんだろ。 わたしもそうなりたい、と思いながら かちかちとマウスの音を立てている。
家人が帰ってくる。 わたしのともした白熱灯のあかりが誰かを呼び寄せる。 それならいい。 無彩色にこごっていたあたりに色がついて、空気がうごきはじめる。 わたしひとりじゃ、そよとも動いてくれなかった、 沈殿した、「欝」って名前のつけられた うちいっぱいのかたちをした灰色のかたまりが。
涙は一滴もこぼさないでかわりにたくさん笑ってみたよ そうしたら少しだけ涙が出た 笑いすぎた時に出るなみだは悲しいときに出る涙と成分が違うそうです。 わたしは、わたしがかなしいのかそれともそうでないのかよくわからなかった。 いつだってそうだったような気がする。 そうして、今でもよくわからない。 できあがったダイレクトメールの原稿の印刷をしてみたら線がぶれていて プリンタのメンテナンスをがたがたと始めた、わたしの腕は、 きわめてすくない「できること」だけを 今日も、ひとつ、ふたつ、動かしただけの腕で それに生きている重みを加えたら、あっというまに粉々になりそうな気がした。 泣かないで笑った。
きっとだいじょうぶ。
仕上がったはがきの原稿。 印刷所につき返されるかもしれないけれど、 でも、仕上がった原稿。 重荷がひとつ消えたね、と じぶんをなぜてあげようか。
わたしをなぜるあのひとの手の不在。
………。
泣くかわりに笑いましょう。 あんまりかなしいことがあって なみだを見失っちゃったから かわりに大声で、笑いましょう そらを見上げて おおきなこえで、うたって。
朝と夕方しかしらないわたしのからだは 朝になるのをこわがります。 今がずっとおわらないといいのに、 そう我儘なことを思いながら 時間にながされながら ようよう、徘徊する夜の時間を追い出されてまた、まぶしい、 朝のひかりをあびて、それから、 それから。
その先がわからないから ただまっくらにひろがる かなしいさみしい闇だから わたしのからだは朝になるのをこわがります。 緩慢な午前と落下する夕方、そのどちらとも わたしを不安と恐怖に駆り立てて手離してくれない、それだから
泣かないで 笑いましょう
………。
泣きなさい、笑いなさい いつの日か、いつの日にか、 花を咲かそう、よ
まなほ
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