| 2003年01月10日(金) |
留守番、月とキャベツ |
昼間に眠っていたら電話がかかってきて、わたしはいないかと聞かれた。 寝ぼけた頭のまま、寝込んでいます、とこたえたので電話が切れた。 冬。 世界から消えるのはすこしだけかんたんだ。
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向き合わないといけない現実が降ってきました。 季節を忘れたみたいなわたしにはなにもかもが 降ってわいた事件のように思えて それが、自分がいつか決断したことだったとしても その予定をどうして決めたのか どうしてそこに行くとわたしは自分が決めたのか 思い出すことが出来ません。
桜が咲いたら 東京のかたすみで 小さな展示会 することになっています
そのための現実をわたしは生きているはずだけど だけど同時に夢ばかりみていて進まないわたしのなかの時計。 今じゃない季節ばかりをいつも刻むので つい、夏の映画ばかりを借りてきて見てしまったり この寒いのに袖なしのお洋服に憧れてみたり おかしな具合のことの多い、わたしのなかみ。
電話の向こう側にはあなたがいないので、わたしはあなたに電話をしません。 あなたはとても忙しいので、わたしに手紙を書きません。 届かないものを待っています。 なぜか、よくわからないけど。
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映画、「月とキャベツ」をもう一度みました。 ひとりで。
まるくなっていく月は何も考えていないけど この間わたしは細い細い三日月のあかりに照らされた まあるい月の陰をみたので、それは黒い満月。 映画の真似をしてお鍋の中でまるごと煮てしまったキャベツを四つに切って その場にそぐわない陽気さを反芻しながらかじりつきました。 向かい合って切り分けられていった むしゃむしゃと咀嚼されていった楽しげな夏の昼ごはん。 わたしの目の前には、だれも、 座ってなんていなかったけど。
映画、という空気を真向かいに座らせてわたしはキャベツをかじります。 やわらかく煮えたキャベツはほんのりあまくて歯ごたえなくて するすると胃袋のなかに、つぎつぎ消えていきました。
それがまた、明日のわたしにつながるように。
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真夜中すぎて、 消し忘れられた洗面所のあかりに気がついて その鏡に近寄ると そこには 少女、とも、女、とも、人間、とも どれともカテゴリーできない病身を顔にのせた「わたし」が 写っていました。
鱗みたいな皮膚は、おかしな角度に輪郭線をゆがめさせて ふくれあがった頬とか、角張ってしまった額とか 閉じられも開かれもできないまぶたが、分厚く視界をさえぎっていて うれしくもかなしくもつらくもないのに なみだばかりが出ます。
醜い顔なら捨ててしまいたいと思うときもありましたが これがわたしの顔であるのでわたしはわたしを捨てられない。 お幸せですね、と、夕刻、伯母がわたしに書き送ってきました。 それはたぶん、誰かが、わたしをすきなひとがいると言ったからです。 すきなものは色々あります 猫とか、ちいさなガラスとか、歌声とか、長い髪の毛とか。 だけど、誰かひとをすき、なんて大それたことは、 わたしにはとても出来そうにありません。
でも、そのひとはわたしをすきと言うし わたしはそのひとなしでは生きていけそうにないので たぶん、こうして生きていくのです。
真っ暗な窓のむこうを見ながら考えました。 ひとりぼっちの 職のない 病気はあり ついでにこころも病んでみた 25歳の「子ども」とは 世間様からみれば、おしあわせ、なのかどうか、を。
答えは、よくわかりません。
ただ、 ふしあわせでないことだけは たしかか、と。
向かい合ってキャベツを噛み砕くふたりの姿をテレビ画面のなかにみながら。
山崎まさよし、という歌い手のことについてわたしは何も知らないけれど オレンジ色のシャツでキャベツ畑に水をまく、どこまでも野暮ったい姿は 悪くない、と思いました。
まなほ
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