生まれてこの方、病気というものをやってきて それがあまり病気だと意識せずにいられる時間もあったけど その存在を無視できなくなって、考えてみたら もう十年近くたっているんだな、ということに 高校のときのともだちからもらった年賀状で、ぼんやり気がついた。
遅いかもしれない、 けど 時間なんて 気がつかないうちにこうやって しずかにしずかに 降り積もっていくものなんだね。
我が家のとなりにある母校。 今日も、自転車で登校してくる高校生のにぎやかな声が この時間帯にはたくさんたくさん聞こえてくる。 明るい声、自転車のブレーキのきしむ音、おはようを告げる挨拶、 いちにちのはじまり。 とてもまぶしい、 朝にふさわしい、 いちにちのはじまり。
わたしはひとり、 薄暗い台所で、お茶を入れて ゆっくりと飲み干しながら ささやかに、わたしの今日の日をはじめる。
あのきらきらひかるみたいなあかるさとはとても隔てられた場所に来てしまったけど そのことを嘆くことはしたくない、と、思う。 あのころ、わたしはやっぱり病気と片手をつなぎながら歩いていたし、 それでも色々なことをやってのけたし、 そうして振り絞ってきた力の在庫がなくなったみたいに急に 十年後になって、ぱたり、と糸の切れた人形みたく倒れていて 自分の思うとおりに体が動かせなくなった、今。
嘆くことはしたくないと思う。 ぼろぼろでも ともだちに囲まれて笑っていた「じぶん」を 羨ましいなんて勘違いしたくないと思う。 あのころのわたしには今よりパワーがあったかもしれなくて 少なくとも、 大好きなお芝居に集中できる力や、走り回れる手足や、 なにかを欲しいと思う気持ちをきちんと持っていて、自分がここにいると感じていて 醜形恐怖みたいな無残に惨めな気持ちや「欝」なんていうものとは切り離されて 健康にちかい世界で笑っていたかもしれない、 だけど。
嘆きたくない。 今の自分のくるしさが 史上最大のものだなんて そんなふうに勘違いしたくない。 あのころのわたしにはあって、 そうして今のわたしにはない、「くるしさ」。 大事な友達と、生木を裂くみたいに別れるしかなかったこと、 かたくなな自分だったあまりにいろんなひとに突っかかっては傷ついたこと、 ぼろぼろの肌をして同情のまなざしで見つめられていたこと、 受験という厄介なものに立ち向かうことができなかったこと、 家の中でうまく立ち回ることができなくて、針の筵に座っているみたいだったこと、 そういった全部のことを、自分の力ではどうしようもできなかったこと、 そうして 何もかもに本当は自信なんてなくて 自分なんてどうして生きていなくちゃいけないのか さっぱりわからなかったこと。
そのなかのいくつかはもう記憶の中にしかなくて 今のわたしとは無縁に近いものに変わってくれたし また別のものは時間をこえて今に続いているし あたらしく加わったたくさんのリアルなくるしさや 片付けられないこの両手にあまるような たくさんの厄介な病、うまく廻らなくなった現実。
だけど
となりの芝生はいつも目がさめるくらいに真っ青なんだ
それだから
わたしは、じぶんの病気をうらみたくない。 悩まされるあれやこれやを 病気のせいにしたくなくて だけど病気のからだからは逃げられなくて
弱音を吐くときもある 泣き言も、いっぱい、言う 眉毛も髪の毛も抜け落ちちゃうのは恐怖だし、いやだし、 痛いのもくるしいのも、炎症を起こして発熱するからだも つらいし、その症状はきらい。好きなところなんてありもしない、
だけど
わたしはわたしを嘆きたくない よのなかに点在するたくさんたくさんの「つらさ」のなかで 自分の抱えるものがどれだけ重いとかどれだけ酷いとか そういうことは何にも考えたくないのです。 ばかみたいかも、しれなくても、 いつだって、青々として見える隣の芝生、 それをうらやむことは、 したくないのです。
わたしのつらさはわたしだけのもので、ほかのひととくらべることはできないと
あなたのつらさはあなただけのもので、わたしとくらべることはできないと
うまく言えないけど こころのなかに叩き込んで せめてそれを忘れないように 言い聞かせていたい。
降ってくる痛みや現実にはちっともついていけなくて 逃げ出したくて目眩がしてくる、あっけなく混乱する それだけど
どこかにかならずくるしさを抱えているあなたのことを ひきくらべてうらやんで、よけいにおいつめたりすることは したくないと
ただ、わたしは、かんがえるのです。
まなほ
|