『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2003年01月02日(木) 「ターン」

見たかった映画をビデオテープで再生するときのしずかなきもち。
「ターン」、
牧瀬里穂主演の映画、
とてもとても髪の短い主人公の女の子、27歳。
ある夏の日、交通事故にあった瞬間、前日の同じ時間に目をさます。
そして同じ一日の同じ時間を何度もはてしなく繰りかえしていく
お伽話のような夢のような
終わらない夏の毎日の物語。

まっしろなテープだった。

終わらない夏の日。

この映像がわたしの抱いているイメージときちんとだぶるのは
終わらない、ということ。くりかえされる、ということ。
小さいころから不思議でした
夏の暑いあつい盛りに真っ青な空を見上げて、井戸水をはね散らかして
あおあおとした庭を見て、
寒さ、というものがどこにもないことを体中でかんじて
冬というものの存在を疑っていました。
冬の、凛とした冷たさ、寒いという感覚、
それがどんなものだったのか、夏が来るたびにわたしはきれいに忘れていて
夏だけを生きていたから。

冬は冬で、また、あたたかさというものの存在を不思議に思いました。
お日様が照っているのがあたたかくてきもちがいい、そうして冷たい日陰、
吹いてくる風は冷たいものであって、涼しさを運んでくるわけじゃないこと。
太陽に照らされてじりじりと焦げ付くように思ったり
汗で髪の毛を肌にはりつけながら歩かなきゃいけないこと
そういうことをすっかり忘れ去って、冬だけのなかに呼吸していて
日溜りが暑いなんて信じられなかった。
風が冷たいなんて、信じられなかった。

理想的な毎日でした。
終わらない
年をとらない
明日がこない
くりかえす毎日の中には
今の臆病なわたしが欲しがっている「無茶な言い分」がぜんぶ揃っていて
だけれど
そこには
自分以外の他の誰もいなかった。

誰も通らない道
ひらかれたままのノート、小学校の校庭
食べかけの料理の乗ったお皿の並んだ、レストラン
読みかけの本が散乱しているだたっぴろい図書館

「ターン」

映画の中で。
孤独な主人公のもとに到来したのは一本の電話線という命綱、文字通りの
ぎりぎりに磨り減った神経をかろうじて繋ぎとめてくれる
電話線だったけど。

孤独で
そんなふうに
ほんとうの意味でひとりぼっちであったら
わたしはまず最初に何を求めるのだろう


その世界はつくりごとのお伽話でわたしはそこには行けない。
ただ


終わらない夏、終わらない冬、ひたすら続いていく「今日の日」

たぶん、それが、
弱音ばかり吐いているわたしの
逃げたくてしかたないわたしの
明日がおそろしくて仕方ないという、不安で臆病なきもちを
すべらかに変えて安心を運んできてくれる
残酷だけど、とても甘い、
欠けるところのない完璧な
夢でした。


たとえそのさびしさに血を吐くような叫びをあげることになったとしても。


わたしの夢は
終わらない夏の日
続いていく今日と
やってこない明日

それを望んでいる自分がいることをわたしは知っているつもりです。



まなほ


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

My追加