| 2003年01月17日(金) |
あんまりそれがきれいなのでぼくのからだはこわれてゆく |
じぶんを叩きつづける腕を こわれもののように思う。 ほんとうは、それはさかさまのことなのに。
ここのところ、三日 わたしはうちのなかに閉じこもって ぼんやりとしている。 空は、白かったり、あおかったり、ぺかぺかとひかったり、 それに薄くれないの色に染まりそうで染まりきらなかったり いろいろと顔を変えているのだけれども
わたしはなんにも変わらない。
さびしい、という言葉を くりかえし反芻して 手の中でなでてみる まあるい まあるい なめらかに取っ掛かりのないその気持ちは、ほんとうに とてもしずかだ。 あんまりにもきれいにそれがそこにあるから わたしは このままでいいのではないかと思ってしまう、 けれども
みのらずに終わった恋は重さもかたちもなく みのらずに終わった恋は思い出の影さえなく あんまりそれがきれいなのでぼくのからだはこわれてゆく あんまりそれがきれいなので誰にもことばはつうじない
(谷山浩子「冷たい水の中をきみと歩いていく」)
わたしは誰の中にあってもひとりだということを 間違っていても信じてしまった。 届かない手紙はわたしをやすらかにし 鳴らない電話はわたしをひららかに保ちつづける。 わたしだけに通ずる、だれにも通じないことばで話したら みんなひっそりと、それと気がつかないように わたしを置いて、外へ外へと歩いていくような気がする。
ひとりぼっちの、朝に、昼に、夜に、 黙々とたべものを齧りながら 自分を傷つけた腕をながめたり はだしのつめたい指先をながめたりする。
どこまでも 森閑として奥のふかい、 沈黙
それは、わたしのおまもりだ。
落下する夕方 ひとりでふらふらと歩いていたら 大きな病院の前で、植え込みの沈丁花のつぼみがふくらみかけているのをみた。 わたしがようやく、からだのなかの時計を冬に進めようとしている今になって 時間は、たしかに春にカレンダーをめくりかえようとしているらしくて こうして、わたしは また、 時間、 というどうしようもなく果てしがなくて大きくてやさしく厳しいものに 乗りおくれてしまうのだろうかと漠然とおもった。
冬の日の夕暮れ。
あまりに晴れすぎた空は夕焼けを知らないままに 薄青くとうめいな夜の色に、その場所を譲り渡していく。
まなほ
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