『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2003年01月22日(水) きみのいない風景

たとえば
それがほんとうに大切なのならはじめから手離したりしちゃいけないのだと思う。
小さな文字を
浮かんでくるのをすくったり、風に散らばったのを蹴飛ばしたり
そんなことをしているうちに何ヶ月かがたって
順当に、穏やかなうちに、
あなたはいなくなっていくように見えるけど
でも、たぶん、
春の風のなかにあなたっていう影は棲みついていて
そのときがくればわたしの頬を叩きにあらわれるんだろう、

真夜中の電話線を通ってくる知らない声に知らされてしまった。

あなたのいなくなった風景。

夢にみた黄色い砂浜、
片足の足りない黒い靴、
広げられたおおきなマント。

習字の時間にはね散らかした小さな真っ黒な墨の点々は
いくら擦っても石鹸をあわ立てても、もう
消えなかった。
ブラウスにうっすらと残るゆがんだ灰紫の、にじみ。
もう消えない。

そんなふうに、ある一日に、ふいについてしまった「しみ」のことを
わたしはときどき思い出す。
あるいは、つねに、一生、忘れることはないだろう。
365ぶんの1、の小さな思い出。


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いろいろなひとがわたしに電話をかけてくる。
話したいことをたくさん持って
意気込んだふうにわたしに電話をかけてくる。
わたしはそれにうなずきかえし
電話のむこうの声の主が、満足してみちたりて、サヨナラの合図を出すのを
声をききながら待っている。電話というのはたぶんそういうものなのだろう。
話したいことを沢山もったひとが手をかける物体。
誰かとコンタクトをとりたいと手をかける物体。
その先にいるわたしはたぶん
話したいことをなにも持っていないわたしなのだ。

うなずきかえし
無限にほほえんで
乾いた砂みたいに
だれかの話し声を吸いこんでいく。
そういうわけじゃない。
注がれてくるその水滴を吸い込まれたか弾きかえしたのかはわからない、
それもただどちらでも構わないのだろうと思う。
声の主にとっては
からっぽのわたしがここにいることと
自分が抱えているたくさんのことを
浴びるように吐き出すことが
たぶん
いちばんの問題なのだと思うから。


ただ、喉がとても渇いていることに気がついた。
受話器を置きながら
しん
とした明るい闇の中にひとりで戻っていきながら。


どこまでもかきみだされない夢のなかにわたしがいるような
歪んだ想像でもしてくれる誰かがいるっていうのなら。


電話。
適当に孤独で、適当に満ちたりたひとたちのために
存在しているしろもの。




まなほ


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